5号館を出て

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CD離れ

 今日から仕事始めというのに、札幌は昨日の最高気温7℃という3月並みの暖かさと小雨という天気から、一転して朝から大雪でした。おまけに昨日の暖かさを引きずっていますから、湿気をたっぷりと含んだ重い雪です。今日は、夜中に除雪をしなければならないことになりそうです。

 さて、最近では恒例のニュースになっていますが、音楽ソフト生産額、6年連続の減:ネット配信でCD離れというものが出ました。

 私は溝のついた音盤(いわゆるレコード)で育った世代ですので、CDが売れなくなったと聞いてもそれほどの感慨はないのですが、要するに音楽業界というものが縮小しているということだと思います。ネット配信のせいでCD離れが進んだという分析も間違っていると思います。

 CDシングルやアルバム、カセットテープなどといった「オーディオレコード」の生産額は前年比5%減の3788億円の見通しで、ピークだった98年と比べると38%も減った計算なのだそうですが、いちおう不景気が続いているのですから、それがなくても暮らしていけるCDなどが売れなくなったのはあまりにも当たり前のことではないかと思われます。

 もちろん、その販売などで暮らしていらっしゃる方々にとっては大変な問題ではあると思いますが、本などはもっと前から、もっと継続的な落ち込みが続いているのではないでしょうか。私の予想としては、この先もこの業界はまだまだ落ち込み続けるでしょうから、内部にいる方々はなるべく早く対応を考えるべきなのだと思います。

 と言っても、どうしたらCDが売れるようになるかという場当たり的な対応ではなく、もはやCDという媒体を使った商売というものがどんどん縮小しているという厳粛な事実を前にした対応が必要なのだと思います。ある程度まで縮小してしまえば、今度は逆に安定期に入ると思われます。

 参考になるのは日本の映画ではないでしょうか。もはや、落ち込めるところまで落ち込んでいる日本映画界はバブルもあり得ませんが、時として大きなヒットを飛ばすようになっています。ごく最近の話では、宮崎アニメ「ハウルの動く城」2日間で14億8000万円というニュースがあります。最後のところに「東宝では『観客動員4000万人、興行収入500億円を目指す』と話している」そうです。ハウルの内容自体に関するコメントは控えさせていただきますが、このようなブームが起こるということは、映画界全体が落ち込んでいることによる効果ではないかと私はひそかに思っています。おもしろい映画が次々とたくさん出てくれば、映画界全体としての売り上げは大きくなるかも知れませんが、たったひとつの映画にこれほど多くの人が群がるということはなくなるような気がするのです。(昨日、テレビで放映していた「踊る大走査線:レインボーブリッジを封鎖せよ!」などというはっきり言ってテレビドラマレベルの映画が、実写映画としては日本最高の売り上げを記録したなどというのを聞くと、ますます私の考えが正しいのではないかと自信がわきます。)

 というわけで、CD業界というか音楽業界はまず小さくなれるところまで小さくなることが必要なのではないでしょうか。ほんとうに音楽が好きなミュージシャンやファンはどんなに小さくなっても音楽を演奏し、聞き続けるものだと思います。小さな規模で続けるのであれば、音楽というものは映画のように資本金を必要とするわけでもありませんから、細々と続いていくと思います。

 まずはバブリーなミリオンセラー信仰から目を覚ますことだと思います。お金を稼ぐことではなく、音楽を楽しむ演奏家とファンが小さな規模のところからまたやり直すのが良いと思います。

 道ばたで演奏している、ストリートミュージシャンの皆さんも、一攫千金のメジャーデビューばかりを夢見るのではなく、なんとか食べてさえいけるのであれば音楽を一生でも続けてやるという姿勢が必要だと思います。

 CDの売り上げではなく、音楽を楽しむ人々がだんだんと増えてきて、生活に余裕が出てくるくらい日本全体の状況が良くなってくれば、ある数の音楽関係者は生きていけるはずです。

 そんなんじゃダメで、やっぱり大金儲けしたいということなら、私は議論から降りさせてもらいます。
# by stochinai | 2005-01-04 20:08 | つぶやき | Comments(0)

医師の喫煙

 今朝の朝日新聞に「男性医師喫煙『米英の4倍』」という見出しの記事が載っていました。

 「男性医師の04年の喫煙率は21.5%で、、、欧米などの3~5%と比べると、、、」「JTの調査では、成人男性全体の04年の喫煙率は46.9%、女性は13.2%、、、」「日医(日本医師会)は未回答の中に多くの喫煙者がいる可能性があり、『実際の喫煙率はもっと高い』と推測している」とのことです。

 身近に感じることですが、私の周辺の大学や学会では急速に喫煙者が減っています。しかし、ひとたび街中に出てみるとまだまだ喫煙する人が多いことは実感されます。特にアルコールが絡む飲み食いの場では、まったく減っている感じはありません。

 私もタバコを吸っていたことがあり、個人的にタバコを吸っている人を特に強く嫌だというふうにも思わないのですが、本音と建て前を使い分けている人には、納得できないものがあります。

 まず、日本という国の姿勢が気に入りません。タバコの販売は合法です。つい最近までは、タバコは国営企業で製造・販売を独占していました。民営化された現在でも、その税率の異常な高さからタバコは国の収入にかなり大きな貢献をしています。その一方では、健康に害があるとして人前ですうことを法律で禁止しながらも、販売そのものを非合法化できずにいる国の姿勢が、もっとも矛盾に満ちていると思います。

 次に、喫煙及び受動喫煙が明らかに病気の原因になるという結論を出した医学の世界を代表しているはずの医師のうち、5人に1人がタバコを吸い続けているというの矛盾はいったいどうなっているのでしょう。もちろん、タバコはからだに悪くはないと、医学的信念を持っているということならば医師であろうとタバコを吸うことは構わないと思います。公式に「当病院では医学的にタバコが有害だとは思えませんので、国の方針にもかかわらず医師が喫煙を続けております」と宣言した上で営業を続けるのであれば許せますが、そこまでの信念を持っている先生はどのくらいいらっしゃるのでしょうか。

 他にも気になるのが、小中高校の先生方です。ご本人が喫煙をされるならば、まずその理由と子どもたちに禁煙を強制する理由(法律で決まっているからという説明は、最悪です)を、子どもおよび父兄に開示していただきたいと思います。法律で決まったから人前では吸わないけれども、自分がタバコを吸うのは法律違反ではないので吸うが、子どもがタバコを吸うのは違反だからお前達は吸うな、で済む問題ではないと思います。

 20歳未満の青少年の喫煙(および飲酒)を禁止している法律に医学的根拠が薄弱であるということは誰が考えても簡単にわかることです。そもそも19歳なら有害で20歳なら無害というものがあるはずがありません。19歳に有害なものならば20歳でも有害で、45歳ならもっと有害かもしれません。成長期の子どもに特に悪い可能性が高いということはあり得ますが、もしそうならば妊娠・子育てをしている親にこそ強い禁煙を強いることこそが必要だと思いますが、そんな法律もありません。(たとえあるとしても、誰も認識していません。)

 本音と建て前を使い分けることが「大人」の証拠のひとつであるかのように言われることの多いこの国のやり方の代表のような例が、健康を管理する医師の20%もが健康を破壊すると国が公式に宣言したタバコを吸い続けていることに象徴されている気がします。

 汚職はいけないと言いながらも、国会議員の多くがすれすれの脱法行為を続けていたり、警察が組織ぐるみでの裏金作りを続けていたり、権力を得たからにはセクハラくらいは許される役得だと勘違いしている教授が毎日のようにニュースになっています。そうした現場にいる人の多くも本音と建て前を使い分けてきたのではないでしょうか。建前上は悪いことだと思っていても、本音は「これは悪いことではない。法律の方が悪いのだ」というような気持ちから、ほとんど罪悪感もなしに法を犯して来たというのが現実ではないでしょうか。

 ところが本音と建て前を使い分けることのメリットが上から下までに共有されていた蜜月時代は過ぎ去り、強者あるいは勝ち組だけが甘い汁を吸うことのできる時代になってきた結果、弱者あるいは負け組からの反撃が非常に強い風となって吹き始めたのが今なのだと思います。大量の負け組を生み出したという現実が、本音と建て前を使い分けるやり方を続けることをできなくしてきたとも言えそうです。自業自得と言えるかも知れません。

 そういう意味で今は、そうした変化を受け入れる潮時なのかもしれません。潮目を読み誤ると、大きな波に飲み込まれてしまう恐れがありそうです。
# by stochinai | 2005-01-03 14:22 | 教育 | Comments(0)

Uターン・ラッシュ

 昨日、新年を迎えたばかりだというのに、テレビのニュースではもうUターン・ラッシュが始まったと伝えています。

 毎年繰り返されているニュースなのですが、接する度に休暇すらを駆け足で消化してしまう我々の暮らしの貧しさを感じてしまいます。

 一方で、ニート(NEET)と呼ばれる大量の若年不労労働者層を抱えながらも何とか生活を続けているくらいの豊かさを持った多くの家族がいて、その家族の経済を支える労働力がサービス残業を含む過剰とも見える労働条件を受け入れて黙々と働いている姿が目に浮かびます。

 過剰に働く人と、働かない存在と言われるニートが、おそらく一つ屋根に下にいるというのが、現代の普通の家族の風景のような気がします。

 過剰に働いている人は、おそらく不労者としての存在のニート(パラサイト)の生活を支えることができるくらいの収入を得ているのでしょう。そのためには、休日も返上して働かなければならないかもしれません。

 でも、この構図はやはりどこかおかしいです。

 ニートという存在そのものだけではなく、まったく収入なしに寄生する学齢を越えた存在を抱えている家族そのものが病んでいるということではないかと思われます。

 今時、そんな家族は珍しくもないと言われるかも知れませんが、そうだとするならば日本という国全体が病んでいるということではないでしょうか。

 自覚症状のない病気というものは、ほんとうに恐ろしいと思います。



 不治の病であるならば自覚症状があろうとなかろうと関係ありませんが、適切に対応すれば治る可能性がある病気に関しては、現在生きている動物には必ず自覚症状があることが予想されます。

 なぜならば、自覚症状を感じて休息するとか養生するとか、さらには適切な薬用植物・鉱物などを摂取することで病から回復できるならば、その動物はより多くの子孫を残す可能性が高くなるからなのです。

 これは進化学の考え方から導き出される必然なのですが、治る病ならばそれを治すための出発点となる自覚症状というものが進化してきていることが、どんな動物にも予想されることなのです。そうでなければ、ここへ至る前に絶滅してしまっている可能性が高いのです。

 自覚症状のない病気を得た動物の未来は、おそらく絶滅しかないでしょう。

 同じように、病んでいるということを自覚できない社会は、すでに絶滅への道を歩んでいるということなのかもしれません。我々は、この先どこかで自らの病を自覚して、治療を始めるというフェイズに入ることができるのでしょうか。それとも、このまま恐竜のように突き進んでいくことしかできないのでしょうか。

 正月早々、悲観的なつぶやきですみません。
# by stochinai | 2005-01-02 17:45 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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