5号館を出て

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 通勤時間にはいつもiPodでポッドキャスティングを聞いています。iTunesで定期ダウンロードしたものを聞いているのですが、その中でもTBSラジオが配信している番組「ストリーム」は、コラムの花道で特定のゲストをスキップする以外は、すべてを聞いていました。(札幌ではTBSの電波は極度に弱く、ビルの中などではまったく聞こえませんので、生放送を聞いたことはありません。そういえば、高校生の頃は雑音にも負けずTBSの深夜放送を聞いていたことを思い出します。)

 週刊誌など読むことがない私ですが、「タチヨミスト★SHINGOさんの週刊誌チェック!」を聞いているので、学生よりもゴシップ情報に詳しかったりします。また、ラジオの気安さからなのか、時々暴走的な発言が飛び出すのもおもしろく、テレビや新聞などでは絶対に見聞きすることのできない政治記者の武田さんの話は、他のどんなメディアよりも信頼して聞けるものでした。また、スポーツ音痴の私ですが、生島淳さんのスポーツ解説を聞いていると、スポーツの裏にうごめく政治や商売の話が生々しく理解できたものです。

 残念ながら、そのストリームは昨日で終了してしまいました。

 TBSとしては、1日も早く止めたかった番組だということなのか、現在はまだダウンロード可能な過去3年間以上のポッドキャスティング番組を含めたすべての情報ページを、なんと今月中(あと3日!)に閉鎖すると宣言しています。
3/17(火)ストリーム ホームページ閉鎖のお知らせ

3/17(火)ストリームからのお知らせ
ストリームの放送は3月27日(金)をもって終了します。
これに伴いTBSラジオのサーバ負荷軽減のため
2009年3月31日(火)18:00をもってホームページを閉鎖します。
ポッドキャスト等で番組をお楽しみの皆さんは早めのダウンロードをお願いいたします。
 「サーバ負荷軽減」などという時代錯誤の理由を持ってきていることも、この番組の終了の意味を示唆しているのかもしれません。

 民間企業ですから、経営上不利であるとなれば番組を打ち切るのは当然なので、そのことをとやかく言うつもりはありませんが、テレビや新聞ではできないことをラジオならばできていたということの意味をもう一度かみしめるとともに、ラジオでもできないことがポッドキャスティングならばできるということも前向きに考える良い機会になったと思います。

 私は、今日になってから昨日のストリームを聞いたのですが、その中で心に染みるひと言があったので、記録にとどめておきたいというのが、このエントリーを書いた動機です。明後日までならまだ聞けます。全体だと7分くらいとちょっと長めですけれども、私の心に強く残った箇所を抜き書きしておきます。生島さんの言葉です。

 3/27(金)お世話になった方登場!生島淳さん編をダウンロード
今ね、情報番組いっぱいありますけど、あれは紹介番組だからね。批評性のある情報エンターテインメントはこの番組しかなかったので、・・・それが無くなるのがとても(言葉につまる)
 スポーツに詳しくない私が、どうしてものすごく深く詳しくスポーツの世界のことを語る彼の話を興味を持って聞くことができたのかが、とても良くわかる言葉でした。

 そして、この「批評性のある情報エンターテインメント」という言葉は、私が最近考えている「科学批評」の方向性とかなり重なる部分があることを強く感じました。

 批評性のある情報エンターテインメントとして科学を語ることができれば、科学のことなど詳しくない人にも科学の本質を伝え、同時に科学とのつきあい方を考えてもらえるのではないか、そんなことを考えさせてくれるトークでした。

 来週からはストリームの代わりに何を聞けばいいんだろう?
# by stochinai | 2009-03-28 15:10 | つぶやき | Comments(2)
 有用情報が満載なので、いつも勉強させていただいている「医学処 -医学の総合案内所-」さんのところで、不思議な情報を見つけました。

 アジサイの葉が原因とされた食中毒事件、原因物質検出せず。

 昨年、立て続けにアジサイの葉を食べたことによる中毒事件が起こり、私もびっくりして2回とも取り上げました。

 アジサイによる食中毒と遺伝子組み換え根粒菌
 信じられないニュース2題

 ところが、10日ほど前の読売新聞(読売オンライン)によると、件のアジサイの葉から中毒の原因物質が検出できなかったということなのです。

 アジサイの葉は毒?原因物質検出できず…昨年2件の食中毒
 当初は青酸系の成分が原因とされていたが、1件では検出されず、もう1件も微量で、「シロ」の可能性が高くなった。アジサイが食卓に上ることは昔からあり、市場にも流通しているのに、過去に中毒の報告が全くなかったのも不可解で、「別の有毒成分があるのでは」「アジサイの種類によって違う」という見方も出ている。アジサイは、はたして有毒なのか。各地の研究者や行政担当者は首をひねりながら、謎を追いかけている。
 実は、このことは昨年の夏の時点ですでにわかっていたことのようで、厚生労働省では先に出した「アジサイの喫食による青酸食中毒について」 (平成 20 年7月1日付け食安監発第 0701001 号)を廃止して、8月18日に新たに「アジサイの喫食による食中毒について」(食安監発第 0818006号)を出しています。

 その中でも基本的には、アジサイの葉や花が食中毒の原因になる疑いが強いので、「食品又は料理の飾り用としての販売をしない」ようにと呼びかけていますが、「アジサイに青酸配糖体が含有されているとの知見」については未確認であると訂正しています。

 読売の記事の中でも、その点に言及されています。
 ところが、客が食べた店先のアジサイを県で精密に調べても青酸配糖体は検出されず、農薬など他の毒性物質も出なかったという。

 一方、大阪市立環境科学研究所は、葉1グラムあたり29マイクロ・グラムの青酸配糖体を検出したものの、「微量だから1~2枚で中毒は起きないはず」と困惑する。
 現時点では、独立行政法人 農業・食品産業技術総合研究機構 動物衛生研究所 安全性研究チームが作成している、「写真で見る家畜の有毒植物と中毒」というページにあるアジサイの項がもっとも信頼できそうです。
有毒成分

有毒植物に関する単行書等にアジサイの葉は青酸配糖体を含むという記載があったため,本ウェブサイトでもそのように記載してきました.また,厚生労働省の課長通知(平成20年7月1日付け)でもそのように記載されていました.しかし,下記のつくば市での中毒を機に,「アジサイの葉に含まれる青酸配糖体」に関する原著論文を検索しましたが,現時点では見つかっていません.

下記の文献(1)および茨城県つくば市でのヒトの食中毒事例のように,アジサイが中毒を起こすことは確かだと思いますが,その原因物質は青酸配糖体ではないようです.

厚生労働省の課長通知も,青酸配糖体が含まれているという事実が確認できないことから,8月18日付けで修正版が出ています.
 というわけで、アジサイの葉を食べることで中毒が起こるのかどうかというところから疑問視されているようなのですが、昨年の6月13日と6月26日という極めて近接した時期に、茨城県つくば市と大阪市北区という離れた土地で摘まれたアジサイの葉を食べたことで類似の中毒症状が引き起こされたということを矛盾なく説明することのできる原因が宙に浮いてしまったことだけは間違いありません。

 こういう謎をどこかのポスドクが見事に解き明かしてくれると、いろんな意味でうれしいんですけどね。
# by stochinai | 2009-03-27 21:53 | 医療・健康 | Comments(2)

攻めの大学改革

 今日付けのCBニュースに、「日本の医学教育はガラパゴス?」という記事がありました。 
「日本の医学教育はガラパゴス」―。元東大客員教授のゴードン・ノエル氏(米オレゴン健康科学大)は離日する際に、日本の医学教育制度の特異性をこう表現したという。
 これは医学教育に限らず、日本の大学教育さらには大学院教育がそうなっていると思います。
東京医科歯科大医歯学教育システム研究センターの奈良信雄センター長が、「医学教育の国際間比較」と題して発表。この中で、ノエル氏の発言を紹介した。
 奈良センター長は、日本の医学教育制度の特徴として、▽教授から学生へのワンウエー(一方通行)の講義中心であり、学生は欠席、遅刻、居眠りをすることもある▽講座が縦割りで、基礎と臨床の乖離(かいり)がある▽大項目の筆記試験での評価法が残っている―などを挙げた。
 一方、海外の医学教育では、▽少人数チュートリアル教育▽基礎―臨床統合カリキュラム▽e‐ラーニング▽臨床の早期導入▽SPS活用▽シミュレーション教育▽参加型臨床実習▽MD-PhDコース(研究者養成特別コース)▽国際交流―などが主流になっていることを紹介した。
 この後に引用されている東大医学教育国際協力研究センターの北村聖教授が紹介したエピソードが、日本の高等教育システムにおける諸悪の根元をあぶり出していると思います。
最近の東大の教授会で、「入学させた学生を卒業させる義務があるのか」というテーマで意見交換があったことを報告。教授会では、「医学生は20歳を過ぎた成人。それなりの目標に到達していないのであれば、その後の人生を大学が保障する必要はないのではないか」「日本人的感覚からすると、冷酷かもしれないが、温情で卒業させたために、患者に被害が及ぶことになってはならない。臨床に向いていない人は落とすべきでは」「大学が卒業させるのであれば、大学が(医学生の質を)保証するぐらいでなければならない。もう、入学させたから卒業まで保証するという時代ではない」などの意見が出たという。
 医学部だけではなく、ほかの学部も含めて大学・大学院においても、入学した学生は「よほどのことがなけらば」、また「時には、かなり首をかしげざるを得ない状況があっても」ほとんどのケースにおいて卒業できるのが日本の高等教育制度の特徴であり、それがある意味でガラパゴスと言われる状況を生んでいるのだと思います。

 一方、昨日話題にした放送大学の卒業率はなんと入学者の10分の1くらいだと聞きます。そういう目でみると放送大学は、「普通の大学」よりは卒業要件を厳しく判定しているという意味で「進んだ」大学だと見ることもできます。もちろん、コメント欄でbeachmolluscさんが書いておられるように「せっかくPCとネットの時代になっているのにもかかわらず、その活用をベースに設計・構築されていない古いシステムが継続して運営されている」ということも事実だと思いますし、「大学とは名ばかりで、趣味の講座と何の変わりもない」という側面があるのもその通りだと思います。

 しかし、一方で他の大学とは違って入学した学生のほとんどすべてを卒業「させなくてはならない」という拘束がないという面から見ると、理想の大学に生まれ変わることのできる有利な素地を持っているような気がしました。

 国立大学を含め「普通の大学」は、文科省によって定員というものに非常に強い制限がかけられており、入学定員を10%上回る合格者を出すと運営交付金や補助金に影響を受け、30%を越えると信じられないようなペナルティ(すみません、中味はあまり知りません)が与えられるという話を聞きました。ということは、上の東大の教授会で話されたような、たくさん入学させてどんどん振り落としていくという制度は採れないということになります。私は、今の大学を再生させるひとつの有力な方策が、どんどん入れてどんどん落とすということだと信じていますので、それを許さない文科省のもとでは高等教育の改革は両手両足をしばられて400メートル走を要求されているようなものだと思います。

 一方、卒業率10%と言われる放送大学ではまさにたくさん入れてたくさん落とすという教育がされているということになります。その制度を使いつつ、beachmolluscさんのおっしゃる「専門分野の講師と受講生が双方向で情報交換をやり、主導する講師側も自分の勉強になるよう」な体制をとることができたら、そこらの大学に負けないものになることができそうな気がします。

 少子化で希望者全入時代になった大学を、卒業する学生の質の維持という観点からの攻めの改革をしようと思ったら、まずはここらあたりを突破口にするという手もあるかもしれないと感じました。

 現在の文科省にはどうしてそういうことができないのかということを含めて、ご意見をいただければと思います。
# by stochinai | 2009-03-26 19:53 | 教育 | Comments(18)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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