5号館を出て

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秋深し

 今日は天気は良かったものの、かなり肌寒く秋も深まった感じです。

 秋というと「秋深し 隣は何を する人ぞ」という句を思い出しますが、いまだに意味が良くわかりません。秋といえば、やっぱり「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」ですかね。

 柿の北限はどこかはよく知らないのですが、お向かいのお宅に今年も柿がなっています。札幌ではかなり珍しいと思うのですが、確か少し南の伊達では柿が市のシンボルにもなっていますので、道南ではそれほど珍しくないようです。

 一昨年、つぼみをつけた状態の山茶花の鉢植え(といってもかなり大きい)を購入したのですが、去年の秋から今年の春にかけては花をつけませんでした。一昨年は花を咲かせながら玄関で冬を越させたのですが、秋になっても花のつぼみがつかなかったので、去年から今年にかけては、戸外の軒先で雪に当てながら冬を越させました。それがよかったのかどうかは定かではありませんが、今年はたくさんのつぼみがふくらみ始めています。最近は、そのつぼみを見ては何となくニヤニヤしているので、まわりでは気持ち悪がっていることと思います。

 本州以南からは、すでに山茶花が咲いているという情報がはいっていますけれども、こちらでもなんとか咲いてくれるのではないかと楽しみにしています。

 北海道では、冬の花の代表である椿ももちろんありませんので、冬に咲く花というのはなかなか貴重です。何とか頑張って欲しいものです。

 室内では、今年もクリスマスカクタスのつぼみがたくさんついています。気の早い第1号はもうすでに開き始めています。

 デンマークカクタスとも言われる、このサボテンは夏に1ヶ月くらい乾燥させるというストレスを与えないと、今の時期につぼみをつけないという性質があります。

 チューリップの球根も、一度寒さに当てないと花を咲かせないようで、今の時期に咲かせたい場合には冷蔵庫に入れて寒冷処理をするようです。

 普段の生活で我々は、記憶というものは脳の働きなので、植物に記憶があるなどとはあまり意識しないのですが、明らかにありますね。

 そう言えば、形状記憶合金などというものもありますので、「記憶」というのは別に脳の専売特許ではないですね。自然を相手にしていると、容易に謙虚な気持ちになれるのが、なんだかいい気持ちです。
# by stochinai | 2004-11-07 17:52 | 趣味 | Comments(0)

イチョウの黄葉

 今日は土曜日だというのに(土曜日だからなのか)、キャンパスにはたくさんの人がウロウロしていました。立派な望遠レンズをつけた一眼レフをかかえた集団もいました。なるほど、みなさんは北大の木々の紅葉や黄葉を見にいらしていたのですね。

 確かに工学部前のイチョウ並木は今が見頃でした。

 例によって、集まっているほとんどの人は中年から高年の方々で、若者がほとんどいません。美しい落ち葉を踏みしめながら、まだ木に残っている赤や黄色の美しい色の葉をながめるなどというのは、考えようによっては絶好のデートコースであると思われるのに、それとおぼしき若いカップルはほとんど見あたりません。逆に、中高年の方々の多くは、男女の混合集団やカップルが多く、季節と戯れながら人生を楽しんでいるように見えました。

 若者はどこにいるのでしょう。少子高齢化の中で、デートする人間の数も減っているということなのでしょうか。なんか、この国の将来が危ういなあと、また思わされてしまいました。

 今日、驚いたことがもう一つあります。今も続いているのですが、なんとあのNHKが民放でおなじみの「愛は世界を救う」タイプの24時間連続放送キャンペーンをやっているのです。

 私は、少し前からNHKでやっている、各地方ごとに現地にタレントを派遣して、そこの地方の人にも参加してもらいながら、延々と雑談を垂れ流すという「放送」は、金を取って営業している放送局としては、あまりにも手抜きで質の低い物だと苦々しく思っておりました。

 民放がやっている24時間あるいは48時間のキャンペーン番組も、お金をかけずに番組を作るだけではなく、視聴者からお金を集めるという不思議な代物です。民放では、視聴社からお金を取っているわけではありませんので、まあ勝手にやってよと思っていたのですが、それを我々から法律によって強制的にお金を取っている天下のNHKがやることには、「ちょっと待ってよ」という気になります。

 まあ、ちょっと見た感じでは民放のようにワイワイとお祭り騒ぎをやるようなキャンペーン番組ではなさそうなのですが、それにしても民放が始めた(実は例によってアメリカなどに元ネタがありそうな気はしますが)放送のアイディアを丸飲みするような企画をやっている公共放送を見ていると、情けない感じがします。

 民間が長年かけて開発した宅急便業界のノウハウを丸飲みして反撃に出た郵政公社のことを思い出します。

 どうして日本の「官」というものは、このように能がなく恥知らずなのでしょう。丸飲み、丸投げ、総取りの世界です。

 税金あるいは、受信料などという税金と同じものを出発点にして業務をやっているのですから、民間よりもゆっくりと時間をかけて良いものが出せるはずなのに、この現状はいったいどうなってるんだ、と叫びたくもなりますが、「政治なんて所詮、税金から合法的にできるだけ多くの金をピンハネするための装置にすぎない」と思っているような、現場にいる人間にとっては、馬の耳に念仏なんでしょうね。
# by stochinai | 2004-11-06 17:52 | つぶやき | Comments(0)

忠臣蔵

 さっきカエルの水換えをしながら、横でかかっていたテレビを見ていたら(うちの研究室の動物飼育室にはゴミ捨てから拾ってきたテレビがあります)、忠臣蔵をやっていました。

 毎年、年末になると忠臣蔵と、ベートーベンの第九と、紅白歌合戦というのが日本の年末の風物詩となっていますが、12月の討ち入り(14日)の日までに間に合わせようと、今から数回の連続ものでやろうというのが、この番組なのでしょうか。

 もう、何回も見ている討ち入りのシーンなのですが、吉良上野介の首を切り落とす話になって、ちょっと考え込んでしまいました。

 もちろん、先日イラクで首を切り落とされるという、現代の我々からするとかなり「残酷な」やり方で命を奪われてしまった香田さんのことが頭をよぎったからです。

 考えてみれば、日本でもほんの300年前(討ち入りは1702年)までは、首を切るなどということが平然とあるいは誇り高く行われており、(これを言うとまた大騒ぎする勢力もいそうですが)第二次世界大戦(ほんの60年前です)においてすら日本軍はあちこちで首を切るという殺し方を普通にやっていたと聞きます。

 しかも、忠臣蔵の場合などは切った首を戦利品のごとく、誇らしげに持ち歩いていたのではなかったでしょうか。

 2004年という時代において、首を切るという「処刑」を行っているザルカウィといういう人間に何の弁解も許されるはずはないと思うのですが、我々の国だってついこの間まで同じようなことをやっていたということを考えると、そうそう偉そうなことは言えない気がします。

 ついでに思い出してしまいましたが、アラブやチェチェンの抵抗勢力が良く使う「自爆テロ」という作戦だって、日本軍が発明したのではないかと思っています。

 私が子どもの頃は、半ば英雄として半ば犠牲者として「神風特攻隊」や「人間魚雷回天」の話を見聞きしたものです。敗戦の色が濃くなってきた日本軍が自爆攻撃というものを始めた話は、雑誌やテレビや映画などで繰り返し繰り返し、語られ続けていたように思います。

 自分の命を落とすことを前提に相手にダメージを与えるという攻撃方法は、欧米人には理解ができないため、大いに相手を威圧したものだと、日本人の勇ましさ(あるいは愚かしさ)の象徴として教えられたような気がします。

 日本人がやったら「特攻隊」で、アラブ人がやったら「自爆テロ」というのでは、なんともアンフェアだという気がしてなりません。こういうのをダブル・スタンダードというのでしょう。
# by stochinai | 2004-11-05 17:53 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai