5号館を出て

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 私がもっともよく利用するT横インというビジネスホテルでは、基本的に全国どこでも朝食の無料サービスがあります。朝食といっても、ふりかけをまぶしたおにぎりと漬け物、みそ汁にコーヒーだけという超簡単なものですが、朝の空腹を満たすには充分なものです。最近は同様のサービスをするビジネスホテルもあちこちにあるようですが、昨年学会で行った某市には、朝食ばかりではなく夕食まで無料サービスしているホテルもありました。どうせそんなに大した食事ではないのでしょうが、無料ですからどんなにひどくても文句が来ることはないというのも、ホテル側としては楽なサービスなのかもしれません。

 さて、この朝食無料サービスを大学で始めると聞いたら、だれでも「マジすか」と声をあげるに違いありません。昨今は、あちこちの国立大学でも博士後期課程の授業料が無料というようなところが増えていますけれども、大学のサービス競争がついに食事にまできてしまったのかというのが、私が最初に感じた感想です。

 ところは長野県上田市にある長野大学です。記事は信濃毎日新聞ウェブから。長野大が学生に朝食無料提供サービス1月11日(金)。元ネタは大学職員のためのニュースクリップブログです。

 長野大(上田市)は今年も10日から、学生への朝食無料提供サービスを始めた。

  この日は、白米とみそ汁に、サバの煮付け、切り干し大根、青菜のおひたしの献立。

 と、T横インよりははるかに豪華な本格的朝食です。しかし、基本料金400円というこの朝食を学生全員に無料で出していたら、どんな大学でもたちまちつぶれてしまうでしょう。記事を読むと、「時間帯は午前8時20分から10時までで、1日限定50食。前日か当日に学生支援課で引換券を受け取り、学生食堂で食べる」となっており、大学の出費は1日2万円ということなら、話題作りの宣伝効果を考えると、安いということになるのかもしれません。しかも、「サービスは昨年の2、7月に続き、3回目。後期テストに備えたり、期間中で多くの学生が集まる1、2月に6日間ずつ計12日間提供する」と、日数もかなり限られたものでした。

 大学のホームページでも、昨年夏のこの「食育フェア」で行われた同様のイベントの様子が紹介されています。

 1,634名も学生のいる大学で50名への食事提供ですから、大学の言うような「普段の食生活を見直」したり「朝食を取る習慣を身に付けてもらう」ような教育効果はあまり期待できないでしょうし、そもそも食事をタダで提供することと食生活を見直すこととの間に、どうも脈絡が感じられない気がします。

 しかし、大学側の必死な思いは伝わってきます。そろそろ、今年の入学試験も最終段階にさしかかってきており、私大では定員割れになるところも大量に出てくるのではないでしょうか。学生を集めるためならば、いろいろなことを考えるのは当然なのだと思いますが、こういうニュースに出会うと、大学って何をするところだったのだろうかと思わず考えこんでしまいます。
# by stochinai | 2008-01-15 23:05 | 大学・高等教育 | Comments(2)

ブロッコリーの花

 私の講義での得意テーマのひとつにキャベツの進化の話があります。キャベツはアブラナ科アブラナ属というグループの植物で、原種となった野生の種は今のケールに似た玉にならないアブラナのような植物だったようです。ちなみにカラシ(マスタード)も同じ属の植物カラシナで、種をつぶすと黄色いカラシになるようです。

 そのキャベツの原種(Brassica oleracea)を、人が品種改良することで、さまざまなキャベツの品種が作られたので、以下のものはすべてBrassica oleaceaという同じ植物の種です。

キャベツ Brassica oleracea capitata aluba
赤キャベツ Brassica oleracea capitata rubra
ちりめんキャベツ Brassica oleracea capitata sabauda
ブロッコリー Brassica oleracea cymosa (italica)
カリフラワー Brassica oleracea botrytis cauliflora
ケール Brassica oleracea acephala laciniata
芽キャベツ Brassica oleracea gemifera

 同じ種ですので、花はどれも同じようなものだと思うのですが、実際に見てみると感動します。キャベツの芯を栽培して花を咲かせたものが、こちらにあります。

 キャベツに比べるとブロッコリーの芯の栽培はちょっと難しかったのですが、去年の夏に芽を出したものがようやく咲き始めました。
ブロッコリーの花_c0025115_2322108.jpg
 季節のせいか黄色の色がいまいちぼやけているのですが、それでも典型的な十字架花であることは確認できます。
ブロッコリーの花_c0025115_23242845.jpg
 比較のためにキャベツの花の写真も再掲しておきます。
ブロッコリーの花_c0025115_23523939.jpg
 どうですか。
# by stochinai | 2008-01-14 23:32 | 趣味 | Comments(10)
 私が大学院にはいった頃、動物発生学の研究ではウニやヒトデを使った受精研究が非常に盛んに行われており、研究者の数も多く、学会発表の数も多く、論文も多く出ていました。その頃、ヒトはもちろんマウスをはじめとした哺乳類は体外での人工授精すら難しく、たまたま成功することもあるというレベルだったのに対して、ウニやヒトデそれにカエルなどはもともとが体外受精で、成熟した卵と精子さえ手にすることができればそれを使って誰でもが人工授精させることができることもあって、受精の前後に起こることについて膨大な情報が蓄積されていました。

 その頃でも、ウニやカエルの受精研究の意義を述べる時に、それが「ヒトでは研究することが困難な受精のプロセスを明らかにすることに貢献する」ということを強調して、論文のイントロやディスカッション、さらには研究費の申請書類に書かれるのが普通でした。今でも、ヒト以外の動物を使った研究をしている我々が論文を書いたり、特に研究費の申請をしたりする時に、その意義を強調する時に「ヒトでは研究することの難しい**の研究の基礎データを得るために有用な研究である」などということをついつい書いてしまうものです。

 さて、その受精研究ですが哺乳類での研究も進展し、1978年には初の体外受精でのヒトが生まれました(試験管ベイビー、ルイーズちゃん)。つまり、ヒトあるいは哺乳類を使った受精研究が誰でも簡単にできるようになってきたのです。そうなってくると、もはやウニやヒトデ・カエルを使った受精研究は「ヒトにも適用できる基礎研究」ということにはならず、ヒトの受精を研究したいのならヒトあるいは最低でも哺乳類を使ってやらなければ意味がないという時代になります。

 その結果、ヒトおよび哺乳類以外の受精研究は壊滅的な打撃を受けます。もちろん、基礎的な生物学の研究としてウニやヒトデ・カエルの受精についてヒトとは異なるおもしろい現象はたくさんあり、それを研究することは研究者にとっては十分におもしろいことであり、そこからは十分に興味深いウニやヒトデ・カエルに独特な情報が得られるという事情に変わりはないのですが、世の中のほとんどの非専門家の興味はヒトの受精や発生についてのことであって、ウニやヒトデやカエルがどんな受精をし、どんな発生をしようが興味を持ってもらえないという現実の前に急速に熱が冷めてしまい、さらには研究費も配分されにくくなるということになるのだと思います。

 同様に動物の再生研究も、ヒトがほとんど再生できないのに対して、ヒドラやプラナリアというヒトとは遠く遠く隔たった動物がそのからだの小さな断片からでも全身を再生することができるということから、それらの動物を研究することでいずれはヒトのからだも再生させることができることができるようになる「再生医療」へとつながる可能性があるかもしれないという意義を強調するのが常套句のように使われていたものです。

 ところが、どんな細胞にでも分化することが可能なマウスのES細胞が登場したあたりから事情はかなり変化してきたような気がします。マウスのES細胞が報告された時、ヒトのES細胞が作られるのは時間の問題だと誰もが思っていました。さらに1996年1978年に羊のドリーの誕生によって移植可能なES細胞を得るための哺乳類クローンが作成できるようになった時に、カエルのクローンが50年以上も前にできていたことを思い出す人(新聞記事)がほとんどなかったことにも、その思いを強くしました。ヒトでできるようになったら、他の動物での研究はすっかり忘れ去られるというのが現実なのです。

 さらに、「倫理的問題」があるということでヒトクローンおよびヒトES細胞の研究が足踏みをしている時に、倫理的問題をクリアする「万能細胞」というかたちでiPS細胞ができたという論文を読んだ時、私の耳にはヒト以外の幹細胞研究の時代の終わりを告げるベルが聞こえたような気がしました。

 もちろんiPS細胞に分化万能性があるといっても、それを使ってもヒドラやプラナリアのような全身再生などできるはずもなく、イモリのように足の一本を再生させることもできず、さらには肝臓のような比較的簡単な臓器を作ることすらできないにもかかわらず、iPSに興奮している現在の日本及び世界の状況の中ではiPS以外の基礎的再生研究は、たとえマウスのES細胞といえどもその存続がかなり苦しくなってくることは間違いないだろうと思います。

 日本人がiPSという素晴らしい細胞を作り出したことには、心から喜びとお祝いの気持ちを覚えながらも、同時にそれがヒトのiPS細胞以外の他の動物や他の細胞を使った多くのの発生や再生研究の終わりを意味するであろう寂しさも同時に感じています。

 それは、単に国の政策のレベルや非生物学者の意識だけにとどまるものではなく、現場の研究者やこれから研究を志す若者達をも拘束してしまう、避けがたいトレンドとなるのだと思います。

 そんな大波に翻弄されながらも、昔の大学には独自の研究を細く長くできる場を見つけることができたのですが、今はどうでしょう。かなり難しい気がしています。細々と生き延びる「わけのわからない」研究がなくなってしまうと、次の時代に「クローン」や「ES細胞」や「iPS細胞」に匹敵する新たな大きな課題が出てくる余地がかなり少なくなるだろうという私の思いが、杞憂に終わってくれるといいのですが。

【追記】
 仙台通信さんからトラックバックをいただきました。こちらからも送りますが、記事の中で気に入ったフレーズをクリップさせてもらいます。

>大学にしろ、学会にしろ、アカデミアの中だけで閉じていて、研究費申請のときだけ「これは、きっと将来、役に立つでしょう」と逃げていてはいかがなものか。

>(そういう伝統があったからこそ、山中先生のiPS細胞に繋がったと思います)、一方で、この予算にお金が付くから、関係ありそうな研究ならそこに乗っかろう、というのはどうかと感じます。

>省庁も、「いかにiPS細胞につぎ込んで、それによって成功したか」に乗っかりたいというのは、箱物行政に似た短絡さを感じます。

>よく考えると、「その研究って面白い!」と思って資金援助をしてくれる大金持ちがいたら、もっといいですね(*^_^*)
# by stochinai | 2008-01-13 23:59 | 生物学 | Comments(25)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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