5号館を出て

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 月曜日に、この冬一番の大雪が降って、火曜日には一気に20センチもの積雪が増加したのですが、なんと翌日には本格的な雨が降り、今週に入って降った文の雪がすべて融けてしまいました。

 というわけで、30日の雪景色は夢のように消えてしまいました。それとは関係のないことではありますが、数日前にPOP*POPというサイトで、オンラインで写真の編集ができるソフトが紹介されていましたので、雪景色でちょっと遊んでみました。

 ソフトはpicnikといい、ユーザー登録もできるようなのですが、登録せずにすべての機能が使えるようです。

 まずは、自分がもっている写真をアップロードします。写真はFlickerやYahooの画像検索からも取り込めますが、著作権の問題のことなどがわかりませんので、北大の雪景色を取り込み、サイズをちょっと小さくしてみました。
オンライン写真編集サービスソフト_c0025115_2342271.jpg
 色調もいろいろと変えることができるようですが、雪景色ですのでauto-fixを試してみました。コントラストが強くなったようです。
オンライン写真編集サービスソフト_c0025115_23451089.jpg
 次に白黒にしてみましたが、気を付けてみないと気が付かないと思います。
オンライン写真編集サービスソフト_c0025115_23475125.jpg
 続いてセピアです。なかなか、いい感じになってきました。
オンライン写真編集サービスソフト_c0025115_23484044.jpg
 セピアのまま、さらに強調してみました。昔の写真みたいになりました。
オンライン写真編集サービスソフト_c0025115_23494438.jpg
 セピアがいい感じなので、セピアからマット処理をしてみます。
オンライン写真編集サービスソフト_c0025115_23504382.jpg
 最後にセピアのまま、軟調に仕上げてみます。軟調は美人写真などに使うと良いのでしょうが、良い味に仕上がりました。
オンライン写真編集サービスソフト_c0025115_23514097.jpg
 こんなことは、あまたある画像処理ソフトを使うとできることばかりなのでしょうが、オンライン・サービスはいつでもどこでも、インストールされたコンピューターを選ばずにできるところが便利だと思います。

 私程度のユーザーには、市販の画像処理ソフトなどは必要ありませんし、あっても使いこなせませんので、こういうサービスはほんとうにありがたいと思います。

 あらゆるソフトが無料になるのは、もう時間の問題だと感じます。
# by stochinai | 2007-02-03 23:56 | コンピューター・ネット | Comments(2)
 大学生や大学院生がいざ就職を目指そうという時に発見する、自分の中にいる最大の抵抗勢力が「やりたいことが見つからない」という声ではないでしょうか。

 高校の時に、「やりたいことが見つからない」ならば、とりあえず大学に行けば良いということになります。最近ならば、大学でも「やりたいことが見つからない」ならば、とりあえず大学院に行こうという風潮です。しかし、大学院も修士を終えて博士課程に進もうかという時にも、「やりたいことが見つからない」からといってズルズルと博士課程に進むのは危険じゃないかという一般的認識ができつつあります。これは、良いことです。

 博士課程に進学することが誤りだということは、もちろんありません。しっかりと現実を認識した上で、「やりたいことは研究だ」と言いきれる人が博士課程に進むことが祝福される環境を整えるのが、我々の役割ですし、政府の責任だと思います。ただし、現状が甘くはないことは確認しておきましょう。

 さて、山田ズーニーさんという方がいらっしゃいます。その不思議なお名前だけはかなり前から知っておりましたし、ものを書く方であるらしいということも知っておりましたが、何一つ読んだことはありませんでした。それが、最近podcastで『山田ズーニー の 「おとなの進路教室。」』という番組を聞くようになって、ファンになりました。

 この番組では、大人になってから、進路を変えた(転職した)ゲストを呼んで、経歴、悩み、問題意識、そしてそれを乗り越えたブレークスルーの鍵などをインタビューの中から探り出していきます。

 今年にはいってから、在日朝鮮人の崔在哲(チェジェチョル)さんをゲストにいろいろと聞いていて、それはそれでまあそこそこにおもしろかったのですが、今日聞いた2月1日の「Lesson12 やりたいことを見つける方法 (mp3ファイル)」には感動しました。ゲストがチェジェチョルさんということになっているのですが、彼は話の中に2度ほど出てはくものの、まったく登場しません。

 その代わりにズーニーさんが、自分の過去を振り返り、「やりたいことが見つからない」人に「やりたいことを発見した自分の経験」を話してくれています。中味はぜひとも、上にリンクされたmp3を聞いていただきたいのですが、「やりたいことが見つからない」と悩んでいる人には福音になってくれるような気がします。

 多くの人は、自分が好きなことで、自分が他の人よりも才能を持っている「天職」のようなものを、自分がやりたいこととして探そうとしている、とズーニーさんは言います。彼女もずっとそう思っていたそうです。

 編集者としてずっと打ち込んできた編集という仕事、しかし会社をやめたとたんに編集という仕事そのものをするということができなくなって、自分を失ってしまったそうです。しかし、逆にその喪失感と、追い込まれた状況が彼女が「本当にやりたいこと」を発見する力になってくれたというのです。

 ある日、文章を書いてくれないかという依頼があったそうです。その時、彼女はものを書くことは正直に言って「嫌い」で、やりたいことは編集だと思っていたのですが、追い込まれた状況の中でついつい引き受けてしまいます。しかし、そこからが大切なところです。

 彼女はその「嫌な」仕事に120%の力を投入して仕上げたのだそうです。できた時には、編集者としての自分の目からみたら、まったく自信が持てないものしかできなかったと思ったそうですが、それがネットで公開されるやいなやあっという間にたくさんの「いいですね」「ありがとう」「助かりました」というような声が集まり、編集者にも「いいね。それ」と言われたのです。

 この経験が、彼女に「自分のやりたいこと」を発見させたと言います。

 それまで、「自分の中にやりたいことがある」と信じ切って、人や社会からの働きかけを拒絶しようとしていた「閉じていた」自分が、不本意で自分ではやりたくないと思っていることを人に頼まれた時に120%の力でやることで、自分が社会に対して「開かれた」ということなのだそうです。そして、この自分を開くということが、鍵なのです。

 結論は、「やりたいことは自分と人とのつながりの中にある。そして、それは自分を100%出して見た時に『それ、いいね』と言われるか、『それ、だめだね』と言われるかは、出してみるまでわからないのです。でも、それを出してみた時に『それ、いいね』とかけられた意外な声に導かれて自分のやりたいことを見つけた」のだそうです。

 ここでは、うまく書けていない気がしますので、是非とも「おとなの進路教室」を聞いてみてください。目からウロコが落ちる気分で、元気が出ます。
# by stochinai | 2007-02-02 22:23 | つぶやき | Comments(10)
 週刊現代がすっぱ抜いたという、横綱朝青龍が「1場所15番中、真剣勝負は4番」、「1番の相場は80万円で、50~100万円で星を買」っているという情報は、おそらく本当のことではないかと私には感じられます。

 相撲の世界の八百長に関しては、引退した力士の証言なども数限りなくあり、問題が起こるたびにいつの間にかうやむやに消えてしまうことを繰り返してきていると思います。いわば、角界の伝統文化のひとつではないのでしょうか。

 Wikipediaの八百長の項目はまだ確定してはいませんが、そのほとんどの記述が相撲関連に割かれています。そもそも、八百長という言葉自体が相撲と関係しているという話は有名です。
八百長は、明治時代の八百屋の店主「長兵衛(ちょうべい)」に由来するといわれる。八百屋の長兵衛は通称を「八百長(やおちょう)」といい、大相撲の年寄・伊勢ノ海五太夫と囲碁仲間であった。囲碁の実力は長兵衛が勝っていたが、八百屋の商品を買ってもらう商売上の打算から、わざと負けたりして伊勢ノ海五太夫のご機嫌をとっていた。

その後、周囲のことことが知れわたり、真剣に争っているように見せながら、事前に示し合わせた通りに勝負をつけることを八百長と呼ばれるようになった。
 格闘技が好きではない私の偏見なのかもしれませんが、プロレス・相撲に関しては芸能の一種だと思っておりますので、その中で金銭による勝敗の取り引きがあったとしても、お客さんを楽しませ、興行収入が上がるのであれば何も問題はないと思います。

 さすがにプロレスがスポーツニュースで取り上げられることはないようですが、相撲は割と普通にスポーツニュースで扱われることもあるので、スポーツの一種として分類されているのかもしれませんが、いわゆるフェアプレーを身上とする西欧のスポーツと違って、神様に捧げる芸能としての歴史を強くひきずっているものだと思います。

 今でも、あちこちの神社に土俵があったり、女性が土俵に上がるのを忌み嫌ったりということがあるのは、そうしたことの名残でしょう。誰が勝つのかが占いの判断根拠とされることもあるため、結果が凶にならないように勝敗を操作することはむしろ奨励されていたはずです。Wikipedia相撲の項もおもしろいです。
相撲を行なう神社も多い。そこでは、占いとしての意味も持つ場合もあり、二者のどちらが勝つかにより、五穀豊穣や豊漁を占う。そのため、勝負の多くは1勝1敗で決着するようになっており、また、和歌山県、愛媛県大三島のひとりすもうの神事を行なっている神社では稲の霊と相撲し霊が勝つと豊作となるため常に負けるものなどもある。場合によっては、不作、不漁のおそれがある土地の力士に対しては、あえて勝ちを譲ることもあった。また、土中の邪気を払う意味の儀礼である四股は重視され、神事相撲の多くではこの所作が重要視されている。陰陽道や神道の影響も受けて、所作は様式化されていった。
 そいうした伝統を受けて、相撲の世界では神に愛されるような強い横綱を欲しているのではないでしょうか。

 できれば、清く正しく美しく、そして強い横綱が勝つことは、横綱個人の願望というよりも、相撲の世界全体の願いなのだと思います。横綱に品格を求めることも、そうした流れの中なのでしょうし、なんとなく横綱らしい相撲をとり続けることができる限り、横綱は負けないで欲しいというのは角界全体の願いに違いありません。

 だから、たとえ横綱がお金を支払ったとしても、それは大量の懸賞金が彼に渡っていたものを還元してもらうということ以外のなにものでもないのではないでしょうか。そんな世界で、「それは八百長なのではないですか」というような現代の価値観で批判されても、相撲の世界の人々は困り果てているに違いありません。

 相撲の世界に、構造改革・新自由主義で強いものだけが勝ち残るのだというルールを持ち込んでも、それは相撲が滅びてしまうだけのことのような気がします。

 私は、個人的には相撲がなくなってもかまわないのですが、たとえ外国人の力士ばかりになってしまったとしても、日本の伝統神事としての相撲が残って欲しいと思うなら、「八百長」も彼らのやり方のひとつとして認めることが必要なのかもしれません。
# by stochinai | 2007-02-01 23:53 | つぶやき | Comments(3)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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