5号館を出て

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書斎が戻ってきました

書斎を修理に出す

 修理に出してから1週間くらいで、修理費用の見積もり電話がありました。モデムとタッチパッドと液晶のくすみを全部直すのなら、7万円近くかかるとのこと。

 液晶のくすみは、パネルの内側についた汚れではなく圧迫痕なのだそうで、直すのなら液晶交換ということでした。どうせそれが高いのだろうから、それはいらないと言ったら、約2万円に値下げされました。

 というわけで、その交渉から数日後「書斎」が戻ってきましたが、ハードディスクをリカバリしなければならなかったので、ということでまっさらな状態になって戻ってきました。

 30ギガほどのプログラムとデータはきれいさっぱりと消し去られていました。ある程度の予想はしていたので、データのバックアップは取ってあったのですが、長い時間をかけてつくりあげたソフトウェア環境は簡単に元に戻すことはできません。

 しばらく実用に使うことはあきらめなければならないでしょう。まとまった時間をとれる暇がないです。

 いっそのこと、まったく別のOSでも入れてしまおうかな、とも思っていますが、正規にライセンスを取っているソフトウェア(WindowsXPもです!)に関しては、他の機会に権利委譲の手続きをとらなければならないことを考えると、それも面倒くさい話です。

 新品を買う時以外は、泣き面に蜂という感じで次々と不幸が襲ってきます。トホホ。
# by stochinai | 2005-02-08 21:55 | コンピューター・ネット | Comments(0)

大学内に保育所

 あまりにも当たり前すぎることだと思うのですが、読売オンラインに名大が教職員・学生など対象に「学内保育所」開設へという記事が出ていました。

 「名古屋大学(平野眞一学長)は来年4月から、同大の教職員や学生、留学生を対象にした学内保育所を開設する方針を決めた」ということです。大きな大学だったら、どこでも教職員向けの保育所はあるものですが、学生・留学生をも対象としたとものについては、あまり聞いたことがありませんでしたので、画期的なことなのかもしれないと思いました。

 しかも「国立大の学内保育で、国立大学法人が設置主体となるのは全国初という」と書かれています。しかし、今まで横並びでやってきた全国の国立大学のことです。名古屋がやるなら、他でも一斉にやるのではないかと思い、調べてみました。

 まずは、足元の北大を検索。なんと、脱力するほど同じストーリーの話題が12月の北大時報に載っていたのでした。 お知らせ「子どもの園保育園(仮称)の設置等について」です。

 「このたび,本学の中期計画に基づき,育児にあたる必要の生じた本学の職員や大学院生,ポストドクター,外国人研究者等が安心して就労又は就学できる環境を整えるため,平成17年度から「子どもの園保育園(仮称)」を札幌市の認可を得て本学が設置・運営する予定でおります」だそうです。ほとんどまったく同じ企画ですね。もちろん、悪いことではありませんので、どんどんやったら良いと思います。

 私は保育所のことは詳しくないのですが、北大の場合は札幌市の認可を受けることから、「4月1日からの入園児童は一般市民の児童も対象となっており,入園の可否は札幌市で決定されることとなりますので,入園を希望する場合は,居住地域の区役所(保健福祉サービス課)へお申し込みください」となっており、「現在職員授乳所に入所中の児童であっても,同様に申込手続きが必要と」なるのだそうです。そうなると、北大関係者が優先されるわけではなくなると読めます。

 これって、地域のためにはなるかもしれませんが、北大の教職員・学生にとっては大学のそばに認可保育園ができたのとなんら変わらないということになります。北大が自らの費用を使って作るのであれば、北大関係者の福利厚生を優先すべきではないかと思うのですが、そこにもまた例の経済原則が働いているのでしょう。認可保育園となると、自主性を失う見返りに公的補助が得られます。なんかセコイ気がします。

 それに、そもそも保育園や託児所というものは、異常にお金がかかるところだと聞いています。ある時給非常勤の方が、「子どもを預けて働いても赤字になるだけです」とおっしゃっていましたが、そんな現実があるのに国が少子化対策に有効な手を打てないというのは、まったく不可思議な気がします。

 学生であろうが、大学院生であろうが、事務職員であろうが、若手研究者であろうが、給料の少ない大学(だけじゃないですが)関係者が子どもを持った場合には、保育料や低学年の学費はすべて無料にするという簡単な政策がどうして取れないのでしょう。

 くだらない大型工事はもうやめて、すべての予算を子どもを増やすためにまわすくらいのことをやらないと、少子化に歯止めなんてかかるわけないです。

 少子化対策なんてきわめて簡単です。子どもを生んだ方が生活が楽になる社会を作ることです。それを、子どもは将来収入源になる親の資源であるから、その成育は受益者負担で自己責任でおやり下さいなどという思想を持った連中が行政を牛耳っている限り、何百年後かに人の1人もいない日本列島が近隣のアジアの国に乗っ取られることでしょう。

 まったく、書いていても腹が立ってきます。
# by stochinai | 2005-02-08 21:41 | 大学・高等教育 | Comments(10)
 一週間ほど前に、環境省が「特定外来生物」として、規制する第一陣に37種指定というニュースがありました。輸入と移動が禁止されるということのようで、すでに国内にいるものを殺戮せよ、という法律を作るということではないようです。しかも、まだ決定したというわけではなく「同省が国民の意見を聞いた後、閣議で決定され、6月までに予定される同法施行時から適用される」とのことですので、国民ならば意見を述べるチャンスがあるようです。

 特定外来生物に指定が見込まれる生物として、挙げられている哺乳類としては既に駆除が始められているタイワンザルやアライグマがいます。特に駆除されているという話は聞きませんが、戦時中に政府が輸入・飼育が奨励されて「ブタのように大きなネズミ」として時々騒ぎになるヌートリアもいます。キョンなどは、八丈島の名物になっているので保護されていると思っていました。

 ガビチョウ、ソウシチョウなどは、どれもペットの小鳥とでもいうべきもので、もう野外で増えているのなら、まあ仕方がないかと思えてしまいそうなものです。

 カミツキガメ、グリーンアノール、ブラウンアノール、ミナミオオガシラ、タイワンスジオ、タイワンハブなどの爬虫類。トカゲ・ヘビは野生にいたらあまり歓迎されないでしょうね。

 オオヒキガエルは、戦後アメリカの進駐軍が持ち込んだと言われているもので、沖縄など南の島で繁殖しています。英語ではマリントード(海ヒキガエル)と呼ばれるように、海岸などの開けたところに住んでいるようですが、もちろん海水の中を泳げるわけではありません。そんな両生類はいません。(このことからも、サカナが両生類になって上陸したのは、海ではなく淡水だったと考えられています。)
 
 大きな問題になっているオオクチバス、コクチバス、ブルーギル、チャネルキャットフィッシュについては、在来の淡水魚を圧迫しているので、輸入・移動だけではなく駆除という方向に動いている自治体も多いようです。タイミング良く、今日のニュースで、琵琶湖・外来魚の再放流訴訟:原告の訴え却下「リリース禁止」と出いうのがありました。清水國明さんは負けてしまったようです。滋賀県の制定した、琵琶湖ではブラックバスやブルーギルなどの外来魚を釣り上げた場合にリリースを禁止するという条例は適法であるという判決です。まあ、このサカナはどれもどう猛で肉食であり、積極的に日本在来のサカナを食べていることもわかっているので仕方がないとは思います。

 こうして見てみると、輸入や移動を禁止したところで、すでに国内で自然に繁殖しているものが多いようなので、積極的に減らすためにはまた別の条例や、政策が必要です。特に大反対という意見を持っているわけではないのですが、私は動物や植物の分布を人為的にコントロールしようという思想には、諸手を挙げて賛成とは言えない立場です。もちろん、専門的に生態学などの研究をしている方々が、在来の生態系を保護すべきであると主張する意見も理解できます。

 しかし、その「在来の自然」と言ったところで、せいぜいが数十年から数百年前のものではないでしょうか。人類が誕生してからは、この地球上の生物分布は人類の営みによって変化させ続けられてきたと思います。食糧として捕獲・採取・減少させたものはもちろん、家畜やペット・農作物として移動・増殖させたり、あるいは意図せずして運んでしまったものなど、人間による生態系の「攪乱」は何万年も続いてきたのだと思います。

 もちろん、ごく最近になって明らかに人がかかわって分布域を変えただけではなく、在来種の存在が脅かされていることが明らかな場合に、その「失敗」を補うための政策を取ることには反対しません。根絶と旧生態系の回復はとても無理かな、と思っても止めろとは言いません。ただちょっと気になるのは、人間の浅知恵で「こういう生態系が理想的なのだ」などと短絡的な結論を出して、突っ走ることをやってしまわないかということです。

 たとえ、人間が介在していたとしても、地球生態系というものは「なるようにしかならない」部分が大きいのではないかと思います。それを、管理しきれるという思想があるとしたら、それこそが人間の傲慢かもしれないと思います。たとえ外来生物がはいっていたとしても、まずは研究すること、そしてどのくらいまで人間が手を出していいのかをみんなで検討しながら、少しずつ手を入れていくというのが、「自然」とのつきあい方ではないかと思っています。

 ご意見をお聞かせ下さい。
# by stochinai | 2005-02-07 20:40 | 生物学 | Comments(7)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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