2006年 05月 14日
自民党を止めることができるのは見えない「民意」
共謀罪が委員会で強行採決されそうな気配があると、あちこちでささやかれているようです。
教育基本法にしても国民投票法・憲法改正にしても、自民党(と公明党)がその気になれば、とりあえず国会を通すことは技術的(人数的)に可能な状況なのですから、野党が一所懸命がんばったとしても、反対しきれるものではないのでしょう。
それにもかかわらず、なぜあらゆる法案がどんどんどんどん機械的に多数決で決められていかないのでしょうか。
それは自民党(と公明党)が何かを恐れているからだと思います。
その何かというものは具体的に見えないものであるからこそ、絶対多数の力を簡単に行使できないのでしょう。
それは何かというと、いわゆる「民意」というものではないでしょうか。
自民党(と公明党)は、野党や我々などのようにものを言う人間はそれほど恐ろしくないに違いありません。その証拠に、何を言っても聞く気はまったくないという風情です。
それにもかかわらず、あの能天気な首相でさえも、なんとなくこの「民意」を怖いと思っているフシが感じられます。逆に言うと、野党や我々が怖くないのは「民意」を代表していないからなのかもしれません。
一時はうるさいほどに繰り返されていた世論調査というものが、最近ちょっと静かになってきている気がします。その理由のひとつに、やはりあれが「民意」を反映していないからということわかってきたからではないでしょうか。
とらえどころがないからこそ恐ろしい、この「民意」をつかんだり動かしたりできると国を動かすことなど簡単にできるのかもしれません。
小泉さんが自分でも不思議なくらいの支持を集めていた時、彼は「民意」を吸い上げることに成功していたのだと思います。最近はその自信がなくなってきたので、彼も弱気になっている(あるいはやる気が失せている)という面もあるのではないでしょうか。
この実態のない「民意」をつかむもっとも確実な方法は、それを作り出すことなのかもしれません。民意を知ろうとする努力が民主主義だとするならば、民意を作り出すことは独裁を目指していると言えるのかもしれません。最近の日本の政治家を見ていると、与野党を問わず民意を作ることに熱心な気がします。
民意を「作る」ということ、私にはやはり恐ろしい仕業だと感じられます。
教育基本法にしても国民投票法・憲法改正にしても、自民党(と公明党)がその気になれば、とりあえず国会を通すことは技術的(人数的)に可能な状況なのですから、野党が一所懸命がんばったとしても、反対しきれるものではないのでしょう。
それにもかかわらず、なぜあらゆる法案がどんどんどんどん機械的に多数決で決められていかないのでしょうか。
それは自民党(と公明党)が何かを恐れているからだと思います。
その何かというものは具体的に見えないものであるからこそ、絶対多数の力を簡単に行使できないのでしょう。
それは何かというと、いわゆる「民意」というものではないでしょうか。
自民党(と公明党)は、野党や我々などのようにものを言う人間はそれほど恐ろしくないに違いありません。その証拠に、何を言っても聞く気はまったくないという風情です。
それにもかかわらず、あの能天気な首相でさえも、なんとなくこの「民意」を怖いと思っているフシが感じられます。逆に言うと、野党や我々が怖くないのは「民意」を代表していないからなのかもしれません。
一時はうるさいほどに繰り返されていた世論調査というものが、最近ちょっと静かになってきている気がします。その理由のひとつに、やはりあれが「民意」を反映していないからということわかってきたからではないでしょうか。
とらえどころがないからこそ恐ろしい、この「民意」をつかんだり動かしたりできると国を動かすことなど簡単にできるのかもしれません。
小泉さんが自分でも不思議なくらいの支持を集めていた時、彼は「民意」を吸い上げることに成功していたのだと思います。最近はその自信がなくなってきたので、彼も弱気になっている(あるいはやる気が失せている)という面もあるのではないでしょうか。
この実態のない「民意」をつかむもっとも確実な方法は、それを作り出すことなのかもしれません。民意を知ろうとする努力が民主主義だとするならば、民意を作り出すことは独裁を目指していると言えるのかもしれません。最近の日本の政治家を見ていると、与野党を問わず民意を作ることに熱心な気がします。
民意を「作る」ということ、私にはやはり恐ろしい仕業だと感じられます。
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by stochinai
| 2006-05-14 23:51
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Comments(3)