5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

年度末進行

 明後日は修士論文発表会、月曜日は卒業研究ポスター発表会です。我が研究室にも修士修了生2名と卒業生2名(ともに予定 ^^;)がおりますので、尻に火がついたというよりはすでに尻が活火山状態かもしれません。本人達にとってはそれは大変なのでしょうが、私は直接にいろいろと手伝えるわけでもなく、できたものにケチをつけることくkらいしかできませんので、「待ち」が多くなる時でもあります。

 まあ泣いても笑っても、あと数日。終わった後の解放感をイメージしながら、なんとか乗り切るしかないです。投げ出しさえしなければ、一所懸命やったかどうかがなんとか伝わるもので、最終的にはその誠意が届くかどうかが、終わった時に解放感に浸れるか、敗北感に打ちひしがれるかの差になりそうな気がします。判断する側も、所詮は人間なのですから。

 さて、年度末進行は卒業生だけではなく、我々教職員にも容赦なく嵐のような仕事の増加を押しつけてくるわけですが、勤務時間内の仕事に関しては飽和してしまえばそれ以上は忙しくならないという「法則」があります。

 というのは、会議などはせいぜいが9時から6時頃までしか設定されませんので、今の時期のように毎日それがほぼ全部埋まってしまっていれば、新しい会議や公用が入ってきた場合には、先約を優先するか、それをキャンセルして新しい用件にその時間を渡すかの選択しかできません。同じ時間に別の会議にでるわけにはいきませんので、その場合はダブル・ブッキングであろうがトリプル・ブッキングであろうが忙しさは増加することがないというわけです。

 さらに良いことに、そういうふうにダブル、トリプルで用事が入った場合には、しばしば自分の好きな方を優先することができるのです。嫌いな会議の方には「すみません。その時間にかくかくの会議が入ってしまいました」というような口実で断ることができるのです。

 というわけで、勤務時間が会議などで飽和してしまった場合は、もうそれ以上苦しくはならないというわけです。

 ところが、それはあくまでも公用の勤務時間内での仕事に関してだけのことでして、大学などというところは(今の時期を除くと)むしろそういう仕事が少ない勤務先ということができます。今の時期のように、正規の勤務時間が会議などにとられてしまうと、研究や執筆活動、書類作りなどといった「自分一人で行う作業」に関しては、遅かれ早かれ自分がやらなければなりませんので、時間外の作業がどんどん増加してしまいます。

 もちろん、我々裁量労働制で契約している労働者に超過勤務などあろうはずもなく、大学であろうと自宅であろうと常に仕事を抱えているという状況が無限に続くように思われるのが、この時期でもあります。

 でもまあ、誰に命令されているわけでもなく、自由な時間に自由なスタイルで仕事ができる職場ですから、たとえ1日に14時間働いたとしても疲れ以外の余分なストレスをためずにすむのは救いですね。

 体力のあるうちはなんとかなります。
# by stochinai | 2006-02-08 23:49 | 大学・高等教育 | Comments(4)

本当の構造改革:矢祭町

 今朝の朝日新聞に、「矢祭町が町長の交際費を廃止」という記事が載っていました。

 「同町の今年度の町長交際費は約180万円」とのことです。我々貧乏人にとっては180万円の交際費というと大変な額ではありますが、ちょっとした民間会社なら係長クラスの小さな額だと思います。小さな町にとっては、結構大きな額なのかもしれないと思ったのですが、矢祭町の年間予算はそんなに小さな額ではありません。平成15年度の決算が公開されていますが、きわめて健全に黒字決算になっています。地方自治体が黒字決算なんて、なんだか感動してしまいます。
 平成15年度一般会計の決算は歳入総額34億7,245万1千円、歳出総額34億1,125万2千円、歳入歳出差引額6,119万9千円です。
 前年度と比較すると歳入は9億1万1千円減の20.6%減です。歳出は9億1,647万6千円減の21.2%減です。

 私は不明にも、この町のことをつい最近まで知らなかったのですが、そう言えば「合併しない宣言」をした町であるとか、住基ネットにつなぐことを拒否した福島県の小さな町とかいうニュースで聞いていたような気はします。

 それがつい一ヶ月くらい前でしたでしょうか、朝のワイドショーで町長さんが登場していろいろと話しているのを聞いてすっかりファンになってしまいました。黒いガムテープで補修した応接室のソファーにすわる町長さんの写真です。(IEだとうまく表示されないかもしれません。)



 ワイドショーに出ていた時には、徹底的に町の予算を削減した町長さんということで、公用車も持たず徒歩で通勤する様子が流されていたのですが、こんな町長にしてはちょっと遅い出勤です。取材する記者に、朝あまり早く出てこない理由を尋ねられると、予算削減のためにトイレを含めて庁舎の掃除を町の職員が朝にやってくれているのですが、彼らが掃除をしているところに町長が出てくると監視しているみたいで、彼らにプレッシャーを与えてはいけないという理由だというのです。

 この話を聞くだけでも、いい町長さんだということがわかります。

 記憶ははっきりしませんが、町の職員の数は減ってきましたが給料はできるだけ削減しないようにしているとのことです。職員が進んで便所掃除をやったりする志気はそういうところからも出てくるのだと思いました。

 そして、この町長は去年だか数年前だか定かではありませんが、もう引退を決意して選挙には出ないと決めていたところ、住民が押しかけてきて頼むから町長を続けてくれと談判されたとい映像もワイドショーで流れていました。私利私欲のなさそうな方ですから、あまり長く同じ人間が町長をやっているのはいけないとの理由からの引退決意だそうで、しごく真っ当な理由です。

 それにもかかわらず、住民は町にはこの町長が必要だと思っているのです。住民が「町長やめろ」と押しかけてニュースになるという話はしばしば聞いたような記憶がありますが、辞めないでくれと町民が押し寄せて来たなどという話は初めて聞きました。

 毎年だんだんと減ってくる町の税収や国からの補助金に対して、国からは市町村合併が提案されているのですが、それは拒否して入ってくるものが少なくなるのなら、それ以上に節約をしようと立ち上がり、実際に黒字の決算をしているという事実は、口先だけは改革・改革と叫びながら全然支出の抑制ができていないどこかの国や地方公共団体とはエライ違いだと思います。

 小さな政府とか財政改革とか言うのであれば、この町のように住民の圧倒的な支持を持つ首長が率先して節約をリードすると、うまく行くという好例だと思います。

 ただし、町民が町長の引退を阻止したというところを見ると、町長が代わったらダメになってしまうのかもしれないという不安はあります。

 なんとか後継者が育って欲しいものです。
# by stochinai | 2006-02-07 21:32 | つぶやき | Comments(8)
 読売新聞によると、多比良教授の代理人(弁護士か)が、東大による調査の停止などを求める通知書を小宮山学長に郵送したということです。多比良教授側の言い分は、文字面だけを読むと一理あるように見えるものです。
 多比良教授側は、4日発送した通知書の中で、調査の根拠、調査事項など重要な事柄に関して十分な説明を受けていないと指摘。多比良教授らが求められている再実験について、スケジュールに無理があるうえ、大学側は途中経過で判断しようとしているなどと批判している。

 そのうえで、調査を一時停止し、多比良教授との間で調査の目的、対象、スケジュールなどに関する協議の場を設け、調査方法を見直すことなどを求めている。また、調査結果が教授の処分につながる可能性がある場合、必ず反論の機会を与えるべきだと主張している。

 しかし、こうした異論があるのだったら、再実験を命じられた時点で反論すべきだったと思います。再実験など簡単にクリアできると思っていたのかも知れませんが、にっちもさっちも行かなくなったここまで来てしまい、このままでは誰の目から見ても処分されることが明白な段階になってから、プロセスの停止を申し出ても、それはちょっと無理というものでしょう。

 このニュースを読んですぐに思い出したのは、耐震強度を偽装したマンションを売ったヒューザーの小嶋社長が、行政や検査会社を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしたという一件です。

 いずれの場合も、容疑を受けている側は限りなく黒に近い灰色に見え、どう見ても勝ち目はなさそうなのですが、それでもなおかつ多比良さんが身分保全を求め、小嶋さんが莫大な損害賠償の肩代わりを行政に求める「権利」を保証するのは民主主義国家としては拒否できない手続きであると思います。 「盗人にも三分の理」というところでしょう。

 今回はどちらも事件が起こってしまった後ですので、容疑をかけられた側の人権を擁護するという観点から、少しは慎重にことを運ばなくてはならないかもしれませんが、今後のことを考えると誰の目から見てもクリアな形でルールを作ることが今回の事件の正しい解決法だと思います。ここで、きっちりとやっておかないと、またすぐ次の事件が起こります。

 耐震偽装事件に関しては、阪神淡路大震災の時に倒壊した建物の中に、明らかに耐震強度が偽装されたいわゆる手抜きの新しい建物があったにもかかわらず、それに対する法的な追求が行われなかったと聞きました。(この件に関しては、今ソースに当たれませんので、伝聞にすぎないことをお断りしておきます。)

 そのことが、今回のような耐震偽装建築の出現を許してしまった気がしてなりません。

 残念なことですが、同じように科学の世界ではかなり以前から「あの論文は追試しても再現できない」とか、「あの人の出すデータはいつもきれいすぎて、とても本当とは思えない」などと言われる人が何人かいて、それが国立大学の教授に収まっていたりしていることも、半ば公然の秘密というような「日本の科学社会」がありました。正確に言うと、今回の事件のようなことが起こるのですから、今でもそういう社会があると言わざるを得ません。

 そうしたことに対して、法的な制裁はもちろん、科学者の社会の中においてすら排除することもできず、逆にそうした人に対して政府機関から大量の研究費が給付されてしまうということが行われていたわけです。

 そのことが、今回のようなデータ偽装事件の出現を許してしまった気がしてなりません。

 いずれの場合も、不正を途中で防ぐ監視システムがないか、あっても機能していなかったことと、不正をすることで短期的な大金儲けとか大量の研究費の獲得というメリットが得られたということ、さらには不正が発覚したとしてもその制裁がたかがしれていると見くびられていたというような共通点が感じられます。

 そうなってくると、これはひょっとすると日本という国の構造的なものなのかという思いもしてきます。そして、その構造は日本に古くからあった道徳とか慣習が破壊された結果として作られて来たものなのだとしたら、巷で叫ばれている構造改革というものが本当に正しい構造を作り上げようとしているのかどうか、懐疑的にならざるを得ないというのが正直な感想です。

 首相には構造改革という言葉だけではなく、日本と日本人はどのように生きるべきなのかという道も提案していただけないでしょうか。
# by stochinai | 2006-02-06 22:02 | つぶやき | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai