5号館を出て

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 ネタフルで「坂本龍一、ポッドキャスティングをはじめる」という記事をたどっていくと、ITメディアニュースの「坂本龍一のポッドキャスト、世界に向け配信」にたどり着けます。
英語の楽曲、ビデオが収録されたポッドキャストを坂本龍一が世界に向けて公開している。

 リードだけ読むと、音楽とビデオのプロモーションかと思うのですが、さにあらず、反核メッセージなのです。

 stop-rokkasho.orgというタイトルからわかるように、青森県六ヶ所村にある核廃棄物再処理施設を象徴として、フランスやイギリスなどの核廃棄物の再処理に反対するサイトです。

 もちろん言葉でも反対論を書いているのですが、やはり音楽ビデオ写真による訴えがすごいと思いました。

 iTunesでダウンロードする方はこちらをどうぞ

 内容はすべて英語ですので、わからない部分があっても、とにかく芸術として完成していてカッコいいのです。

 世に倦む日日で「中島みゆきに九条の歌を - 小沢征爾をA9国際運動の指揮者に」と言っていたのを、よりスマートにするとこういうふうになるのかな、と思いました。

改憲阻止の戦いは関ヶ原だ。生きるか滅びるかの決戦であり、世界にとっても国連憲章の生死のかかった戦いとなる。金も人も時間も惜しんではいけない。大きな戦いにして大きく勝つことだ。一部の中高年左翼だけが小さく地域で集まる護憲読経運動のレベルに終わらせてはいけない。

by stochinai | 2006-05-23 17:08 | つぶやき | Comments(0)

国立大学の入学寄付金

 昨日の朝日新聞の教育欄に「法人化で財政難 実質学費に」というタイトルで、長崎大学歯学部で集めている寄付金の例が出ていました。もちろん、私大ではニュースになることもない普通のお話なのでしょうが、国立大学で入学時に寄付金を募るということはあまり聞いたことがありません。

 長崎大学の歯学部の例は極端なのかもしれませんが、歯学部には1979年の開設当初から「歯学部教育後援会」というものがあり、お金を集めていたようです。加入は任意というものの、加入率は8割を越え、入学直後に6年分として8万円の支払いを求めているとのことです。この金額が、昔からのものなのかそれとも法人化に伴って値上がりしたのかは書いてありません。

 さらに、長崎大学では全学生を対象にした「長崎大学後援会」というものが、2000年に発足しており、歯学部学生にも6年分1万5千円の支払いを求めているとのことで、後援会の二重取りではないかという不満の声が出ているということです。6年で1万5千円なら、普通の学生は4年で1万円ということかもしれません。

 法人化によって大学に交付されるお金が毎年1%ずつ減らされています。大学としては経営の効率化や定員削減で対処するにも限りがありますので、なんとか収入の道を考えていると思いますが、この入学時に徴収する寄付金というのは回収率を考えるとかなり「おいしい」ものに違いありません。

 長崎大学の一般学生向けの後援会でも回収率(加入率)が55%ということですから、強制ではないといってもかなりの圧力になっていることは間違いなさそうです。歯学部の8割以上というのは事実上の強制と言っても良いレベルです。

 こういう話が流れると、他の国立大学でも雪崩を打って追随することはほぼ間違いないのではないかと思われます。

 我が北海道大学でも、今は同窓会員に寄付を募ることを始めたところですが、昨今の同窓会の凋落ぶりを見ると、同窓会経由でお金を集めるのはかなり難しいと思われます。

 いろいろ始めようとしている「商売」にしても、運営費の足しになるほどの利益を上げるのは夢のまた夢という感じもしますので、当面の日銭稼ぎとしてはこの「後援会方式」がブームになることは間違いなさそうです。

 後援会費のずるいところは、あくまでも任意加入のものと位置づけられていますから、入学者募集要項などには書かれていないことだと思います。1000円や2000円くらいならまだしも、数万円から10万円近くも徴収するということになると、授業料だけでも苦しい学生にとっては「聞いてないよ~」と逃げ出したくなる金額かもしれません。

 まあ大学も苦しいので助けてくださいという意味で、頭を下げて寄付を募るということならば理解もできるのですが、学生を人質に取った形で父母に後援会への協力をお願いするということは、強制とまではいかなくてもかなりの圧力にはなると思います。

 そうであるならば、学生募集の段階で「本学は入学した学生の父母に、後援会に加入していただくくことを希望しています。ついては、4年分*万円に対する準備をお願いいたします」くらいの注意をしておかないと、詐欺的行為だと言われかねません。

 それにしても、どうしてこんなに金・かね・カネの話ばっかりになっちゃったんでしょうね、国立大学は。
by stochinai | 2006-05-22 22:56 | 大学・高等教育 | Comments(15)

教員の背中

 「学生は教員の背中を見て育つ」という言説に関しては、いくらでも肯定的・否定的意見を見つけることができます。私自身でも、この言葉を肯定的にも否定的にも解読することができるとともに、この言葉が持ち出される状況によってYESという気持ちになることもあれば、NOと否定したくなることもあります。要するに、多義的すぎて「使えない」というところかもしれません。

 しかし、育つか育たないかはさておき、学生が教員の背中を見ていることは事実です。背中というのは教員の発する言葉ではなく、教員の生き方そのものという意味だと思います。一般に「背中をみて育つ」というのは学生や第三者から見て、教育らしいことを何もしない先生の下から、暗黙のうちにその生き方を模倣して素晴らしい人材が育っていくというような状況を指して言っているのだと思います。

 教員の言葉ではなく生き方そのものが、学生を教育するということは教員にとっては、何も教育的な作業をしなくても良いので楽に思えることもありますが、実はかなり厳しいもので、文字通り聖職者としての生き方をしている人(そんな人はほとんどいないと思いますが)以外は、胸を張って「オレの背中を見ろ」などと言えるものではないでしょう。

 逆に、学生は教員の「負の背中」も敏感に見ているものです。その場合には、背中を見て師のようになったとしたら悪が複製されることになりますし、背中を見て師のようにだけはなりたくないということで逆の生き方を選んだとしたら「反面教師」と言われることになります。反面教師は師として価値のある存在と言えるのでしょうか。おそらく昔は学生というものがとても偉い存在だったので、偉い師を見たらそれを真似あるいはそれを越えようとして努力し、悪い師を見たら決してそうならないように努力することで、必ず善なる成長をするものだというふうに考えられていたのではないでしょうか。そんな時代だったら、確かに師は何も教えることもなくただ生きて自分のしたいことをしているだけで、学生はどのような師の下でもきちんと育っていくことができたのでしょう。

 時代は下り、誰でもが学生になれるようになりました。そうなってくると、誰でもが師の役割を果たせるわけではなくなってきたのかもしれません。背中を見せても、何も感じない学生には背中を見せることが教育にはなりません。悪い生き方を見せた場合、何も感じない学生だったら害もないかもしれませんが、それを善としてひたすらに模倣する学生の場合にはどうでしょう。昔なら反面教師として、一代限りで終わっていた悪が連鎖的に複製されるという状況すら想定されてしまうかもしれません。

 極端な例ばかりで現実味がないと思われるかもしれませんので、ひとつだけ非常に現実的なお話をしてみたいと思います。

 学生は自分の指導教員を含めて、いろいろな研究者教員の「背中」を見ていると思います。私が学生の時もそうでしたが、そうした教員の多くがそれほど偉大な存在に思えないということがあると思います。もっと言うと、自分の方がはるかに研究者あるいは教育者として能力があると思えることがあります。まあ、多くの場合は学生の無知による傲慢に過ぎないのでしょうが、そう思うということは否定できません。もちろん、中には「この人にはかなわない」と思える人もいますし、そういう人に対しては、尊敬したり真似をしたいと思ったり弟子にして欲しいと思ったりして、がんばって乗り越えたいと思わないわけではありませんが、やっぱり自分よりも大したものではないと思える先生が意外にたくさんいると思うケースが多いのではないでしょうか。

 どう考えても自分よりも劣るように思われる人間が、こんなにたくさん大学の教員として教育研究者となっているのはどういうことだろうと思うとともに、それなら自分だって大学の教員になっても不思議はないと思う学生も多いのだろうと思います。

 これほど大学院生が増えてきて、冷静に数学的に考えると、ほとんどの大学院生が大学教員にはなれないということが計算できるにもかかわらず、大学院に進学し、しかも進学の時点ではかなり多くの学生が研究者(できれば大学教員か国公立研究所の研究者)になりたいと思っているという話を見聞きするにつけ、彼らが日々背中を見ている教員が「大したことない」というふうに感じているに違いないと思うことも多々あります。

 ただし、もしたとえこの判断が正しいとしても、その前に大きな壁があります。

 それは、今の研究者の世界では優秀な人間とそうではない人間をきちんと判断する全国共通のシステムもなければ、そうした人間を交換するシステムもないのです。例えば、私の研究室に私よりも明らかに研究能力も教育能力もすぐれた大学院生がいたとします。そして、あまりにもその学生が優秀なので私もそれに賛同して、研究室をその学生に委譲したいと思ったとして、私が辞職してその学生を私の代わりに研究室の責任者にすることはできません。

 学問の世界は非常にフェアですから、大御所と言われる大学の先生よりも大学院学生の方が能力があることがはっきりわかることもあったりしますが、その学生にきちんとしたポストを保障できるかどうかは別問題という状況があります。それはとても不幸でアンフェアなことではありますが、日本の科学・教育の世界における事実です。

 そこのところをなんとかするとともに、研究を始めようとする大学院学生に対しては、研究者になれるかどうかは研究や教育の能力だけではなく、運や人脈などが大きく作用しているということを説明しておかなければ詐欺になってしまうということを常々考えているところです。

 国家レベルで詐欺しちゃいけませんよね。
by stochinai | 2006-05-21 23:59 | 教育 | Comments(3)

チェーン交換

 今日もまた絶好のアウトドア日和でした。

 皆さまにご心配いただいているので、やらない理由が見つからない日でした。ガレージから冬用の自転車と、乗りつぶす前にスポークが折れてしまって長いこと放置していた自転車を引っ張り出してきて、チェーンの交換作業をはじめました。今、毎日乗っている自転車はこの2台とは違うものなので、最悪の事態に陥っても取りあえずすぐに困ることはありません。

 そんな気楽さもありましたが、今までやったことのない作業になりますので、自転車のメンテナンスの参考書とネットで数カ所のサイトを検索した後で、おもむろに作業を開始。

 チェーンをギアから外した状態で、昨日購入してきたチェーンカッターの登場です。工具としては非常に簡単でわかりやすい構造をしていますので、迷うこともなく30秒ほどでチェーンが「切れ」ました。
チェーン交換_c0025115_1822519.jpg
 意外なほど簡単で、ちょっと肩すかしです。しかも、注意書きどおりにピンを抜ききってしまわないように「寸止め」にすることができました。エッヘン。
チェーン交換_c0025115_18265915.jpg
 寸止めにしておかないと、後でつなぐ時にちょっとやっかいだとあちこちに書いてあります。ところが、こちらはダメなチェーンで捨てるものなので、実は寸止めにする必要はなかったものです。

 次に、使っていない自転車から部品としてのチェーンを外しにかかりました。こちらも何ということなく、ピンを抜くことができたのですが先ほどの作業で調子に乗っていたのか、ピンを抜ききってしまいました。

 確かに注意書きどおり、完全に抜けたピンを使ってつなぎ直すのにはちょっと苦労しましたが、それでもあれこれと試行錯誤しながら、10分くらいで押し込むことに成功。最後のところで、カチンという感触とともピンが完全に収まった時には、何とも言えぬ快感でした。

 中古のチェーンを使ったせいか、つないだところが渋くなっているということもなく、意外なほどあっさりと完成してしまいました。しばらく、近所を試乗してみましたが、自分で直したという気持ちがあるせいか、快適な走りでした。これで、次の冬も乗れそうな気がします。

 皆さんの励ましや、アドバイスが大きな力になり、成功のご報告をすることができました。ありがとうございました。
by stochinai | 2006-05-21 18:36 | 趣味 | Comments(1)

大人のおもちゃ

 中途半端に時間が余ったので、前から買いたいと思っていた自転車修理用具を買いに東急ハンズに行ってきました。買ったものはコレです。
大人のおもちゃ_c0025115_17393542.jpg
 この写真を見ただけで、これが何かわかった人はかなりの自転車マニアとお見受けします。

 これはチェーンカッターというもので、実は私もまだ使ったことがありません。

 値段も東急ハンズのオンラインショップと同じ、税込みで2415円でした。

 冬期間に乗っていた自転車のチェーンがはずれやすくなっていたので、調べてみると一部がねじれたようになっています。これは交換しなければならないと思っていたのですが、自転車屋さんにお願いすると、おそらく中古の自転車が買えてしまうくらいの値段になってしまいそうなので、遊びをかねて自分でやってみようと思っています。

 しかし、さすがにアマチュアが使うような器具ではありませんので、どうやって使うかというような説明書もついていません。ネットで調べてみると、例えばこんなところに写真入りの説明があります。これを見る限りは、なんとかなりそうに思えます。まあ、失敗してもとりあえずチェーンがダメになるくらいで、それほどのダメージはありません。

 明日の日曜日、天気が良かったら「自転車修理遊び」でもしてみようと思います。
by stochinai | 2006-05-20 18:00 | 趣味 | Comments(9)

愛すべき日本という国を

 今年もまた理学部総合博物館の前のクロフネツツジが美しい季節になりました。
愛すべき日本という国を_c0025115_21351211.jpg
こちらは去年の同じ場所の9日後の風景(クリックで拡大)
愛すべき日本という国を_c0025115_13172635.jpg

 誰でもが、そこそこ幸せに暮らすことができて、こんな風景をのんびりと眺めることができる国であるならば、子どもたちに「日本という国を愛しなさい」などと命令しなくても、みんなきっと日本を愛するようになってくれることでしょう。

 こんなにきれいな風景があるのに、そのまわりで小学生が遊び回り、中学生がスポーツをして、高校生がデートをし、大学生は読書をする。そんな光景が見られないのはどうしてなのでしょう。

 子どもたちは土日が休みと言っても、外で一緒に遊んでくれる両親がいるとは限りません。町内に一緒に遊んでくれる、お兄ちゃん・お姉ちゃんもいません。ひとりで遊んでいると、さらわれてしまったりします。

 小学校から英語を学ばせようということに母親の多くが賛成しているのは、子どもたちに受験で苦労をさせたくないからというだけの理由だと思います。国際化とか早期教育とかはどうでも良くて、苦労せずに高校・大学に入って欲しいということではないかと思います。

 どうして、高校や大学にはいらなければならないかというと、高校や大学くらい出ていないとその先に安定した生活が保障されないからです。最近それでも、ダメだったりすることもあるようですが。

 政府が競争を奨励して、落ちこぼれた「負け犬」の生活が苦しくなっても仕方がないなどということを言っているようでは、国民の一人一人が自分だけは浮き上がろうとお互いの足を引っ張り合うのも無理はないでしょう。

 なんとか生き残るために小学校から塾通いをさせられて、美しい日本の風景の中でのんびりと遊ぶことも許されないのに、その国を愛しなさいと言っても、それは無理というものでしょう。無理を強要して育てた子どもたちの何人かは、必ず社会に対して報復をするようになると思います。

 すでにその報復は始まっている、というのが私の見解です。教育基本法の改正と、教育現場における遵法指導その監視をすることは、さらに状況を悪くするような気がしてなりません。

 どうせなら、子どもたちをのびのびと育てるための法律でも作ってください。
by stochinai | 2006-05-19 22:02 | 教育 | Comments(2)

札幌農学校第2農場

 昨日、関東地方と神戸方面から研究打ち合わせのためにお客さんがいらしてくれました。

 向こうは梅雨の入り口なのかここのところ夏を前にうっとうしい季節になろうという時ですが、こちらはここからが一年でもっとも良い季節なので、研究の打ち合わせも大切ですが、北大・札幌・北海道を楽しんでくださいという気持ちもありました。

 幸い、昨日までの数日は北海道人としてはちょっと暑すぎですが、本州からいらっしゃる方にはちょうど良い暖かさということもあり、打ち合わせ会議の前後には北大の自然を楽しまれていかれたようで、幸いでした。

 そんな中、つくばから来られたM川さんが、これぞ北大らしい一枚という写真を送ってくださったので転載させていただきます。
札幌農学校第2農場_c0025115_1624520.jpg
 こうして写真にされてしまうと、さすが北大にはこんな牧歌的で美しいところがあるのか、という感じです。場所は全学教育センターの北側、遠友学舎に隣接する重要文化財「札幌農学校第2農場」の一部ですね。前を通り過ぎることは結構あったりするのですが、のんびりと中まではいって見る機会はほとんどないのですが、こうしてみると美しいですね。

 北大の美しさは、外から来られた人に聞くのが良いということが良くわかりました(^^;)。

 解説によると、右の建物は「釜場」、左の建物は「製乳所」だった建物のようです。

 朝もやの中を散歩でもしたら、最高ですね。
by stochinai | 2006-05-19 16:12 | 札幌・北海道 | Comments(2)
 オンラインで誰でもが自由に最新の論文を無料でアクセスできる学術専門誌で、質量ともに超高額の有料専門誌におとらないPlosBiologyの最新号におもしろい論文が載っています。

 PlosBiolgyというくらいですから、生物学の論文が載る雑誌に、まったく生物学とは関係のない「オープンアクセスになっている論文は、そうではない論文よりも引用される頻度が上がる」ということを示している論文が出ているのです。

 Citation Advantage of Open Access Articles というその論文はもちろん、世界中の誰でもが自分のコンピューターから全文を読むことができますし、pdfファイルも無料でダウンロードできますので、是非とも読んでみてください。原著を読むのはちょっとつらいということでしたら、同じ号にOpen Access Increases Citation Rate という編集者による解説記事があります。

 オープンアクセスというのは、とりあえず(ネット上で)無料公開することと理解しても良いと思うのですが、オープンアクセス論文と非オープン論文のどちらが、他の研究者により引用されやすいかということを科学的に証明するのはなかなか難しいので、どちらかというと両方のスタイルの支持者が自分の好きな論文発表方法が優れているのだと勝手に主張してきたというのがこれまでの経緯です。

 ところが非常に権威のある雑誌のPNASにおもしろいシステムがあります。PNASでは、基本的には購読者(あるいは購読機関サイト)しか全文を読むことはできないのですが、ところどころに青い色が付いているOPEN ACCESS ARTICLEというものがあります。これは著者が投稿する時に$1000払うことで、出版とともにオープンアクセスできるようになるというオプションを選んだ論文です。ただし、PNASは偉い雑誌なので、オープンアクセスになっていない論文も半年後からは誰でもが自由に読めるようになります。

 Citation Advantage of Open Access Articles の著者であるGunther Eysenbachさんは、この制度に目をつけてPNASでオープンアクセスになっている論文とそうではない論文が、どのくらい引用されるかを比較したのです。同じ雑誌の中にある論文の比較は、かなり客観的なものだ考えられますから、この結果は重要です。
OA articles compared to non-OA articles remained twice as likely to be cited (odds ratio = 2.1 [1.5–2.9]) in the first 4–10 mo after publication (April 2005), with the odds ratio increasing to 2.9 (1.5–5.5) 10–16 mo after publication (October 2005).

 つまり、オープンアクセス論文は印刷後の最初の4-10ヶ月で非オープンアクセス論文の2.1倍引用されるだけではなく、この雑誌は印刷後6ヶ月からはすべての論文がオープンアクセスになるにもかかわらず、10-16ヶ月後でも2.6倍も引用され続けるという結果です。

 いちおう、PNASに載る論文の学問的レベルは査読制度によってある程度以上に保たれていることを考えると、この引用頻度の差は最初の6ヶ月の間オープンアクセスにしたかそうではなかったかによると結論しても良いと思われます。

 自然科学研究者の論文は、インパクトファクターという魔物によって支配されていて、ポストや研究費を獲得する際に隠然たる力を持っているという現実があります。インパクトファクターというのは雑誌が印刷されてから2年以内にどのくらい論文が他の人に引用されたかということを元にはじき出している数字なので、今回の論文の「インパクト」は大きいものだと思います。

 この論文では、オープンアクセスを雑誌のサイトではなく、個人のサイトや機関リポジトリで行った場合にはどうかということにも言及していますが、効果がないわけではなさそうとは言えるものの、やはり雑誌に載った段階でオープンになっていることの効果には遠く及ばないとも解析しています。

 私としては個人のサイトで論文を公開したり、機関リポジトリで公開するということはいわゆるロングテイル効果や、あるいは個々人の研究をを個人レベルあるいは機関(大学)でとらえ直すということに価値があると思っていますので、この論文で言っているように出版直後の引用の改善に役立つというような視点はちがうのではないかと思っていました。

 そういう意味でも、この論文は、オープンアクセスについてなんとなく思っていたことを「科学的に証明」してくれたという点でとても力づけられる解析をしてくれたと思います。

 やはり、科学論文は無料で世界中の人に公開されるべきなのです。しかし、それでは出版社が損をして雑誌が出せなくなるというのなら、出版社なしでそれを可能にする道を模索すべきです。

 そして、それを実現しているのがこの論文の載っているPlosJournalsなのです。答は出たと思いませんか。

【追記】
 そうなんです。こういうしくみは悪くはないのですが、その周辺で生活している人の収入を確保しておかないと、このしくみ自体を維持することが難しくなります。というわけで、マルセルさんの「どうやって御飯を食べるのか?」を読んで、またみんなで考えましょう!
by stochinai | 2006-05-18 22:16 | 科学一般 | Comments(9)

しだれ桜とCoSTEPの思い出

 昨日・今日と札幌としては真夏の「暑さ」です。この時期に25℃を越えるとほんとうに暑いです。この暑さで、いろんな樹木が一気に花を咲かせています。ライラックも、数日後から始まるお祭りに余裕で間に合いそうです。花の好きな人は、心が乱されてしまっていることでしょう。

 昨年は5月21日に撮影していました。去年の写真を再掲します。
しだれ桜とCoSTEPの思い出_c0025115_1345626.jpg
 大型電子計算機センター前のしだれ桜です。今年はアングルを変えて、横から撮ってみました。やはりこちらからみると、厚みがあって艶やかですね。
しだれ桜とCoSTEPの思い出_c0025115_21282128.jpg
 今日は理学部同窓会の総会がありました。昨年から理事をしている関係上、総会とその後の懇親会にも参加させていただきました。昨年もそうだったのですが、会員数5000以上を誇る理学部同窓会の総会なのですが、参加者は20名弱です。聞くところによると、この状態は20年くらい前からなのだそうです。異常に少ない参加者と言えると思うのですが、地学と生物(動物・植物)が圧倒的に多いのはどうしてなのでしょう。

 さて、昨年も総会・懇親会に参加したのですが、思い出してみると懇親会は最初の15分間くらいしか居ることができませんでした。その理由はCoSTEPの立ち上げ会議が6時からあったからです。JSTの振興調整費採択が発表されたのが6月1日ですから、採択の内示があるかないかという時期だったのではないでしょうか。

 たとえ採択されたとしても、ほんとうに科学技術コミュニケーター養成ユニットなどというものを立ち上げてやっていけるものなのかどうか、S山さんを囲んで3人の運営委員が会議を重ねながらも、希望よりも不安が多かった時期だったような記憶があります。

 それが、その後数ヶ月で特任の教員・研究員を決め、受講生を募集し、開講し、、、、、ということを思い返すと、この1年でその名前すらなかったCoSTEPというものが、とてつもない展開をしてくれたことにしみじみと思い至ります。あれから1年経ち、リストにすら上がっていなかったCoSTEPの主要メンバーは、研究発表のために今韓国にいるのです。

 今年は最後までじっくりと参加させていただきながら、途中退席した昨年の懇親会を思い出し、ほんとうに怒濤のような1年だったと、改めて噛みしめています。

 ほんの1年という時間で、ほんとうにすごいことができることもあるのですよ。
by stochinai | 2006-05-17 22:02 | 札幌・北海道 | Comments(3)

M姫の夕日

 落ちようとする夕日があまりにもきれいだったので、ポプラ並木まで見に行くことにしました。ポプラ並木の西側は農場なので、とても見晴らしが良いのです。

 と、向こうからひとりの女性が歩いてきます。逆光だったので、あまり良く見えなかったのですが、なにやら微笑んでいるようです。とりあえず私も微笑みをお返ししておいたのですが、接近してみるとなんと創成研のコーステッパーMさんでした。

 私はのんきに夕日を見に行こうとしていたのですが、Mさんは創成サロンの演者との交渉に駆け回っている途中とのことでした。

 しかし、夕日が沈みそうだったので私は落ち着かず、立ち話もそこそこになってしまいMさんには、失礼なことをしてしまいました。

 ポプラ並木にはたった2人しか観光客がおらず、暖かい春の静かな夕暮れに眺めることができた夕日の沈むさまは、とても美しいものでした。
M姫の夕日_c0025115_21343450.jpg

 というわけで、お詫びもかねてMさんへ捧げる写真を一枚アップロードさせていただきますので、これでお許し下さいm(__)m。
M姫の夕日_c0025115_21182865.jpg
M姫の夕日

by stochinai | 2006-05-16 21:26 | 札幌・北海道 | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai