5号館を出て

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早期退職する教員

 先ほど7時半からやっていたNHKのクローズアップ現代を、見るともなく聞いていましたが、公立学校(小中学校?)の先生の5割以上(7割くらい?)が、退職年齢を迎える前に辞めているのだそうです。

 別に不思議とは思いませんでした。私も経済的になんとかなるのならば、辞めても良いというか辞めたいと思っている人間のひとりです。

 今の日本の教育現場は、そこで働いている人間の意欲をそぐことのほうが、励みになることの100倍くらい多いという実感があります。

 教育現場に限らず、誰だってまだ元気のあるうちに退職して、楽しいリタイア生活を送りたいと思うのではないでしょうか。ましてや、職場にあるのは上と下からのプレッシャーで、給料も年々下がっていくし、大学あたりだと働く意欲をかきたてるかなりの部分を占める研究をするための資金が毎年10%くらいの勢いで減少しているのです。私のまわりを見渡しても、辞めたいということを思ったことのない人を探すのが困難だという実感があります。

 それでも辞めないのは、生きて行けないからです。

 昔、アメリカの大学の先生と話したときには、できるだけ早く退職して人生を楽しむのが幸せというものなのだとおっしゃる人が多かったように思います。その頃は私も若かったですし、日本のだ大学もこれほどひどくなかったですからいまいちその気持ちを理解することが出来なかったのですが、今ならとても良くわかります。

 もう命の火が消えようとする頃になってようやく働かなくても生きていけるようになったとしても、それがなんだというのでしょう。なるべく、早くに辞めることができる方が幸せというものではないでしょうか。

 もちろん、今の私は普通に生活するのに不自由しないくらいの給料をもらっており、それが公務員的優遇だと言われれば、そうかもしれませんとお答えします。しかし、どこかの総裁のようにどうせ使わない1千万円を寄付のような形で誰かに預けて、それが2.5倍になって戻ってくるなどという生活ができるほどの給料などもらっているわけではありません。

 それでいながら、政府関係機関からは運営交付金や給料を着々と減らされている上に、いろいろとやらなけらばならいサービスの要求が増えています。さらに「国民の皆さま」からは、「公務員」は働きもせずにたくさんの給料をもらいすぎているので減らせというような圧力もかかってきています。

 小学校や中学校の先生だと、その上に子供たちを清く正しく美しく、そして上級の学校に入学できるような学力をつけることも要求されている毎日なのだと思います。

 辞めたいと思っても何の不思議もありません。

 もちろん、辞めることで給料がもらえなくなるわけですが、そのことよりも辞めることを選ぶ人が大多数になっている職場、しかもそれが初等・中等教育を担当する先生たちの職場だというこの国って大丈夫なのでしょうか。

 もちろん、大丈夫じゃないですよね。
by stochinai | 2006-06-21 22:56 | 教育 | Comments(3)

持続不可能な自治体

 夕張と言えば、北海道の町の中では比較的全国的に知名度の高いところだと思います。

 夕張国際ファンタスティック映画祭を知らない人でも、夕張メロンくらいは知っている思います。

 ちょっと前のことを知っている人なら、夕張を舞台にした山田洋次監督の「幸せの黄色いハンカチ」という映画を思い出すかもしれません。と言いながら調べてみるとなんと1977年の映画でした。ちょっとどころではなく、40台より若い人なら知らないほど昔の話ですね。

 我々が、小学校の頃までの「大石炭時代」には、九州の筑豊炭田と並ぶ石狩炭田にある中心の炭坑である夕張は非常に勢いのある町だったと聞いています。

 その夕張が、いわば地方自治体として財政的に破綻状態に陥ってしまい、市長は「自力での財政再建は困難と判断し、法の適用を受けた財政再建団体となり再建計画の策定に取り組む重大な決断」をしたと市議会で発表しました。

 財政再建団体になった地方自治体は夕張が初めてというわけはなく、また市も破産するということは頭では理解できるのですが、会社が破産したときには社員が路頭に迷うということに納得できても、ただ単にその町に住んでいて税金を払っていた市民が破産した市と運命をともにするという状況がなんとも理不尽に思えます。

 札幌に生まれ札幌で育った私には、生まれ故郷というものは親と同じように選べるものだという感覚はありません。つまり、ある町が私の故郷であることは生まれる前から決まっていることであり、この町はもうダメだから他へ移るということは、この親はもうダメだから親を取り替えることができないのと同じくらい不可能なことのように感じられます。

 それを郷土愛と呼ぶことができるのかもしれませんが、愛などという甘い言葉で語ることのできるものではなく、どちらかというと生まれながらに持たされた原罪のようなものに思えます。

 そういうつながりを持った故郷が「破産」してしまうということに、夕張の市民のみなさんが感じているであろうやりきれなさを思うと、胸がつまります。

 そういう町を救うことのできる、そして救わなければならないものが「国」という制度ではないかと思います。国だって、すでに破綻しているのだからそんな小さな町のひとつやふたつがつぶれるのは当たり前だというような議論には嘘があると思います。なぜなら、夕張よりもはるかに負債が多い国はつぶれることなく、税金を集めてはどんどん使うことを繰り返しているからです。

 夕張を日本の国の一部とみなして一緒にがんばるのか、国全体からみると切り捨てるべき病巣と見るのか。私は、前者の行き方を指向してくれる政治家を支持しようと思います。
by stochinai | 2006-06-20 21:27 | 札幌・北海道 | Comments(15)

持続可能なブログ

 いつも勉強をさせていただいている橋本大也さんのブログ「情報考学 Passion For The Future 情報技術+書評+日々雑感」さんのところで、そのものズバリの「持続可能なブログ会議 報告第2弾」というエントリーが書かれています。

 「持続可能なブログ会議」というのは、情報考学ブログのエントリーが1000に達しことを記念して、「Blog Sustainability 情報発信を長く続ける秘訣」という副題のもとに開かれたイベントだそうです。その中で橋本大也さんが「ブログ千夜一夜」というの基調講演を行ったらしく、その時に使われたパワーポイントが公開されました。

 予稿にはこのように書いてありました。
ある統計によると、世界には1千万以上のブログがありますが、3分の2のブログは3日坊主で終わるそうです。一ヶ月続くのは○%であり、1年続くのはわずか○%のブログに過ぎません。作ることは簡単でも、続けることが難しいのです。(この数字は当日、紹介します)

毎日、情報発信を長く続けるメリットは明らかです。常連読者が増え、信頼が増します。縁者ができればリンクも増えるでしょう。そして1記事のブログよりも、1000記事のブログの方が1000倍も検索エンジンにみつけられやすいと言えます。

ブログを書くのが当たり前になった今、”持続可能な”が新しい論点になっていると思いました。そこで本イベントでは、ブログなどの情報発信を何年あるいは何十年も続けた実績を持つ方々をゲストにお招きし、その秘訣を共有したいと思います。

 気がついてみれば、私がエキサイトブログに移ってきてから書いたエントリーが817(これを入れると818)になっておりますので、まあまあ持続可能なブログのひとつになっているのかもしれません。

 振り返ってみると、良くもこんなに続いているものだと思わないこともありませんので、ここらで橋本さんの講演を参考に私のブログ・サステイナビリティを振り返ってみるのも一興かと思います。

 さて、いよいよ本題のパワーポイントを見てみましょう。

 まず、橋本さんの定義で、持続ブログとは365エントリー以上続いたブログのことだそうです。毎日書くとしたら1年続いたブログのことですね。私もクリア。で、今や日本にどのくらいブログがあるのか知りませんが、橋本さんは110万以上のブログサイトを調査したのだそうです。その結果、365以上書き続けているブログはわずかに14240件。約1%、100人に1人ということです。

 逆に3エントリー未満のブログを三日坊主ブログとみなすと、それが14%にもなるそうです。まあ、ブログを始めたものの約2割くらいの人は三日坊主で終わると解析しています。

 他にも、いろいろと解析しているようなのですが「では、持続ブログと平均ブログの違いは?」という本題に入ります。
持続ブログはタイトルが1.5倍長い
• 持続ブログのタイトルの平均文字数
– 15.2文字
• 平均ブログのタイトルの平均文字数
– 10.6文字
 タイトルが長いというのは、タイトルだけを読んでも中味が分かるように気を遣っているということかもしれません。
持続ブログは本文が1.7倍長い
• 持続ブログの平均本文文字数
– 1760文字(HTMLタグを含む。)
• 平均ブログの平均本文文字数
– 1057 文字(HTMLタグを含む)
 まあ、このあたりはなんとなくわかるような気がします。書く力のある人だから毎日書けるということかもしれません。

 で、橋本さんが持続可能なブログとして気をつけていることが、次の3つだそうです。
• 目指さない
– 淡々と。継続は目標でなく結果。ライバルなし。
• 習慣化する
– 起きる、食べる、テレビ見る、トイレ行く、ブロ
グ書く、寝る。やらないと物足りない感。
• 最小コストで最大に書く方法を開発する
– 情報収集、整理、分析、伝達の方法論を持つ
 習慣化するというのは良く分かります。書かないと落ち着かなくて、眠れないというところまで来たら、間違いなく持続可能になるでしょう。(というか、もう病気かも?)

 情報考学らしく、テクノロジーにも言及します。こんな道具があると、続きますよ、ということらしいです。(カッコ内は私の補足です。)
1. パソコンの中身を高速検索する(Googleデスクトップ検索のようなもの?)
2. いま見ているWebの情報をクリップボードへ一発コピー(いろいろソフトがあるようです)
3. 気になるものを簡単にクリッピング
4. アイデアをカタチにするアイデアプロセッサ(最近は以前ほどはやらなくなりました)
5. パソコンの画面を画像として切り出す(ウィンドウズの機能にもありますが、使いやすいフリーソフトがあります)
6. クリップボード履歴を保存してデータベース化
7. ネットから漏れなく情報を集める最強ニュースリーダー(RSSリーダーのようなものですね)
 まあ、このあたりは道具ですから、それぞれの人の好みがあると思います。

 その後は、パワーポイントだけ見ても良く分からない話が続きますが、結論としてはやはり「方法論と道具より大切なもの それが習慣化」なのだそうです。

 おそらく、これしかないですね。毎朝、歯を磨く習慣が持続可能ではないという人はそんなにいないでしょうから、ブログを書くことが習慣化したらどうということもなく持続可能になるのだと思います。

 では、どうやって習慣化するか、、、、。その答は、ひ・み・つ。

#この話にはオチがあって、橋本さんの解析にはエキサイト・ブログは含まれていませんでした。つまり、私達は議論の外ということで、、、。
by stochinai | 2006-06-19 23:14 | コンピューター・ネット | Comments(6)
 勝っても負けても不思議のない試合でした。引き分けは極めて妥当な結果だと思います。

 前のオーストラリア戦と比べると、最後の最後にスタミナが切れてきている時に良く持ちこたえたという気もしますが、クロアチアにも同じことが言えるので、あいこです。

 スポーツという贅沢な娯楽にはあまり惹かれることのない私ですが、ワールドカップサッカーにはなんとなく好感が持てるのは、1ヶ国1チームしか出ていないので、国の名前の出現頻度がオリンピックなどの場合のように、アメリカやロシアなどという超大国の存在が鼻につかないということがあるのかもしれません。

 経済的・軍事的に見たら、文字通り「取るに足らない」小国が次々に胸のすくようなプレーで勝ち抜いていく様子は、まさに「公平」というものはこういうものだと感じられます。

 ワールドカップの参加国を見ていると、日本は経済や科学技術、教育などにおいてはかなり恵まれた方の国であることがすぐに感じられますが、そんなこととサッカーが強いことは何の関係もないというところがとてもフェアな気がするのです。

 翻って今の日本では、あらゆることが経済力と連動していると信じられています。お金があると、高い教育を受けられて、結果的に高い収入を得られる職に就きやすく、もちろんお金にものを言わせて、優雅な衣食住が保障された生活をすることができます。場合によって、子どもの頃からの早期英才教育によって、スポーツや芸術の才能すらも引き出される可能性が高いと思われているのが、日本という国の現実であるような気がします。

 でも、それは本当に「現実」なのでしょうか。

 小学校にも通えず、満足に食事すらすることもできない国で育った子どもたちが、信じられないほど素晴らしいサッカーのプレーヤーになっているというような話を聞きながら、そうした国の選手たちのスーパープレーを見ると、「そうだよね。世の中にはお金では買えないものがあるんだ」という声が非常に説得力を持つことが感じられるのです。

 しかし、試合が終わって日常に戻った時に、日銀の総裁ですらお金に踊らされている国の現実に向き合うと、やはり「お金で買えないものはないでしょう」という日本の姿が揺るぎなくそこにあることを感じてしまいます。

 お金が力を持ちすぎるようになっているこの国の子どもは、夢を持つという意味においてはかなり下位に属する国なのかもしれないと思わされるワールドカップサッカーなのでした。
by stochinai | 2006-06-18 23:58 | つぶやき | Comments(4)

ペンギンカフェ

 今日はCoSTEP修了生(コーステッパー)が自主的活動として立ち上げたサイエンスカフェ(名付けてペンギンカフェ)の第1回目が開かれました。これは運営メンバーのNさんが作ったカフェの代表であるペンギン・ボルテール君のロゴです。素晴らしい!
ペンギンカフェ_c0025115_126778.jpg

 昨年までCoSTEPの実習として、サイエンスカフェを取っていた修了生たちが、その経験を生かすとともに、さらに新しいスタイルのカフェを模索して試行を開始したものです。

 何が新しいかというと、まずはその趣旨をお読みいただきたいと思うのですが、このスライドにその背景となる「思い」が示されています。
ペンギンカフェ_c0025115_124371.jpg

 もはや珍しいものではなくなりましたが、日本のあちこちで行われているサイエンスカフェの多くは、主催者がゲストをお招きしてカフェを企画し、参加者は基本的に広報によって集まった方々を定員までは特に参加者のパーソナリティなどで選別することなく受動的に受け入れるという形態をとっているものが多いと思います。ペンギンカフェでは、そうした常識に敢えて挑戦し、招待制で参加者を集めることにしました。

 初回ということもあり、主催者側の不手際や、当初期待していた招待者がさらに新しい参加者を招待するというシステムがうまく機能しなかったこともあり、30名くらいはいてもいいのではないかと想定していた参加者はわずか24名ではありましたが、その分中味の濃い「全員参加」のサイエンスカフェができたと思います。外国の方も3名いらっしゃいました。(かなりの数の招待し忘れがあることも発覚しつつありますが、可能性のある人全員を招待できるわけではないことを考えると、大変に申し訳ないとは思いますが、そこはご容赦願うしかありません。スミマセン。)
ペンギンカフェ_c0025115_1313870.jpg

 もちろん、反省すべき点や改善すべき点がなかったわけではありませんが、カフェの後で行われた反省会では比較的冷静に、今後のより良い展開のための方策が提出されました。

 はっきりと言えるのは、「参加者が作る」という形態のカフェですから、その内容も参加者の貢献に大きく左右されてしまうというところでしょう。多少は、参加者を誘導したり「サクラ」を用意したりするということも必要になるかもしれません。

 また、現時点で大きな心配として予想されているkとは、次回以降に参加希望者がふくれあがった時に、どのように対処するかという点です。、まだ多少の人数増加は可能ですが、このスタイルでできる限界はおそらく30-40人ではないでしょうか。

 贅沢な悩みではありますが、次回までには友好的かつ生産的にメンバーを絞り込む方法というものも考えておかなければならないと思います。

#早速、参加者からの感想(批評?)が寄せられています。的確な感想をありがとうございます。

#続いて、もうひとつ来ました。まったく、この二人の言うことはいつもなかなか鋭くてためになります。早々とありがとうございます。

#さて、今度はSalsaさんから主催者側からの報告も出ました。続編その1続編その2も出ています。

#さらに、参加者の方からの感想です。このくらい出てくると、参加していなかった方にも雰囲気が伝わり始めるのではないかと思います。

#19日昼現在、まだ未完成のようですがM姫からもレポートが出ました。これだとconyさんも出さなければなりませんね。決定版とも言えるかもしれないM姫レポートの続編はこちらです。

#いよいよ真打ち登場。今回のカフェの発端となった張本人が、落ち込んだり反省したり、また持ち直したりの報告をしてくれています。これで、次回へとつながりそうですね。
by stochinai | 2006-06-17 23:53 | CoSTEP | Comments(3)
 一ヶ月ほど前に、参院の超党派議員でつくる「自殺防止対策を考える議員有志の会」が議員立法で「自殺防止対策基本法案(仮称)」の成立を目指すという記事があり、初会合の席で自殺対策に取り組むNPOなど全国22団体が対策の法制化を求める要望書を提出したと書いてありました。

 その時にも、法律で自殺を防止するという発想にとてもついていけないものを感じていたのですが、なんとわずか一ヶ月足らずで、自殺対策を国や自治体などの責務とした「自殺対策基本法」が15日の衆院本会議で可決、成立してしまいました。

 確かに、この国は、8年も続けて自殺者が3万人を越えるという異常な国であることは間違いないのですが、それを法律で防止できると考えるところに大きな違和感を感じるというのは私がおかしいのでしょうか。

 最初に「自殺防止法」みたいな話を聞いたときに、「自殺をしたら死刑にするぞ」というブラック・ユーモアが頭をよぎったのです。

 自殺をする人の多くは、もはやこの国では生きていくことができないと絶望したから自殺するのではないでしょうか。それを、「自殺をするな」とはなんともむごい法律を作るものだと思った私の印象は誤解だったようです。新聞には次のように書いてあります。

 基本法は、自殺対策を国や自治体の責務と明記した。自殺は「多様かつ複合的な原因及び背景を有するもの」と定め、自治体や事業主には国などと連携し、地域や職場で対策を進めるよう求めた。

 具体的な対策の柱として▽自殺防止の調査研究、分析▽自殺予防の啓発や人材育成▽医療体制の整備▽自殺未遂者や自殺者の遺族、民間団体への支援―などを挙げている。
 つまり、国や自治体が自殺防止などの対策を講じるようにと求めている法律です。

 あえて調べるまでもなくこの8年間に急増した自殺の原因のひとつが、経済的貧困であることは間違いないのですから、もしも国にこの法律の精神を実現する気があるのなら、貧困にあえぐ多くの国民の経済状態を救うことが、自殺防止に最大の効果を上げることは間違いないと思います。

 しかし、現総理大臣が「私は、貧富の差があることは悪いことだとは思わない」というようなことを言っているということは、自民・公明の政府は自殺増加の根本的なところにメスを入れる気はないと言わざるを得ません。

 一方で、自由競争の格差社会を奨励しておきながら、もう一方で自殺対策基本法などというものを作っても、今の国の政策から考えると単なるアリバイ作りと思われても仕方がないでしょう。

 こんな実効性のない法律を作るよりも、本気で国民の生活を何とかするという政治を行うことが、自殺を減らす最大にして唯一の方策だと思います。

 建前だけの言葉遊びの政治は、もういい加減にしてください。

#週間金曜日な日々さんから「格差社会、どこが「米百票か」!」というエントリーをワールドカップ第2戦のエントリーにトラックバックしていただきました。こちらからはその記事に、このエントリーをトラックバックさせていただきます。
by stochinai | 2006-06-16 23:37 | つぶやき | Comments(5)

博士の就職活動

 いつも貴重な情報をいただいているvikingさんのところ(大「脳」洋航海記)で、「博士の就活って大変みたいですね」というエントリーが、昨日書かれています。その前に、まずはvikingさんのサイトに「ドクター(問題)関係のリンクを大幅に追加」されていることに感謝したいと思います。興味のある方は、そこから各ブログへ飛んでください。

 さて、vikingさんのところで引用されている「うすっぺら日記」さんのブログには、大学院生、ポスドクおよびその周辺にいる方々には是非とも一度は目を通していただきたい、「博士課程の就職活動について」というカテゴリーのエントリーがあります。

 管理人の分子生物学系博士課程在学中の大学院生lanzentraegerさんが、悩み抜いたあげくに就職活動を開始してから、おめでたいことに今年の3月に内定を取るまでの就職活動のドキュメントは、直接の関係者にとって有益な資料になっているだけではなく「民間に就職するとはどういうことなのか」ということを実体験に基づいて教えてくれる貴重な教科書になっています。(トラックバックはできないようなので、勝手にリンクを張らせていただきます。)

 大学院で博士課程まで進学する人の多くは、できるならば研究職、さらにできるならば大学教員になりたいと思っている人が多いと思います。修士での就職活動に失敗して博士課程に進学するという例がないわけではありませんが、そういう人を除くと一般的な就職活動とはどういうものかというイメージすら持っていない博士課程の大学院生が多いのかもしれません。

 確かに大学教員や国公立研究所の研究員などの公募に応募することも広い意味では「就職活動」ということになるのかもしれませんが、民間企業のしかも場合によっては研究職ですらない部門への就職を希望するというようなことになってくると、公募への応募などという世界からは想像もできないくらいの別世界へ乗り出して行く覚悟が必要になるくらい「常識」というものが違うのです。

 lanzentraegerさんの「就活日記」を読んでみると、確かに頭の切り替えには大変な苦労があったようではありますが、結果的には「就職活動」というものはきわめてあたりまえの「自分の売り込み活動」にすぎないのだということがわかります。

 そういう目で読むと、やはりおかしいのは大学や大学院・研究所のほうなのだと感じられます。つまり、たとえ大学院を出た人間であろうとも、就職活動というものは企業に自分を売り込むということですから、相手企業にとって自分がどのくらい役にたつ人材であるかということを説得する作業にほかなりません。つまり、就職活動が成功するかどうかは、そういう売り込みができるかどうかということがポイントになります。

 つまり、大学教員や研究所の研究員の公募の時のように、学歴と業績リストを送りつければ何とかなると考えるほうが異常だということが理解できるかどうかが、就職活動成功の鍵を握っているということでしょう。

 冷静に考えると、業績つまり研究能力だけで決めることが多い大学の教員の採用基準というものが明らかにおかしいのです。先日、某大学で新しく採用した助教授がほとんど学生に講義をする能力がないことがわかって困っているという話を聞きましたが、これなどは採用側が人事というものをまったく理解していないことを示しているエピソードだと思います。

 国立大学も法人化して、大学経営ということを真剣に考えなければならないところにきているはずです。もしも、それが額面通りそういうことであるならば、大学教員の採用も企業と同様の基準で行われるべきだということにならないでしょうか。営利主義ということではなく、「大学という企業」の経営にとって有益な人材を採用するということです。そうなってくると、単に研究ができるだけというような人材ではなく、学生の教育や指導さらには生活指導や就職の世話などができる人材が大学にとって必要だということになるはずです。

 もしも本当にそうなってくると、大学へ就職したいと思っても、民間企業に就職したいと思っても、志望する大学院生やポスドクには同じような能力が求められるということになってくるはずではないかという気もします。

 そうなってくると、大学にとっても学生・ポスドクにとっても楽になるのではないかと思いました。民間企業へ勤めるのと、大学で教員になるのが全然違うというのは、やっぱり異常なことですよね。
by stochinai | 2006-06-15 22:39 | 大学・高等教育 | Comments(4)

毎日新聞3連発

 ・サイエンスポータル:科学専門案内サイト、リンク先400以上

 サイエンスポータルは▽毎日更新する「ニュース」▽週1回更新する「特集」▽随時更新する「情報」から成る。ここを拠点にして研究所や報道機関、官公庁など422のサイト(公開時)に移動できる。
 ということで、サイエンスポータルにアクセスしてみたのですが、ここを自分のホームページにする気はまったく起こりませんでした。

 ポータルサイトっていうのは、ブラウザーを立ち上げたときに、最初にアクセスするように設定させる気分にさせてくれるものを目指して欲しいと思うのですが、このつくりでどのくらいの人がそういう設定にしたのか気になります。

#ここをホームページにしたら研究費をあげますとかいう付録があったら、すぐにそうするのですが、、、。

 ・ウイルス:「ヤフー・メール」を狙うワームが出現

 米ヤフーのウェブメール・サービス「ヤフー・メール」のぜい弱性を突いて感染を広げるウイルス(ワーム)が12日(米国時間)、みつかった。未知のぜい弱性が利用されたいわゆる“ゼロデイ攻撃”だったが、ヤフーが同日対処した。
 ヤフー・メールを使っている人は結構多いようです。私も、ある目的のために使っていますがなかなか便利な点もあります。

 しかし、こういう無料サービスの特徴として、何が起こっても文句を言う筋合いではないという気がするところがちょっと、と思います。

 いずれにしても、ネットにおけるリスク管理はリテラシーとして各個人が持っている必要はあると思います。

 今年の入学生からは、高校で「情報」の教育を受けてきたとかで、パワーポイントの使い方などは驚くほど巧みですけれども、ネット上の危機管理も習ってきているのでしょうか。気になります。

 ・プロ野球:日ハムの札幌ドーム開催試合、ネットで無料中継 16日からヤフーHP

 私はスポーツはやるものだと思っているので、見ることに関してはあまり熱心ではなく、せっかく札幌にできたコンサドーレ・サッポロや日本ハム・ファイターズに対しても、特にファンという立場にいる気もせず、時折肩身の狭い思いをしたりしています。

 まわりを見渡すと、とてもたくさんのコンサドーレ・ファンや日ハム・ファンがいらっしゃいますので、このニュースは朗報なのでしょうか。

 プロ野球、北海道日本ハムの札幌ドーム開催試合が16日から、インターネットで無料中継される。日本を代表するIT企業「ソフトバンク」(本社・東京)の子会社が、検索サイト「ヤフー」のホームページ上で行う。

  無料中継するのは「TVバンク」(東京都港区)。ネット中継が決まったのは、今季レギュラーシーズンの公式戦計26試合(6月17、18、30日の3試合は除く)。このうち3分の2の試合は生中継し、テレビ中継がある残りの試合は約1時間遅れで配信する。ADSLなどのブロードバンド環境があれば視聴できる。
 やくみつるさんなどは、臨場感がないのでテレビ中継の変わりにはならないとの意見だそうですが、北海道では伝統的にテレビでは巨人戦が中心なので、おそらく歓迎されるものと思います。

 私は、、、、どちらでも構いません(^^;)。

 
by stochinai | 2006-06-14 22:49 | つぶやき | Comments(2)

平成遠友夜学校

 今日は自分が発表の番でした。今までさんざん、人の発表の批評()をしていた手前、恥ずかしい発表をするわけにもいかず、またお客さんに知的社会人の方が多いことも知っておりましたので、昨日・今日と二日間をかけて準備をしました。

 夕日を背にしながら、お客さんの顔がしっかり見える状態での講演は、それなりの緊張感もありましたがなかなか楽しいものでした。

 CoSTEP関係者や、地球環境研関係者の皆さんにもわざわざお越しいただきました。ありがとうございました。

 専門分野の話だけで終わらせるわけにもいかず、科学者であると同時に社会人・市民として、自分はどのように考えるかという、ある意味で科学者としては「危険行為」とも取られかねない話もさせていただきました。

 講義室では、ほとんど話すことのない部分が半分くらあったと思いますが、話してみると意外と楽しかったことも事実です。

 話し終わったところで、校長先生のFさんが口上を発せられて「都ぞ弥生」の一番と五番を合唱。素面で「都ぞ弥生」歌うのは40年ぶりくらいだったかもしれません。

 そして、お茶とお菓子の懇談会。そこでのディスカッションもなかなかおもしろかったです。

 久しぶりに歌った「都ぞ弥生」の1番と5番を転載して、今日の締めとします。

都ぞ弥生(明治四十五年寮歌)
横山芳介君作歌
赤木顕次君作曲



都ぞ弥生の雲紫に 花の香漂ふ宴遊(うたげ)の筵(むしろ)

尽きせぬ奢に濃き紅や その春暮ては移らふ色の

夢こそ一時青き繁みに 燃えなん我胸想ひを載せて

星影冴かに光れる北を

人の世の 清き国ぞとあこがれぬ



朝雲流れて金色(こんじき)に照り 平原果てなき東(ひんがし)の際(きわ)

連なる山脈(やまなみ)冷瓏として 今しも輝く紫紺の雪に

自然の藝術(たくみ)を懐(なつかし)みつつ 高鳴る血潮のほとばしりもて

貴(たふ)とき野心の訓(をし)へ培ひ

栄え行く 我等が寮を誇らずや

by stochinai | 2006-06-13 21:56 | 大学・高等教育 | Comments(8)

ワールドカップ初戦

 ワールドカップ対オーストラリア戦。

 たった今、同点に追いつかれてしまいました。実力的には差があるようには見えませんので、ほんのちょっとしたことで点がはいったり、はいらなかったりするの仕方がないという気がします。

 選手は本当に一所懸命にやっているのも良くわかりますが、疲れて足がもつれているのも見て取れますので、画面を通しても痛々しい感じがします。

 と書いたところで、オーストラリアの2点目が入りました。この時間でこうしたキックが出るところを見ると、疲労度あるいはスタミナに差があるのかもしれません。

 ロスタイムに入ったところで大黒が投入されましたがあと3分、なんとかなるでしょうか。

 同点にされたときに、なんとなく日本は引き分けでもいいかという雰囲気が感じられたのが嫌な感じでした。

 と書いたところで、なんとオーストラリアに3点目が入ってしまいました。ほとんどディフェンスがいない状態に見えますので、ヘタをするともう1点くらい入れられても不思議はないという気配も感じられます。

 と、ここで試合終了。

 最後の数分でガタガタになってしまったというところだと思います。

 1点を守ろうとしたのでしょうか。

 気持ちはわかりますが、追われる身になって守りに入ったらこういうことも起こりえそうな気がします。

 選手としては、血の気が引いた気分だと思いますので、この後はどうやって気持ちを立て直すかが今後の分かれ目になると思います。

 短期決戦はつらいですね。私のように気の弱い人間にはとうてい耐えられない世界ですが、現場にいる選手の皆さんには、なんとか戦い抜いてもらいたいと思います。
by stochinai | 2006-06-12 23:58 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai