5号館を出て

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 今朝の朝日新聞を読んでちょっとドキッとしてしまいました。
北海道新聞がおわび 「道警の泳がせ捜査失敗」記事

 実は数日前から、さらに遡れば去年の暮れからいろいろな噂が流れていたからです。おそらく最初の暴露記事が12月7日のこれだと思います。
道警が、裏金問題報道を逆恨みし、北海道新聞社長逮捕を臭わせ恫喝!?

 道新が道警に脅されて、道警裏金追求問題で記事のねつ造があったことにされるかもしれないという危惧を持っていたようです。しかし、その後に続編が出た以下の続編によると、道新幹部に腐敗はあるものの、道警追求の記者達を陥れるようなことはできなさそうだという雰囲気のことが書かれています。
道警による北海道新聞社長逮捕説のその後

 これによると、「裏金報道に関わった記者の受賞返還、さらには左遷といった事態、一方、道警側では、本気で社長等を特別背任容疑で捜査(そうしろといっている幹部は実際に存在する模様)に動いているという最悪の事態には、少なくとも、いまのところなっていないようである」と状況を楽観視しているようです。

 ところが、一昨日情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士さんから檄文が飛んできました。
北海道新聞が危ない…ついに道警に謝罪か?怒れ560万道民

 これを受けて、泉あいさんも歯がゆい思いを書いておられます。
北海道新聞と北海道警察

 そして、もちろん道民の一人としてkamiyam_yさんも反応されています。
道警のさらなる腐敗 北海道新聞と北海道警察

 こういう伏線があった上での今朝の記事ですから、とんでもないことになったのではないかと、驚いたというわけです。朝日の記事を読む限りでは、道警の裏金問題と直接関係したことではないようですが当の道新記事もありますので、まずはそちらを読んでみてください。
「泳がせ捜査」記事でおわび 裏付け取材が不足 「組織的捜査」確証得られず

 問題になった記事は、昨年の3月13日に出たもので、実名を出して複数の警察関係者の証言に基づき、取材をした上で「疑惑」を提出したものであり、警察は否定しているとも書いてあるので、なぜこれをこんなに大々的なおわび記事にしなければならなかったのかと考えると、今までに出ていた「噂」の信憑性が浮かび上がってきます。

 一連のブログ記事を読む限りにおいては、道警からの圧力があるということと、道新の経営側に道警に妥協しようとする動きがあるということは、間違いないのではないかと感じました。

 しかし、同時に今回のおわびに関連して今のところ記者やデスクの処分というようなことにはなっていないようであることと、そのおわびそのものが道警を満足させるような「貢ぎ物」にまではなっていないところに、道新首脳部に一片の良識が残っていることがかぎ取れました。

 今後、道新として取るべき道はただひとつです。もしも、経営陣に腐敗があるのならば道警に脅される前に自浄作用を働かせることと、ジャーナリズムとして最大の宝である記者を守り抜くことです。今はまだ、かなりの数の道民は道新を支持していますから、ここで信頼を失墜させるようなことにさえならなければ、道新は次の世代まで生き延びる可能性はまだまだあると思います。道民に守られれば、道新は生き抜けるでしょう。

 しかし、もしも経営陣を守るために、記者を権力側に売り渡すようなことにでもなったとしたら、私は不買運動も含め道新の崩壊を促進する側に立つことにします。そして、道警の腐敗追及に拍手を送った多数の道民も道新を見放すことになるでしょう。道民の支持を失った道新にはジャーナリズムとしては死があるだけです。

 道民を取るのか道警を取るのかと迫られた時、ジャーナリズムならば迷いはないはずです。

 今日の記事が、道新の終わりの始まりの序曲とならないことを心から祈っています。
# by stochinai | 2006-01-14 15:13 | 札幌・北海道 | Comments(4)
 今日は、もはや札幌紀伊国屋の月例行事となったサイエンス・カフェ札幌の日でした。残念ながら私は最後のところをちょっとのぞき見できただけでしたが、さすがに4回目ともなると運営も手際が良くなってきて、主催者側にも余裕のようなものが出てきたようで、安心して見ていられます。

 いつもとちょっと違うのは本格的なテレビカメラと録音、それにアナウンサーさんという取材クルーが来ていたことでしょうか。カメラにはNHKの文字がありましたので、近いうちにNHKで放映されるかもしれません。

 今日のカフェのテーマは地震と津波でした。実は今日司会をつとめていたCoSTPの特任教授のK本さんは、兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の時に宿泊していたホテルの1階ロビー部分がなくなってしまうという体験を持った方で、NHK時代には地震防災と医療問題を中心に活躍していたということもあり、今日のテーマは自家薬籠中のものです。

 その分、ゲストの人を食ってしまって九州のクマから(人を食う)北海道のクマへと悪名(?)を重ねてしまわないかとちょっと心配していたのですが、杞憂だったようです。最後の30分間だけを見た限りでは、本人は出たい気持ちをぐっと抑えて、控えめにゲストの先生方の説明を補足するコミュニケーターに徹していたようで、さすがと思いました。

 今日は、大切なところを見逃してしまったので、カフェに関するコメントはほとんどできませんが、前から気になっていたことをちょっとだけ書いておきます。

 サイエンス・カフェだけではなく、北大の博物館でやっている市民セミナーを見てもいつも感じることなのですが、お客さんの年齢層が気になります。

 20代や30代の方もいらっしゃるのですが、見たところ60代から70代という方の割合がかなり多いのです。お年を召しているにもかかわらず、勉強したいという意志をもっておられることはとても素晴らしいことだと思いますし、退職されて悠々自適に趣味としての勉学をなされるとい余裕は私も見習いたいと思っています。

 気になるのは、若い年代が少ないということです。特に、若い年代の男性が少ないと感じられます。今、社会を動かしている人、これから社会を動かす中心になる人達にこそ、サイエンス・リテラシーを身につけていただき、今後の社会運営に役立てていただきたいと思うのですが、そういう方々はこのような形での情報収集は好まないということでしょうか。

 小学生を見ていると、男女を問わず理科(科学)好きが多いのですが、やはり中学・高校・大学と進むにつれて科学はめんどくさいと思うようになるのかもしれません。ハイテクジェット機、携帯電話とかインターネット、地上波デジタルなどの科学技術の粋を集めた製品を使いこなす際には、特に基礎的科学知識は必要ないとは言え、そうした科学技術に危険性はないのか、どのように使うべきなのか、どういう時には使うべきではないのか、などといったことに関する意志(政策)決定に必要になるのが科学リテラシーだと思うのですが、それを身につけることのできる場としてのサイエンス・カフェなどに「関係者」を引きつけることができていないことは今後の課題として気にしていこうと思いました。

 それとも、特に心配すべきことでもないのでしょうか。
# by stochinai | 2006-01-13 22:21 | CoSTEP | Comments(4)
 今年始めて、JANJAN今週の本棚」に投稿した書評です。

 実を言うと私は学生時代はジャズ青年だったのでありまして、当時は会話することも出来ないほど大音量でレコードを鳴らす、いわゆる「ジャズ喫茶」というところに通い詰めたものです。

 そのころ好んで聞いていたのは、モダンジャズからフリージャズへというハードなものが多く、ボーカルとかウェストコーストジャズとかいう「軟弱」なものに対しては、きわめて否定的な姿勢でいたことを、(今となっては恥ずかしい気持ちとともに)思い出します。若かったです(^^;)。

 この度JANJANで、その頃の私がほとんどまったく聞いていなかったチェット・ベイカーの生涯を記録した本が書評プレゼントで当たりました。

 書評そのものは、「天才児の破滅的で長すぎた生涯」という題でこちらにあります。

 自己批判文みたいなものになったような気もします。
# by stochinai | 2006-01-13 13:42 | つぶやき | Comments(13)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai