5号館を出て

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 先週の金曜日に、付属図書館講演会「学術情報流通の世界的動向と大学」などという大げさな場で講演してしまいました。内容は昨年、動物学会に関連シンポジウムとして開催されたSPARC/JAPAN連続セミナ-「電子ジャ-ナル時代の学術情報流通を考える」で発表した「インターネット時代の研究者と論文 - アクセス、投稿、公開 -」とほとんど同じで良いとのことだったのですが、さすがに半年もたつとインターネットの世界はかなり様変わりしているもので、さすがにそのままではまずいと、いろいろと手直しをしたのものの、やはり準備不足は否めず、正直に言って話題提供者としてはちょっと不完全燃焼でした。

 聞きにいらしてくれた方のほとんどは、道内外の図書館関係の方だったようですが、私にとっては非常に重要なお二人が聞きに来られ、その感想を書き残してくださったことが大きな収穫になりました。

 お二人とは、CoSTEPのライターNさんと、おそらく北大でも屈指の実践的情報技術をお持ちの数学科のNさんです。CoSTEPのNさんはそのものズバリ北海道大学の機関リポジトリの愛称であるHUSCAPというタイトルのエントリーを書いてくださっていますし、数学のNさんは研究者から見た機関リポジトリというエントリーを書いてくださいました。

 CoSTEPのNさんはサイエンス・コミュニケーターとして大学の研究者の活動を市民に伝えようと考えておられると思いますし、数学のNさんは研究者としていかに情報発信をしていくかということを常に考え、また先端的に実行もなさっている方です。幸いなことに私はお二人ともと知り合うことができて、いろいろと教わっていることも多いのですが、そう言えばしばらく前に、このお二人にはどこかで会っていただいて、意見交換をしてもらわなくてはいけないと思っていたことを思い出しました。いずれ機会を設けたいと思います。

 当日おふたりは接近遭遇しているのですが、私が紹介する機会を逸してしまいましたので、おそらくはまだ未知の方同士だと思います。しかし、この時期に同じ北大の中でコミュニケーションについて考え行動しているわけですから、遅かれ早かれ会うことになるものとは思っています。また、それは北大や科学コミュニケーションにとっても有意義なことです。

 世界的にみると徐々に広がりつつある機関リポジトリですが、日本ではまだ千葉大と北大それに早稲田大くらいしか動き出しておらず、動き出しているところでもまだまだ微力です。北大のHUSCAPでも現時点までに収録されている文献は、いわゆる原著論文が223件、その他の論文が33件、教育用資料が26件とあまりにも少ないのです。最近になって一括登録を開始した紀要等の文献数が2399件あるのですが、それにしてもいわゆる文献倉庫としてはほとんどゼロに近い値で、寂しいものです。

 ところが、この程度の収録数ではリポジトリがそれほど利用されないのではないかという予想を大きく裏切り、累積アクセス数はすでに50万を軽く突破しています。また、ダウンロードされた文献に関しても多いものでは、月に数10から数100のオーダーに達しており、かつての論文別刷の配布のことを考えたら驚くべき頻度で利用されているということになります。

 これはやはり、無料で論文がダウンロードできるというメリットが認められた結果ではないかと思われます。リポジトリに収録された多くの原著論文は、ジャーナルのサイトからはpdfファイルをダウンロードすることができますが、あくまでもそれは有料での契約を前提としたものです。Googleなどで論文のタイトルを発見しても、アブストラクトくらいしか見せてくれない有料のジャーナルサイトにある論文が参照されるチャンスは、リポジトリに無料で公開されていることで何100倍にもなることが推測されます。

 私自身の経験からしても、たった3件しか登録していない論文のひとつが8月だけでなんと66回もダウンロードされているというデータを見せていただいて驚愕してしまいました。

 論文を見てもらえるということは科学者にとっては非常に嬉しいことです。さらには、それを引用して論文が書かれるチャンスも大きくなることは間違いありません。被引用回数を基準にランキングを決めるインパクト・ファクターでは出版後たった2年間しかカウントしてくれませんが、Google Scholarなどでは、半永久的に引用回数を蓄積してくれます。

 実例を示しますと、Google Scholarで半年前には21本の論文に引用されていた私の1985年の論文が、半年経った今は22本の論文に引用されていることがわかりました。インパクトファクターでは決して評価されない時間をかけた(ロングテールの)貢献が評価できる時代になってきたのだと思います。

 そういう意味で、無料でインターネットで各種のソフトが利用できるスタイル(OAI-PMHというのだそうです)で検索可能な状態で半永久的に公開されるということは、実は我々の想像を越えた有用性と、論文の正当な評価を得る道なのだと確信し始めているところです。

 HUSCAPを利用することは実は科学者にとっては、世界への情報公開というサービスになるばかりではなく、自信の業績評価にとって今までにない公平性を獲得する手段なのかもしれません。特に我々のように、時代の波に乗って爆発的に売れるなどということのない地味な研究をやっている人間でも、何10年何100年かけると必ず自分の研究を必要としてくれる人に出会えるチャンスを保証してくれる、タイムマシンなのかもしれません。
# by stochinai | 2006-03-07 22:56 | 大学・高等教育 | Comments(0)

iPodがIDカードになる

 最近、お気に入りのユニークなニュースサイト「科学ニュースあらかると」に、おもしろい記事が載っていました。

 「iPodのシリアルナンバーは貴方を特定する」という記事です。そこにアメリカ発のブログ・エントリーが2つ引用されていますが、元ネタのニュースは例えばこれだと思います。

 現地時間で3月3日の朝、サンフランシスコのプレシディオ(そう言えば、「プレシディオの男たち」という映画もありました。ショーンコネリー、メグライアン、マークハーモンでしたね。)で、ジョギング中にひき逃げされた女性が身元を証明するようなものを何一つ持っていなかったのですが、現地の警察官は彼女の持っていたiPodをサンフランシスコのアップルストアに持ち込み、アップル本社に問い合わせることで、その女性が27歳のAshlyn Dyerさんであると判明したと発表したそうです。

 Ashlyn Dyerさんはいまだに危篤状態なのだそうですが、連絡がついた家族は病院に駆けつけたとのことです。まずは、良かったと言えるでしょう。

 ニュース記事には、この事故に関する情報をお持ちの方は、米国公園警察(U.S. Park Policeなんてものがあるんですね)のRobert Jansingまで電話を下さいとも書いてあります。臨場感があります。電話番号は(415) 561-5144です(アメリカですので、かける時はご注意を)。

 もちろんiPodがなかったら、彼女は身元不明人として家族が駆けつけることもできなかったということになりますが、アメリカのブログのひとつにはアップルの情報公開の原則がどうなっているか不安を覚えるというようなことを書いたエントリーがあります。

 犯罪現場にもしも自分のiPodが落ちていたら、容疑者あるいは関係者とされるのだろうという可能性を心配しているのですが、さすがはプライバシーの国アメリカですので、議論が起こるのでしょう。こうした場合は今回の場合と違って情報を出すか出さないかは、そう簡単じゃないかもしれないと思いながら、アップルのお客様の個人情報取り扱いに関するポリシーを見ると、少なくとも日本のアップルにある情報は警察に渡されそうに思えます。
法律または訴訟により、アップルがお客様の個人情報の開示要求を受ける場合があります。また、国家安全保障、法の執行や公益実現に必要と判断した場合、アップルが個人情報を公開する可能性があります。

 まあ、戦争の際の認識票程度に思って肌身離さずにいれば、iPodはいざというときのIDにはなってくれるということのようです。

 良いのか、悪いのか。
# by stochinai | 2006-03-06 22:47 | コンピューター・ネット | Comments(8)
 1971年まで沖縄が日本ではなかったことを記憶している人はどのくらいいるでしょうか。私が大学に入った頃、沖縄に行くにはアメリカに渡航するためのパスポート(とビザも?)が必要でした。第二次世界大戦に敗れてから沖縄はアメリカに占領されていたのです。

 沖縄が返還されることになり、沖縄返還協定が日米間で締結される時に、協定の中にアメリカ軍が支払うと書いてある軍用地復元費400万ドルを日本が肩代わりするという密約があったということを、毎日新聞の西山記者がスクープしたことは当時非常に大きなニュースになりました。

 しかし、政府はその密約に関してはいっさい否認を続けたばかりではなく、そのスクープの情報として機密電文のコピーを内部告発として記者に提供した外務省職員とともに西山記者を、機密漏洩という国家公務員法違反の容疑で逮捕するという挙に出ました。

 今でも覚えていますが、裁判所ともあろうものが何とも下品な「情を通じ」という表現を使って西山記者が外務省職員を男女関係を利用してだまして機密情報を不正に入手したということで有罪にしました。(注:実は、判決でそのように表現されていたかどうかまでは、はっきり憶えていません。検察側がその表現を使っていたことは間違いなく、当時の担当検事が自らあの言葉で有罪にできたと威張っているのを、割と最近になってテレビで見ました。マスコミが喜んでその言葉を反芻していたことも間違いないと思います。)

 それを受けて、毎日新聞は西山さんを休職処分にしたことで、事件は一件落着ということになってしまった感があります。

 密約があったかなかったかという方が、日本の国益という大きな観点からみて重要な問題のはずなのに、密約を暴露する情報が漏洩したことの方が大きな問題であるかのように騒がれ、暴露のされ方が違法に行われたということの方が問題にされ、密約そのものがなかったことにしてしまう政府のやり方、およびそんなことで腰砕けになってしまうマスコミに大きな失望を覚えた記憶が今でもありありと思い出されます。

 しかも、マスコミは腰砕けになっただけではなく、その後の報道は西山記者バッシングへとなだれ込んだように思われます。マスコミが最近ダメになったと言われることが多いのですが、実はあまり変わっていないのかもしれません。

 当時でも日本人の多くは密約があったと信じていたと思いますが、違法に入手されたものには証拠能力がないので、密約そのものがなかったかのごとくに装う日本政府の姿勢は現在まで続いています。それで通ってしまうのが日本の政治状況なのでしょうか。

 しかし、つい最近、日米交渉の実務責任者だった当時の外務省アメリカ局長の吉野文六さんが、密約の存在を認めたというニュースが報道されました。吉野さんは今87歳で、死ぬ前に本当のことを話しておきたいという気持ちになったのかもしれません。

 実は昨年、すでにアメリカで公式文書が公開されて密約の存在は明らかになっています。その時点でも日本の関係者は無視あるいは否定を続けていたのですが、ついに内部の重要関係者が告白したことの意味は大きいと思います。西山さんは昨年の時点で、自分の名誉回復も含めて国家賠償訴訟を起こしています。今回の吉野さんの告白は、その裁判には追い風にはなると思います。

 しかし、そのニュースを聞いても阿倍安倍晋三官房長官は記者会見で「そうした密約はなかったと報告を受けています」と発言しているようです。まあ政府自民党が公式見解として過去に国会をだましたということを簡単に認めたくないのはわかりますので、これはこれとして無視しても良いかと思いますが、野党やマスコミの追求までもがほとんどないことに強い失望を覚えています。

 まずは毎日新聞が、自社で行った休職処分からの名誉回復をすべきではないでしょうか。

 マスコミも政府と同じように、自分たちの犯した間違いを認めることにこんなにも抵抗するのはどうしてなのでしょうか。名誉を重んじる国民性があるので、それを認めることは自分の死を意味するとでもいうのでしょうか。

 先日の民主党おそまつメール事件の時にもちょっとした間違いを認めたくないこと原因となって、間違いに間違いを重ねる原因になり想像を絶する泥沼になったような気がします。

 間違ったら早めに訂正して謝る。たとえ遅くなったとしても気が付いたらすぐに訂正して謝る。取り返しがつかないくらい遅くなっても、訂正して謝る。そんなに難しいことでもないと思うのですが、日本の最高の知性が集まっていると期待される政府やマスコミの方々にそれができないのはどうしてなのか、不思議でなりません。

【追記】
 この事件は機密があったかどうかではなく、機密漏洩事件(「西山事件」)としてウィキペディアに載っております。非常に良くまとまっていますので、そちらをご覧下さい。私の記憶がかなりいい加減なことも良くわかります(^^;)。
# by stochinai | 2006-03-05 23:42 | つぶやき | Comments(6)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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