2006年 05月 19日
愛すべき日本という国を
今年もまた理学部総合博物館の前のクロフネツツジが美しい季節になりました。
こちらは去年の同じ場所の9日後の風景(クリックで拡大)
誰でもが、そこそこ幸せに暮らすことができて、こんな風景をのんびりと眺めることができる国であるならば、子どもたちに「日本という国を愛しなさい」などと命令しなくても、みんなきっと日本を愛するようになってくれることでしょう。
こんなにきれいな風景があるのに、そのまわりで小学生が遊び回り、中学生がスポーツをして、高校生がデートをし、大学生は読書をする。そんな光景が見られないのはどうしてなのでしょう。
子どもたちは土日が休みと言っても、外で一緒に遊んでくれる両親がいるとは限りません。町内に一緒に遊んでくれる、お兄ちゃん・お姉ちゃんもいません。ひとりで遊んでいると、さらわれてしまったりします。
小学校から英語を学ばせようということに母親の多くが賛成しているのは、子どもたちに受験で苦労をさせたくないからというだけの理由だと思います。国際化とか早期教育とかはどうでも良くて、苦労せずに高校・大学に入って欲しいということではないかと思います。
どうして、高校や大学にはいらなければならないかというと、高校や大学くらい出ていないとその先に安定した生活が保障されないからです。最近それでも、ダメだったりすることもあるようですが。
政府が競争を奨励して、落ちこぼれた「負け犬」の生活が苦しくなっても仕方がないなどということを言っているようでは、国民の一人一人が自分だけは浮き上がろうとお互いの足を引っ張り合うのも無理はないでしょう。
なんとか生き残るために小学校から塾通いをさせられて、美しい日本の風景の中でのんびりと遊ぶことも許されないのに、その国を愛しなさいと言っても、それは無理というものでしょう。無理を強要して育てた子どもたちの何人かは、必ず社会に対して報復をするようになると思います。
すでにその報復は始まっている、というのが私の見解です。教育基本法の改正と、教育現場における遵法指導とその監視をすることは、さらに状況を悪くするような気がしてなりません。
どうせなら、子どもたちをのびのびと育てるための法律でも作ってください。
誰でもが、そこそこ幸せに暮らすことができて、こんな風景をのんびりと眺めることができる国であるならば、子どもたちに「日本という国を愛しなさい」などと命令しなくても、みんなきっと日本を愛するようになってくれることでしょう。
こんなにきれいな風景があるのに、そのまわりで小学生が遊び回り、中学生がスポーツをして、高校生がデートをし、大学生は読書をする。そんな光景が見られないのはどうしてなのでしょう。
子どもたちは土日が休みと言っても、外で一緒に遊んでくれる両親がいるとは限りません。町内に一緒に遊んでくれる、お兄ちゃん・お姉ちゃんもいません。ひとりで遊んでいると、さらわれてしまったりします。
小学校から英語を学ばせようということに母親の多くが賛成しているのは、子どもたちに受験で苦労をさせたくないからというだけの理由だと思います。国際化とか早期教育とかはどうでも良くて、苦労せずに高校・大学に入って欲しいということではないかと思います。
どうして、高校や大学にはいらなければならないかというと、高校や大学くらい出ていないとその先に安定した生活が保障されないからです。最近それでも、ダメだったりすることもあるようですが。
政府が競争を奨励して、落ちこぼれた「負け犬」の生活が苦しくなっても仕方がないなどということを言っているようでは、国民の一人一人が自分だけは浮き上がろうとお互いの足を引っ張り合うのも無理はないでしょう。
なんとか生き残るために小学校から塾通いをさせられて、美しい日本の風景の中でのんびりと遊ぶことも許されないのに、その国を愛しなさいと言っても、それは無理というものでしょう。無理を強要して育てた子どもたちの何人かは、必ず社会に対して報復をするようになると思います。
すでにその報復は始まっている、というのが私の見解です。教育基本法の改正と、教育現場における遵法指導とその監視をすることは、さらに状況を悪くするような気がしてなりません。
どうせなら、子どもたちをのびのびと育てるための法律でも作ってください。
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by stochinai
| 2006-05-19 22:02
| 教育
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Comments(2)