5号館を出て

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教師の拡大再生産

 昨日は、月遅れの新年会に参加してきました。

 主催は、札幌を含む北海道石狩管内の小中学校の先生を中心にした小さな理科サークル」(理科教育の自主学習グループ)です。しかし、いざ集まってみると、理科関係者ばかりではなく、社会科の先生や先生未満の人や、高校の先生や大学関係者など、理科サークルという名前ではくくりきれない人々の集まりです。(ここや、ここが、関連サイトです。ここもそうでした。)

 初等中等教育の理科(おそらく理科だけではなく、社会や体育などでもそうなのだと思いますが)を突きつめていくと、理科だけでは完結せず、様々な教科とクロスオーバーしてくるというのが自然な流れであるということが、このサークルの活動の中から出てきた一つの大きな成果だと思います。この「理科サークル」に様々な人(教育関係者以外も参加するようになってきています)が参加しているということが、「理科教育」の進むべき方向の一つであることが、実践を通じて明らかになってきているという確信もあります。(そういう意味で、生活科とか総合的学習というものの方向は間違ってはいなかったと思うのですが、文科省が早々に撤退しそうな雰囲気になっていることにはまったく失望します。)

 私がこのサークルと知り合ったきっかけは、検定教科書では体系的な教育ができなくなったことを受けて、2年くらい前に左巻健男さんが中学校の新しい理科の教科書を作ろうとウェブで呼びかけをしていたことに始まります。

 その頃、私もしばらく大学で教えていて、入学してくる学生が年を追うごとに、科学全体(つまり理科)を体系的に理解していないことに危機感を感じていたところでしたので、教科書作りのお手伝いをしたいと思い検討委員として参加させていただきました。その結果作られた「新しい科学の教科書」は完全なものとは言えませんが、絵本のようになってしまった中学校理科の教科書に比べると、はるかにまともなものだと思います。(#その後、高校生物の教科書も作り直さなければならないということで、そちらのお手伝いもさせてもらっていますが、こちらも春には出版されます。)

 メーリングリストを通じて教科書作りをしていた時には、あまり意識していなかったのですが、北海道の理科の先生方がその教科書作りで中心的役割を担っていました。同じ北海道に住む人間としてとても嬉しいことだったので、左巻さんが札幌に来た時に行われた懇親会で、活動の中心となっている理科サークルWidsom96のメンバーを紹介していただき、さらにメーリングリストにも入れてもらいました。

 Widsom96は主要な活動として毎月の例会と不定期の会を開いていますが、私はそちらには出ず、メーリングリストと懇親会(飲み会)だけに参加する不良会員です。

 今年始めての飲み会ということで、参加させていただいた昨日の新年会ではいろいろな話を楽しく聞かせていただいたのですが、もっとも興味深かったのは教育大学4年生で教員志望のWさんを巡る話題でした。昨日の会には、Wさんが中学生の時にその学校の先生だった方が二人もいらっしゃいました。Wさんが中学校の修学旅行の時などに経験したつらい思い出や、荒れる中学校の様子などについて、生徒側と教諭側の目から見ての話を聞かせてもらい、とてもおもしろかったです。

 それよりなにより、中学校の時の先生と生徒が今まさに同僚になろうとしつつある瞬間に立ち会わせてもらっている気がして、感慨深いものがありました。さんざんつらい思い出のある学校に戻って先生になろうということは、Wさんが子ども心に見た先生の姿を受け入れ、自分もそうなりたいと思ったということだと思います。もちろん、今日の結果を意図してそうなったのではないと思いますが、教え子が教師を目指すということは、自分のやっていたことが肯定的に評価された最高の栄誉であると思います。

 教師というものはこうやって再生産されていくのだと思いました。文科省あたりも貧困なアイディアを集めて、優秀な教師をどうやって集めようかと考えているのかもしれませんが、なにも難しいことはないという気がしました。優秀な教師の元からは、教師志望の子どもがたくさん育ってくるのです。私の偏見かもしれませんが、そうやって小さいときから教師を志望している人の多くは優秀な教師になると確信します。他の職業もそうかも知れません。小さいときから抱いた夢を、できるだけたくさんの子どもたちに実現させてやれる社会というのは、素敵だと思いませんか。

 残念なことにWさんは今年度、志望していた小学校の教員採用試験に合格することができなかったそうですが、春からは元の先生と同じ学校で臨時教員として働けることになりました。考えようによっては、願ってもない実践的研修期間をもらったようなものです。なんとか頑張って来年こそは試験を突破して欲しいものです。
# by stochinai | 2005-02-07 01:26 | 教育 | Comments(2)
tsurezure-diary:どくりつぎょうせいほうじんって最低だ

 って書かれてしまいました。まったく、おっしゃるとおりです。内部にいる人間もそう思うのですから、最低と言われて返す言葉がありません。せっかく、国立大学法人という独立した組織ものになったのに、国の命令にはまったく逆らえないことに関しては、やっぱりおかしいと思うのが常識的な判断というものだと思います。

 (注:姑息なことなのですが、大学は「独立行政法人」になることを拒否したので、国はでは「国立大学法人」になりなさいと、似て非なる法律を作ったので、もとの国立大学は独立行政法人ではなく、国立大学法人です。などという、どうでもいい議論をするところも大学人のバカさ加減を示していると言われると、まったくその通りと自分で笑ってしまいます。すみません。横道にそれました。)

 だいたい国民の税金で運営されている教育機関が、授業料や受験料を収益のように扱って、それを増加させることができないと正常に運営できない組織にするって、そうした発想がどうにかしてますよね。税金で運用されているのですから、国民の意見を聞いて、みんなが値上げしたほうが良いということなら、それはそれで従うべきだと思いますが、そういう意見がどのくらいあるのか是非とも知りたいところです。(>新聞社のみなさん。内閣の支持率調査よりそっちのほうが、よっぽど意義があると思いますので、よろしくお願いします。)

 敢えて弁護しておくと、大学の運営交付金を授業料や病院からの収入に応じて減少させようというのは、財務省の考えで文科省はおそらくただそれを右から左に伝えているだけなのです。だったら、やっぱり文科省っていらないんじゃないの、って誰でもが思いますね。それは、当たっているかもしれません。(弁護になっていませんね。)

 大学を効率化させたり、営業の思想をとりいれた組織にしてこうとしているのならば、細かく監督・指示する文科省など必要なく、単に民営化してしまえばいいということになるかもしれません。

 NHKと同じく、国立大学法人は国民の皆さまのものです。NHK問題を動かしつつあるのが、受信料不払い運動だとするならば、国の政策を変更させるのは、税金不払い運動になるのでしょうか。いずれにしても、NHKの例は歴史に残る市民の勝利のひとつになりそうです。

 まとまりませんが、この辺で。
# by stochinai | 2005-02-05 15:05 | 大学・高等教育 | Comments(3)
 なんとまあ、腰の軽いことでしょう。去年まで、我々の雇用者だった文科省です。今朝の朝日新聞一面トップで「生活科も見直し検討、中教審で議論へ」と出ています。

 先日は、わずか3年前から始まったばかりの「総合的な学習の時間」を、中山文部科学相が削減も含めた見直しの意向を示したというニュースがありました。それから、10日あまりでの矢継ぎ早の改革提案が出されています。

 ちょっと待ってください。

 今までも、そうやってちょっとした外圧があると次から次へと拙速な対応をして失敗を繰り返してきたツケを、また同じ拙速な対応でしのごうというのでしょうか。もういい加減で、アイ**から借りた借金を、プロ**で借りて返すようなことを繰り返すのは止めてください。

 教育はそれほどのお金をかけずに目立つ改革を簡単にできるので、業績の草刈り場として政権や大臣に弄ばれてきていると思います。被害者も、子どもやその父兄という政治的に力を持たない人たちですので、反対運動も起こりにくいことと、日教組という反対勢力が力を失ってきたのを良いことに、目を覆うばかりの「改革」の嵐が吹き荒れています。(私のいる大学でも、大学院の重点化、教養部の廃止、理学部の改組、法人化というようなものがたった10年くらいの間に起こったことです。そして、今まだ大学院が大々的に改組されようとしていたり、研究から教育への再シフトが起こりそうになっていたりと、内部にいる人間にも理解不能な速度で変化し続けています。)

 確かに生活科や総合的な学習というのは、現場の教師にとって負担が大きく、文科省からの適切なバックアップが得られない現状の下で、満足できる結果が得られていない実情もあったことでしょう。しかし、生活科を10年続けてきて、かなりの実績やノウハウが蓄積されてきて、自分たちの成功例を全国に広めていこうと考えている先生もあちこちに出てきているのではないかと思われます。総合的な学習にしても、確かに現場の先生方の負担は想像を絶するものがありますが、うまくいっているところでは想像以上の効果が上がっているとも聞きます。

 文科省がやるべきことは、そうしたうまくいっているところのノウハウを拾い上げ、全国のあまりうまくいっていないところへ広めるお手伝いをすることではないでしょうか。それを、うまくいっていないのは教師の力量の問題がどうたらこうたらと自分たちの責任は棚に上げていつも同じことを念仏のように繰り返し、挙げ句の果てにもう止めて別のやり方をしようですか。

 教育で大事なのは制度ではなく、いかに現場の教師と子ども達のやる気を引き出すかということではないでしょうか。はっきり言って、制度なんていくらいじっても同じだと思います。いじればいじるほど悪くなるだけです。一度、制度を作ったら、その制度をうまく動かすために何十年か努力してみましょうよ。世界中にはいろんな教育制度がありますけれども、そのどれが一番良いなどと言えないことはちょっと考えればわかりそうなものです。

 それを、この20年くらいこねくり回しすぎて、めちゃくちゃにしてしまったのです。1回変えたら20年、すくなくとも10年間くらいはそのシステムを最大限に生かすような努力を続けてください。新しい教育システムが安定するまで、5年から10年かかります。小学校に入った子どもが大学を出る年齢になるまでのことを考えてみてください。その子達が在学しているうちに、学制がどんどん変わっていくなどという状況の中で落ち着いて教育や学習ができると思いますか。

 いい加減で、外圧に振り回される文科省の体質を改めて欲しいものです。
# by stochinai | 2005-02-05 00:41 | 教育 | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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