5号館を出て

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 このところ札幌は肌寒い初夏が続いているのですが、今日は昨日までの雨模様は去って、なんとか曇りで持ちこたえた日曜日でした。

 ひさびさに庭仕事でのんんびりできました。この肌寒さは、短い夏しかない北海道の植物たちにはちょっと厳しいものになりそうな悪い予感(冷害)もありますが、庭で仕事をする身にとっては涼しくてなかなか快適なものです。

 おかげで、草取りや春咲き樹木の剪定、鉢ものの植え替えなどなど、しばらく気になっていた仕事をほとんど片づけることができました。

 さて、タイトルのバックヤードとは「裏庭」という意味ですが、園芸をやっている人間にとっては人に見せる表舞台としての花壇などに対して、そこに出す前の苗や未完成の植物や、花期の終わった植物などを人目にさらすことなく管理するための「舞台裏」のことです。

 このバックヤードというものがあると、植物の管理が格段に楽になります。個人で楽しんでいる分には、別に花壇に見苦しくなった植物があっても問題はないのでしょうが、いちおう来客の目に触れる可能性が高い表の庭をそんなに乱れた状態で放置するわけにもいきませんので、人目に触れさせたくないものはどんどんバックヤードに隠居させておけばよいのです。

 臭いが出たり見た目もいただけない堆肥を作ったりすることも、人目を気にせずにできます。場合によっては、物置の代わりに使うこともできます。ただし、ものの置き場にすることはできるだけ避けるようにしないと、本来の用途である植物たちの養生の場所を圧迫してしまうことになるので気をつけなければなりません。

 庭仕事をしながら、人間生活にもこのバックヤードがあればいいのにと思っていました。

 人目にさらされずに、しばらく陰で生活しながら力を蓄えたり、充電したりできたら、いろんな意味でやり直しがやりやり易くなると思ったのです。

 日々の生活の中ではなかなか時間をかけて充電したりすることはできません。一応、制度的には有給休暇などと言うものもありますが、休暇を取るということ自体が目立つことであり、植物がバックヤードで養生するように人目に付かずに取ったりするわけにはいかないものです。

 自分の充電のためではない育児休暇ですら、それを取ることがその後のキャリアに影響してしまうという現実がある今の日本では、「しばらくバックヤードで養生してきます」ということはなかなかできない相談なのです。

 そうだとすると、バックヤードで養生しているわが家の植物たちの方が、私たちよりもずっと幸せなのかもしれないなどと考える日曜の午後なのでした。
by stochinai | 2006-06-11 23:49 | 趣味 | Comments(2)

薬草園のミズキ

 理学部へ行く途中で毎日通る道に薬草園があります。
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 大きな木にうっすらと雪が積もったようにみえます。
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 冠のような花が葉の上側に密集しているので、遠くからみると雪のように見えるのでした。もう、そろそろ散り始めているようです。
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 木の名前はミズキでした。
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 薬草園に植わっているところをみると、何か薬効があるのでしょうか。

 それにしても、こんな巨木が花で満ちあふれていると迫力ですね。
by stochinai | 2006-06-10 23:59 | 趣味 | Comments(2)

学会発表要旨

 つい先日、発生生物学会広島大会が終わったばかりですが、来週には動物学会島根大会の申し込みの締め切りが迫っています。

 最近はどこの学会もそうなのですが、締め切りまでに参加申し込みをした場合には、参加費や懇親会費が安いことが多く、申し込みの締め切りを忘れてしまうと、当日参加と同じくペナルティの料金(だいたい1000円くらい割高)になってしまうので、締め切りは厳格に守るようになってしまうのは貧乏人の性ですね。

 学会というものは研究発表の場ですから、発表するためには講演の申し込みをしなければなりません。そのために、ほとんどすべての学会で講演要旨というものの提出が義務づけられています。講演要旨の提出は学会期日の3ヶ月くらい前ということが多いのですが、学会での発表というのは最新の研究発表のことが普通なので、申し込みから発表までの期間が3ヶ月もあると現時点で持っているデータと比べると比べものにならないくらい多くのデータが得られることが多く、学会要旨ではこれから3ヶ月かけて取るデータのことも織り込んで要旨を書くことが多いものです。

 ところがこれがなかなか難しく、予想を上回ってたくさんのデータを持って学会に乗り込んで行ければ言うことはないのですが、このくらいは確実に出るだろうという想定で要旨を書いたものの実際にはなかなか思ったような結果にならないことが多いものです。それでも、予想していたほどデータが取れなかったというような程度だとまだ良いのですが、場合によっては要旨を書いていたときに思っていたことと、まったく逆の結果になってしまうというようなことも時々起こります。

 そういう経験を何度かすると、講演要旨の書き方もだんだんと経験に裏打ちされたしたたかなものになりがちです。

 書く方としては、多少予想と違ったデータが出てもそれほど恥ずかしい結果にならないような玉虫色の要旨を書くこともあるのですが、講演要旨というものはある意味で講演を聞きにきてくれたりポスターを見に来てくれる「お客さん」を引き寄せるための勧誘ビラにもなりますので、曖昧なことだけを書いていては宣伝効果が薄く、さりとて結果的にウソを書いてしまうことになると、恥をかくだけではなく科学者としての資質を問われることにもなりかねず、いろいろと悩むものなのです。

 というわけで多くの場合、実際に実験をやっている学生は申し込み締め切りのギリギリまで実験を繰り返して、なんとか「ウソ」をつかずに済むように努力しますし、その要旨をチェックするこちらとしても、あと3ヶ月でこの学生ならどこまでできそうかをにらみながら要旨を作り上げるというギリギリの調整を行うのです。

 動物学会に関しては、あと数日の攻防戦の最終段階に入ってきました。なかなか要旨が出てこないのを待つ身もつらいのですが、実際に実験をやりながら結果を検討し要旨の原稿を書く学生はもっと追いつめられた心境にいるに違いありません。

 でもまあ、3ヶ月後の華やかな発表の成功を夢見ながら、大風呂敷にならないように、さりとて何の魅力も感じられないようなものにもならないように、推敲に推敲を重ねて魅力的な要旨を書い欲しいと思います。

 これからの実験計画とそこから出てくる結果の見通しと、それらを織り込んで人を惹きつけられる(つまり、他人が読んで興味をそそられる)要旨が書けるかどうか、さらに当日どのような発表をするのかということのすべてが総合的に判断されて「あいつはできる」と思われるか、「なんだかねえ」と思われるかというのは、非常に厳しい審判になります。

 学生でさえ、これだけ厳しい状況に置かれるのですから、科学者は怠慢だからもっと激しい競争にさらさなければならない、などと簡単に言ってしまうようなお偉いさんとは、なかなか気持ちが通じないものです。科学の世界は、けっしてぬるま湯などではなく、昔から厳しい状況に置かれていたことをわからない人が「科学政策」などを決めてしまっては、ほんとうに迷惑します。

 まあ、愚痴はともかく、最後の追い込みですから、みんなで頑張りましょう!
by stochinai | 2006-06-09 23:52 | 科学一般 | Comments(2)

学歴難民クライシス

 一昨日、歯医者に行った時に待合室にあるニューズウィークを見て、愕然としてしまいました。6月7日号(5月31日発売)の表紙に、小さな船の上で荒海にもまれる高学歴者たちの絵が描かれ、「学歴難民クライシス 就職できない一流大学卒が急増」と書いてあります。中には「世界にあふれる高学歴難民」というスペシャルレポートが載っています。

 記事を読んでみると、京都大学の博士課程で動物生態学を研究した女性が、就職活動に失敗し社員7人のアパレル会社の事務員として働くようになったというエピソードから始まっています。モデルがいるのかもしれませんが、仮名の主が実在するのかどうかは不明です。

 グラフによると、日本の大学進学率は今アメリカと並んでいるのですが、イギリスや韓国はそれをはるかに上回る勢いで進学率が増加しており、大学卒業者の就職難は世界的な問題になっているようです。

 それでも、まだ大学卒ならばそれなりに自分を知り、マッチした会社を選ぶならばなんとかなりそうな状況なのかもしれませんが、大学院に関しては予想通り厳しいことが書いてあります。
 大学院進学者となると、さらにハードルは上がる、企業が知りたいのは、研究を通して見えてくる取り組み姿勢や思考能力。それをはき違えて自分の研究内容を詳細にアピールされても「いちいち理解できないし、鼻につくだけ」と、さきの採用担当者は言う。
 
 社会とのかかわりが人より少ない分、コミュニケーション能力に欠け、専門分野以外への視野が狭いのではないかという心配もつきまとう。その先入観をはね返すだけの力があり、さらによほどのプラスアルファがなければまず採用しないという。
 ここはかなりの偏見に満ちた文章だと感じますが、我々大学関係者以外の方が読んだ場合には「やっぱり」という感想を持ってしまうのではないかと不安になります。大学院卒業生は、これが社会の一般的な理解である可能性も織り込みながら、自分を売り込んで行かなければならないということです。

 また、大学で学生を見ていて、いささか不安に感じていることもズバリと指摘されています。
 就職活動の逃げ道として進学を選ぶものも少なくない。労働政策研究・研修機構の05年秋の調査によれば「未内定・就職活動をしていない・停止した」と回答した大学生の51.5%が進学を希望していた。不況だと大学院進学や留学が増えるのはアメリカや韓国でも同じ世界的傾向だが、日本では90年代の不況期から顕著になってきた。
 リクルートワークスの大久保さんの言葉は辛辣です。
「民間企業で大学院が評価されないのは常識のはずなのに、それでも受けに来る志望者は何を考えているのか、企業は理解に苦しんでいる」
 アメリカなどでは高学歴になればなるほど就職には有利になると聞いていますので、この言葉は、日本企業の後進性を示しているとも言えるのですが、企業側に言わせると「日本の高学歴者は使えない」のだそうです。雇う側がそう言っているのでは、どうしようもありません。

 もちろん、大学が大学院で社会のニーズにあった学生の教育をできていないのも事実ですし(というか、そんなことを考えている博士課程後期の大学院はまだほとんどないと思います)、国の大学院重点化という大増員計画にも原因があります。

 だからといって、現に大学院に在学している人やこれから大学院を目指そうという人は、こうした状況をしっかりと把握した上で、大学院在学中に自分で自分を民間企業にも売り込める人材として磨き上げていくしかないと思います。

 月曜日に私は、大学院修士の1年生に「大学院での研究をどのように進めるか」という講義をすることになっています。私の主張は、毎年変わらないのですが「大学院では、基本的に研究のやり方しか学ぶことができないので、自分なりにそれを自分の価値を高めるために賢く利用しよう」ということです。

 大学院問題は、国も大学も教員も学生も企業も、そして社会全体も、みんなが揃って責任を分かちあっているだけに、簡単に解決しそうもないということだけは間違いないようです。
by stochinai | 2006-06-08 22:08 | 大学・高等教育 | Comments(16)
 貧乏研究室なものですから、備品になるような機械などそうそうめったに買えません。

 去年は冷却遠心機がダメになりました。冷却能力はしっかりしているので、ローターの軸を交換してもらえないかと聞いてみたところ、製造中止で部品もないので修理はできないとのことでした。その後、新製品のカタログを持ってきましたが、もちろん簡単に買えるはずはありません。それよりも、その会社の製品に対する姿勢が疑われましたので、買いたくなくなりました。

 それから1年近く経って、爪の先に灯をともすような節約を続け、なんとか1台買えるかもしれないというところまで来ましたが、結局他社の遠心機を購入しました。性能や値段を比較して勝ったのですが、決定にあの悪い思い出の感情が入り込まなかったということはないでしょう。

 また最近、某社の実体顕微鏡の光学系のくもりのひどさが気になって来たので、光学系の清浄をお願いしましたところ、貼り合わせレンズの間にくもりが生じているのかも知れず、分解してみないとなんとも言えないとのことでした。

 ただし、こちらも製造中止になって部品がないので、分解手数料20万円をかけて分解して調べてみても、元のようにクリアに見えるようになるかどうかはわからないとのことでした。こちらも新製品の購入を勧めるということのようです。

 どちらも、同じ頃に購入した同型機種の多くが、あちこちの研究室でまだ現役で使われている、購入後10年程度の製品です。もちろん、製造中止後7年しか部品保持義務がないということは知っていますが、製造会社としては、法律を守っているのだから、古い製品は直せなくても良いという姿勢でいいのでしょうか。

 たくさんの製品の部品を保持し続けるのが大変だということはわかりますが、共通の部品が使えなくなるようなモデルチェンジというものがそんなに頻繁に必要なのでしょうか。もし、そうだとしたら機械として「完成品」と言えるものになる前に販売していると言わざるを得ません。

 「モデルチェンジをしても、自社の製品なら直せます」というような誇りを持った製造業者は日本にはないのでしょうか。

 お金さえあって、どんどん買い換えれば済むというのと次元の違う問題があるように思います。
by stochinai | 2006-06-07 22:00 | 大学・高等教育 | Comments(7)
 昔、「シンドラーのリスト」という映画があって、たくさんのユダヤ人を救った偉い人のお話でしたが、シンドラーという名前は多くの人の心に刻み込まれていると思います。

 そういうこともあって、ある時乗ったエレベーターがシンドラーという名前の会社のものだったので強く記憶に残っていました。私が知る限り唯一のシンドラー・エレベーターはこの大学の情報教育館・放送大学北海道学習センターにあるものですが、異様にスピードが遅いので、乗るたびに葬儀場のエレベーターかと思います。

 それが、昨日あたりから事故多発エレベーターとして報道され始めました。しかも、このエレベーターが設置されているのは、自治体や地下鉄など公共施設がほとんどだという報道もあります。

 コスト削減のために、大事なところを削って設置しているというようなことでなければ良いのですが、もしそうだとしたら結果的にはひどいコストがかかることになってしまいます。

 せっかく良いことで有名になったシンドラーですが、悪名になってしまいそうで残念です。
by stochinai | 2006-06-07 21:40 | 大学・高等教育 | Comments(4)

フジが満開

 広島から札幌へ帰ってきたら、我が家のフジが満開になっていました。これは昨日の様子です。ちょっと風が強かったのでたなびいていますけれども、まさに藤色の美しさは素晴らしいものです。
フジが満開_c0025115_21512533.jpg
 そういえば去年はようやく蕾がつきましたと報告して、咲いた花のご紹介はしていなかったことに気がつきました。実は昨年は花の数が少なく、たちまちのうちに葉に埋もれてあまりきれいな状態にならなかったのです。

 それが今年は見事にたくさんの花が続々と花開き、豪華な状態になりました。今の札幌はライラックとフジで紫に染まっています。

 こうして拡大してみるとひとつひとつの花もなかなかの美しさです。
フジが満開_c0025115_21545498.jpg


#写真と言えば、ここのところお忙しそうでお疲れ気味のすぅじぃさん(およびエキサイトブログをお使いに人)に業務連絡です。最近エキサイトでネームカードというサービスが始まったのをご存じでしょうか。なんだかうっとうしいような気もするのですが、アクセス解析をしてくれるということなので登録してみました。

 このアクセス解析というのは大したものではなくてがっかり的なのですが、ネームカードに登録すると、いままで30MBまでしか使えなかった画像容量がなんと一気に1GBまで無料で利用できるようになります。

 前に画像を大きくする方法を教えていただいたので、お返しの情報提供です。是非ともお試し下さい。忙しいときには画像ブログでごまかすという手がグーですよね。
by stochinai | 2006-06-06 22:03 | 趣味 | Comments(4)
 まだ事件の真相が明らかになっているわけではないので、これからの話はあくまでも架空の議論ですが、秋田の小学生連続死亡事件は、事故と殺人あるいは殺人と殺人ということになりそうな気がします。

 最初に亡くなった女の子の母親が、二番目になくなった男の子の死体を遺棄した疑いで逮捕されてしまいました。

 週刊誌などではかなり前から、女の子の母親が男の子を殺したのではないかという記事が出ていたようです。これも伝聞や想像なのですが、地元では女の子の死は事故死だったとしても、その母親の虐待になんらかの原因があったのではないかという噂があったようです。

 田舎でそのような噂が立ってしまったら、たとえ刑事事件にならないとしても、その母親の居場所はなくなるのかもしれません。そういう中で、母親が自分の子供の死の原因は自分にはなく、誰か第3者の手になる殺人だと主張していたとしても不思議はありません。

 しかし、いくら主張しても人の噂を鎮めることがあまりにも難しいとしたら、それを証明することでしか事態を沈静化できないと考えた母親が、「2番目の被害者」さえ出てくれれば自分の潔白は証明できると思ったのかもしれません。

 事実、男の子が殺された時に、女の子の死は事故ではなく殺人だったのではないかという推測が繰り返し報道されました。それが、女の子の母親が意図的に主張した意見だったのか、あるいは私のような地元の事情をまったく知らない人間からみると、いかにもありそうなシナリオだったからか、初期にはそういうラインで犯人探しが行われるのではないかというふうに思えたものです。

 しかし、警察は最初から冷静で、あまり派手な動きを見せていませんでした。ということは、警察はかなり初期の段階から犯人に目星をつけていたということなのかもしれません。

 最初の事故の時にも、地元の人々の間にあった噂を警察が知らなかったはずはありません。それを放置したのは、警察の母親に対する「思いやり」だったとみることもできるのですが、母親は警察に追求されなかったとしても地元住民からはすでに村八分状態にされていたのかもしれません。

 そこで、第2の事件を女の子の母親が「身の潔白」をはらすために「連続殺人氾」をでっち上げようとしたという見方もできるかもしれませんが、私は考えようによっては彼女は娘の死の原因として逮捕されたがっていたのかもしれないと思いました。

 このままだと、またこの地区で殺人事件が起こってしまうといっていた彼女の言葉は、このまま娘の死を事故として放置するのならば、自分が殺人事件を起こすという予告だったのかもしれません。だとするならば、彼女の行動は自分を逮捕して欲しいという訴えだったのかもしれないとも思えてきます。

 彼女の行動は警察や地元住民に対する挑戦と見ることもできますが、自分の子供を死なせてしまった自分を逮捕して欲しいという叫びだったようにも思えます。

 両親が揃っていたとしても、子供を虐待する親がたくさんいる中で、若くして子供ができ、離婚によって女手一つで子供を育てなければならない状況にある人も、今の日本にはたくさんいます。そして、それは想像を絶する大変さだとは思います。もちろん、その大変さを克服して立派に子育てをしているシングルマザーがたくさんいらっしゃることには頭が下がりますが、同時にとてもひとりでは育てられないと追い込まれている人もたくさんいるのではないでしょうか。

 何でも自己責任と言われる今の日本ですが、子育ても自己責任というのはほんの一握りの恵まれた家族に対してだけ可能なことなのかもしれません。そうであるならば、お金がなくても、親が離婚してしまっていても、子供には何の責任もないのですから、その子たちには日本という国が責任を持って幸せに育つことのできる環境を与えてあげることはできないのでしょうか。

 少子化の中、日本の人口が実際に減り始めているとのことです。そういう国にとって、すべての子供は次世代を担う宝のはずです。親の経済力や性格が原因で、子供たちが不幸になるなどということを許したら、たとえ無事に大人になれたとしても、その子供たちは日本を愛するどころか、日本という国に対して復讐することになったとしても、一方的に責めることなどはできないと思います。

 子供たちと、その子供たちを育てる親にとって、ゆったりと幸せに暮らせる環境を提供できないのだとしたら、少子化が続き日本という国が消滅していくのを座視するしかないことになると思えてなりません。

 あるいは、すでにそうなってしまったということでしょうか。
by stochinai | 2006-06-05 22:01 | つぶやき | Comments(1)
 Freelancerさんのご紹介により、タイトルにある西宮冷蔵の水谷洋一社長を追ったドキュメンタリー『ハダカの城』“プレビュー版”のテープを、なんと制作者ご自身である柴田誠さんから送っていただきました。

 私は柴田さんのことはまったく存じ上げなかったのですが、大阪の写真・映像・音響の専門校「ビジュアルアーツ専門学校大阪」の先生もやっておられる映像作家さんのようです。

 今日、広島から札幌へ帰ってきてみるとテープが届いており、プレビュー版(Ver.060409)で132分と書いてあったので、長いので気分が落ち着いてからゆっくり見ようと思っていたのですが、見始めてみるとやめられず一気に見通してしまいました。

 つまり、おもしろかったということです。

 まだ、未完成品なのでいろいろと批評をするのはフェアではないとも思うのですが、柴田さんへのお礼という意味も込めて、現時点のバージョンについての感想を書かせていただきます。

 この作品はすでに半公開の試写が行われております。その時に配布された(?)資料と思われるものがこれです。ご覧になれば(ならなくても)わかるように、「雪印食品・牛肉偽装事件」の内部告発をしたことで、廃業に追い込まれた冷蔵会社社長の孤独な闘いの記録です。

 事件の概要や、会社の再建などについては、マスコミでも報道され、マスメディアによるドキュメンタリーも放送されているので、私もある程度は知っていたつもりでしたが、柴田さんが水谷社長に密着して4年間余りも取材を続け、まさに社長の内側からの報告である本作品を見せていただき、また新たな目でこの「事件」を見ることができました。つまり、この事件が社長の人生観そのものを変えていく様がみごとに映像に記録されていることを感じました。それが、この作品の最大の成果ではないかというのが総合的な感想です。

 私がこういう長尺のドキュメンタリーに慣れていないせいもあるのでしょうが、最初しばらくは正直言って遅い展開のテンポに付いていけなかった気がします。それが、社長と並んで陸橋の上の隣で本を売っている少女が本を買ってくれるシーンを境に、ぐいぐいと引き込まれていきました。

 モーニングショーによる報道を契機として、寄付などが集まりまたたく間に営業再開に漕ぎ着けていくシーンは、社会的には感動を呼んだところである程度マスコミにも報道されているところですが、そこでは柴田さんはマスコミの報道の外側から事実を記録し続けています。それによって、マスメディアの滑稽さや嘘くささを含めて、我々が報道によって知らされているものは何なのかということまで教えてくれる、価値ある映像になっていると思います。

 マスコミ的には営業再開で、ある意味での勝利を勝ち得たところでドキュメンタリーとしては完結しても良いところなのでしょうが、社長がその後も陸橋に戻っていったというところが非常に興味深く思えました。

 社長にとっては当初、営業再開のための闘いの場として出かけていった陸橋の上で、彼は何かを発見したのだと思います。そこで、本当の意味で人と人とが出会い、コミュニケートするとはどういうことなのかを発見したのではないでしょうか。

 「できれば、陸橋に住みたい」と語る社長は、ひょっとするとこの事件で失った物よりも得た物のほうが多かったのかもしれません。

 佳作だと思います。

 なお、この映画が完成へと向かう様子が柴田さんのブログでリアルタイムで報告されているというのもこの作品のおもしろいところだと思います。

 本格公開の暁には、是非ともご覧になられることをお勧めします。

#素人からのテクニカルなコメントは失礼かとも思いますが、敢えて書かせていただきますと、字幕の使い方にはもう一工夫していただけると、流れに乗りやすいと思いました。具体的には、タイトル的な字幕は今のままの音声なしでも問題ないと思うのですが、説明的な文章になっている字幕に関しては、ナレーションあるいは字幕とナレーションを併用したほうが良いのではないかと感じました。ただ、これはビデオ画面の解像度がわるいせいでそう感じられたたのかもしれませんが、視覚的に文字を追うのがつらい人も多いと思いますので、ご検討いただけると幸いです。
by stochinai | 2006-06-04 23:59 | つぶやき | Comments(6)

ゆかた祭り

 広島に着いた時から、平和大通りには稲荷山祭りという赤いのぼりが林立していました。稲荷は普通「いなり」と読みますから、てっきり神社のお祭りだと思っていたのですが、のぼりには「とうかさん」とフリガナがぐってあります。タクシーの運転手さんに尋ねると「神社なんだか、寺なんだか」と不思議なリアクションです。でもまあ、普通は神社だと思うので、気にせずにいました。

 翌朝、ホテルから学会の会場へ向かおうと歩き出したら、ホテルのすぐ裏に問題の稲荷山がありました。
ゆかた祭り_c0025115_23574512.jpg
 パッと見ても、寺か神社か良くわからないでいたら稲荷山円隆寺と書いてあります。どうやらお寺のようですが、稲荷大明神とも書いてありますので、不思議です。
ゆかた祭り_c0025115_23283598.jpg
 お祭りは6月第1金曜・土曜・日曜の3日間ということなのだそうで、昨日から明日までということで土曜の夜の今日がピークなのでしょう。夕方前から、すごい人出になってきました。学会も終わって、夜の行事もないため私も祭りの雑踏を歩いてみることにしました。

 やけに浴衣を着ている人が多いと思っていましたら、このお祭りは別名「ゆかた祭り」とも言われ、広島ではこの日が浴衣の着始めの日になっているのだそうです。
ゆかた祭り_c0025115_23554313.jpg
 浴衣の男性も結構いたのですが、やはり浴衣といえば若い女性です。

 ということで、お祭りの定番写真を数枚、並べてみます。

 お祭りの主役、子どもたち。彼らがいなければ、お祭りは成り立ちません。
ゆかた祭り_c0025115_23593787.jpg
 超定番の金魚すくい。
ゆかた祭り_c0025115_032682.jpg
 たこ焼きは小さなタコがまるごと一匹ずつはいっているようです。
ゆかた祭り_c0025115_005331.jpg
 私は苦手なのですが、リンゴ飴やブドウ飴は夜の光に輝きます。
ゆかた祭り_c0025115_01831.jpg
 そして、真打ちお化け屋敷。
ゆかた祭り_c0025115_012472.jpg
 これはびっくりしました。ペットボトルを背負った女の子。
ゆかた祭り_c0025115_02493.jpg
 こうして、広島最後の夜は更けていくのでした。
by stochinai | 2006-06-03 23:58 | つぶやき | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai