5号館を出て

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 私の5月2日のエントリー「引用は正確に(読売オンラインに苦言)」に対して、幻影随想さんから苦言を頂きました(^^;)。

 詳しくは幻影随想さんのエントリー「科学知識とメディアリテラシー」を読んでいただきたいと思いますが、私がブログ(その前の、「今日のつぶやき」という勝手なコラムも含め)を始めてから、自分のエントリーをまな板に載せて批判していただいたのは初めてだったことと、内容的にもとても有り難かったため、改めてエントリーを立てました。

 まずは、幻影随想さんにお礼を申し上げるとともに、濡れ衣を着せてしまった読売の記者さん(最初から今まで匿名のままですが)にお詫びを申し上げます。

 今回の「えん罪事件」の原因は、私が議論の出発点になった2002年の科学技術政策研究所が発行したニュースにある表と今回の読売の記事を比較して、引用された文章が元と違っていることの原因を、軽率にも「読売記者のずさんな引用」と結論したことにあります。

 幻影随想さんの調査によると、文科「省内でも何故か資料の転載が行われるうちに問題文の変化が起こっている」ことが明らかにされており、読売はそれを単に受け売りしただけなので、読売が引用する際に変化を導入したというのは、明らかに私の事実誤認ということになります。

 この点について、私が「問題文の改変を読売記者によるものとして疑いもしていない点」がブロガーとしてメディアリテラシーに欠けると断罪されていますが、まったくおっしゃるとおりで、反論の余地もありません。常日頃、マスコミを批判している私が同じような思考停止状態にあるのでは困ったものだということですが、私も同じ意見です。すみません(^^;)。

 最後に、幻影随想さんから「何故設問の変化が起きたのかというところでもう一歩踏み込んで調べて欲しかった」とのリクエストがあるのですが、それはなかなか難しい要望で、たとえ考察してみたとしても推論に次ぐ推論になりそうで、下手をすると今回の事件以上のえん罪を生むのではないかと危惧してしまいます。

 しかし今回の事件によって、我々が行っている科学研究という行為の中におけるもっとも日常的な作業のひとつである仮説検証実験に潜む落とし穴について考えさせられることがありましたので、そちらの考察をもって今回の事件のお詫びに代えさせていただくことにしたいと思います。

 幻影随想さんも生物科学系の研究者のようなのでわかっていただけると思うのですが、まったく雲をつかむような予備実験や学生実習のような場合を除き、我々が実験や観察を行う前には、仮説という「研究しようとしている現象を説明する仮定」を立てます。研究者というものは、ややもすると妄想的(*)に自分で考え出した仮説を信じる傾向がありますが、たとえ盲信していたとしても実験や観察によって仮説と合わない結果が出ると、仮説を棄却することができますので、最初に妄想を持つこと自体はそれほど危険なことではありません。

*さらに、その「妄想」こそが科学者が献身的に研究に没頭するモチベーションになることも多いので、妄想を持つこと自体はあながち悪いとばかりは言えません。

 しかし、仮説で予想した通りの結果が出た時には危険な瞬間が訪れます。普通、特定の現象に対してはある科学者が想定した仮説以外にも幾通りもの説明が可能なものです。つまり、仮説はいくつも立てられることの方が多いのです。にもかかわらず、特定の研究者が想定したたった一つあるいは数少ない仮説で予想された通りの実験結果が出てきたりすると、我々は意外と簡単に仮説が真理であることが証明されたかのごとくに思いがちです。

 冷静に考えてみると、実際に出た結果は「仮説を否定しなかっただけ」で、「仮説が証明された」ということとは必ずしも同じではありません。仮説が否定されなかった時には仮説のさらなる検証のための精密な実験計画を立てて、さらに研究を続けなければなりません。これが、研究の世界におけるリテラシーです。

 つまり、今回の私は幻影随想さんのおっしゃるとおり「読売の記者ならやりそうだ」という先入観(仮説)を持ちながら、探しているうちに見つけた記事とは異なる文章の載っているオリジナルのソースを見て、それと読売の記事の間を結ぶどこかで変更が加わったという事実を、「読売の記者が誤転載した」という結論にしてしまったという間違いを犯してしまったのです。本来ならば、「ではどこで誰が、その変更をしたのか」というふうに追求していくことがメディア・リテラシーのあり方だったということです。

 研究の世界では、有名な雑誌に論文(たとえば仮説とその検証実験、結論からなる)を投稿するとしつこいくらい「ほんとうにそれで仮説が証明されたことになるのか」と査読者からのコメントが付き、その議論をサポートするための追加実験を要求されることもしばしばあります。

 そして、その査読者の存在こそが学術論文およびそれを掲載する雑誌の質を維持しているシステムなのです。今回の幻影随想さんから突っ込みを受けて、私が真っ先に思い浮かべたのはこのことでした。

 『ネット・メディアには、査読者がいる』

 もちろんこの「査読」は制度的に確立されたものではないので、誤ったエントリーを書いたところで必ずしも査読のような建設的なレスポンスを受けることばかりではないでしょう。場合によっては、多数のコメントやトラック・バックによっていわゆる炎上状態になることもあるでしょうし、時には単に無視されることもあるでしょう。しかし、今回私が頂いた批判は非常に建設的な提言でした。まさに、科学の世界で行われている研究者同士による相互批判・相互扶助の査読(審査)制度であるであるピア・レビューと同じものだと感じました。

 こうしたことが機能している限り、ネットの世界は科学研究の世界と同じように健全に発展していく可能性が高いと思います。そして、逆にそうした「査読制度」を構築していくことが、中央集権ではない権力分散型の新しいメディアが発展する鍵になるような気がしています。

#ネットを利用しない市民との間でもそのようなコミュニケーションが可能になるサイエンス・カフェ(バー・パブ・書店)のような活動もやってみたいと思っています。「北海道にも出来ないだろうか?」とおっしゃっている幻影随想さんは、お近くの方なのでしょうか。もし、実現しそうになったら一緒にやってみませんか。
# by stochinai | 2005-05-08 21:55 | 科学一般 | Comments(1)

大学はどこへ行くのか

 「大学教育を考えたりする私」さんが、2006年度に設置が予定されている学部2006年に新設が予定されている大学、および2007年度に予定されている大学をめぐる出来事というリストを出しておられます。

 特にコメントもつけずに並べてあるだけなのですが、それを見ているとなんだか考え込まされてしまいます。

 2007年度の出来事の最初に「大学・短大全入に」と書いてあるのですが、そのくらい大学入学者数が減っているにもかかわらず、大学や学部がどんどんと増えているという印象を受けます。

 もちろん廃止になる学部や倒産する大学も出てくるのでしょうから、単純に増加していくわけではないと思うのですが、何か学生数減少と学部・大学の新設には整合性が感じられません。

 ご存じの通り、大学というものは文科省が設置を認めてくれなければ作ることはできませんので、このリストは文科省が認めたものということなのでしょうが、文科省としてはしっかりとしたビジョンを持って認可作業を進めていることを期待したいと思いますが、本当に大丈夫なのでしょうか。

 設置予定の学部に医療や看護、保育それにはやりの「こども学部」などというものが目立つのは、少子高齢化社会への対応としてわかるのですが、城西国際大学 観光学部、京都精華大学 マンガ学部、園田学園女子大学 未来デザイン学部などというものは、大学でやらなければならないものなのかどうか、疑問も残ります。

 また、相変わらず名前からでは訳のわからないものもあり、工学院大学 グローバルエンジニアリング学部、駒澤大学 グローバル・メディア・スタディーズ学部などでは、どんなことをまなぶことができるのでしょう。

 新設の大学9校のうち、札幌に3校もあります。札幌市立大学 デザイン学部 看護学部、札幌大谷大学 音楽学部、北海学園商科大学 商学部です。札幌市立大学以外は、母体となる大学がすでにありますので、純粋の新設というわけではないのですが、札幌市立大学は完全な新設です。我々の大学との競合も予想されることになるのでしょうか。さらに名寄市立大学 保健福祉学部を加えると、新設大学9校中4校が北海道ということになります。経済的に冷え切っていると言われている北海道で、新たに大学をそんなに増やして大丈夫なのかと、とても心配になります。

 さらに2007年に予定されているイベントのエントリーを見ると、「早稲田大学理工学部が『先進理工学部』『基幹理工学部』『創造理工学部』の3つになる」など、特定の大学が独走する予想も見て取れる感じです。

 たとえ私立大学でも、文科省から認可されると多額の補助金が出るはずで、それは我々の税金によってまかなわれるので、我々も大学の将来について考えコメントする権利があると思います。どんどん作ってはつぶれて、そのたびにたくさんの被害者となる学生と、多額の税金の浪費が行われるのだとしたら、そうそう黙って見過ごすわけにはいきません。

 なんだか最近は、監視しなければならないものが多すぎて困ります。そういうことをやってもらうために、政府とか官庁とかがあるはずで、そのために税金を納めているはずなのに、税金を払った上に、大変になっている現状ってやっぱり変だと思います。
# by stochinai | 2005-05-07 17:03 | 大学・高等教育 | Comments(12)

日本国憲法 前文

 ちょっとタイミングが悪いですが、また日本国憲法の前文を読んでみたくなりました。

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前 文

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動しわれらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

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 下線は、私が勝手に引いたものですが「ここ重要だからね」です。いくら憲法改正が議論されているといっても、日本国籍を持つすべての人は、現時点ではこれを守らないといけないのですが、守れているでしょうか。
# by stochinai | 2005-05-07 13:03 | つぶやき | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai