5号館を出て

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昭和歌謡ベスト30

 天気が良ければ絶好の花見日和になるはずの桜模様なのですが、寒い上に一日中雨模様の札幌でした。

 夕方になってようやく雨も上がったので、ひさびさに近くにあるブック・オフ系列のハード・オフに行ってみました。カメラ、楽器、オーディオ、コンピューター関係などを中心に扱うリサイクルショップです。

 最近はリサイクルショップも成熟したせいか、かなり的確に品物の値段付けがされているので、なかなか「掘り出し物」を見つけることがなくなりました。

 仕方がないので、品質保証なしのジャンク品などをかき回していたところ、2003年に発売された2枚組のCDで税込み105円というものを見つけました。そのタイトルが「昭和歌謡ベスト30」です。

 レコード会社の境を越えたコンピレーションアルバムになっていて、1959年5月発売の大橋節夫とハニー・アイランダーズの「幸せはここに」という曲から始まって、1974年7月のさくらと一郎「昭和枯れすすき」まで、全30曲です。状態は完璧で、なぜにこれが105円なのか不思議でしたが、「掘り出しもの、掘り出しもの」とさりげなく買ってしまいました。

 一枚目一曲目が「圭子の夢は夜ひらく」。歌っている藤圭子が、前川清と結婚していたことがあるとか、宇多田ヒカルのおかあさんだとかを知っている人も少なくなりました。

 ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」は、新しいアレンジにすれば今でも十分通用する曲と歌唱力を再認識しました。そういえば、この曲は最近なんかのコマーシャルで使われていたような気もします。

 城卓矢の「骨まで愛して」は、当時の流行語になりましたが、この人はどこにいっちゃったんでしょうか。

 「遠くへ行きたい」は歌い継がれてスタンダードになっていますが、オリジナルのジェリー藤尾のものは、やはり聴かせてくれます。当時この永六輔作詞、中村八大のコンビでたくさんの曲が書かれていますが、歌い手の一人の坂本九の曲が入っていないのは別に「坂本九ベスト30」というのが出ているからのようです。

 続いて1965年のデューク・エイセスの「女ひとり」。この曲がはやって、それほど経たないで京都への修学旅行がありました。京都・大原・三千院は組になって記憶されているのはこの歌のせいです。こちらは永六輔作詞、いずみたく作曲。このコンビもたくさんのヒットがあります。

 その次が奥村チヨの「恋の奴隷」。数日前からの監禁事件の報道があるせいで、今だといきなり放送禁止になるかもしれない、などと考えてしまいました。「あなたと逢った その日から 恋の奴隷になりました あなたの膝にからみつく 子犬のように だからいつも そばにおいてね 邪魔しないから 悪い時は どうぞぶってね あなた好みの あなた好みの 女になりたい」。う~ん、です。

 そう言えば、昔はご当地ソングと言って、地名を歌い込んだものが多かったですね。次は「二人の銀座」。今はおばさんレポーターになってしまった和泉雅子と山内賢のデュエットです。去年の暮れに、たまたま銀座を歩いた時にみゆき通り・すずらん通りを実際に見て感動したのは、この歌のせいでした。

 黛ジュンの「恋のハレルヤ」やブルー・コメッツの「ブルー・シャトー」、小川知子の「ゆうべの秘密」は67-68年のものです。私は多感な(?)高校生の時の歌ですから、刷り込まれ方もすごいと思いました。

 1枚目はこんなところでしょうか。

 2枚目2曲目は、いしだあゆみの「ブルー・ライト・ヨコハマ」、考えてみるとこれもご当地ソングですが、当時は新鮮で歌謡曲がついに演歌を抜け出したような感じがしたのは、今でいうならばモー娘くらいの若さのいしだあゆみの力が絶大だったような気がします。

 尾崎紀世彦の「また逢う日まで」や、小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」、今ではスターと呼ばれているにしきのあきらの「空に太陽がある限り」、「昭和枯れすすき」などは、確かにはやった曲ですし、しっかりと歌詞も記憶にあるのですが、「あー、そういうのもあったね」というくらいの印象しか残っていないのは、私がすでに大学生になってしまって歌謡曲を卒業してしまったせいなのかもしれません。

 しかし、同じ時期のものですが、渚ゆう子の「京都の恋」、欧陽フィフィ(くさかんむりに非の字がふたつ)の「雨の御堂筋」の印象は強いですから、そろそろはやりの曲と自分の好みの曲を分けて扱えるようになっていたということなのかもしれません。

 しかしなんと言っても2枚目の珠玉の一曲は、由紀さおりの「夜明けのスキャット」です。受験時代には、勉強する時にはいつでもラジオを聞いていましたから、番組のテーマソングだったこの曲は毎日聴いていたのだと思います。そして、まさに大学入試のあった激動の1969年3月にこの曲が発売されています。

 こうして当時の歌をまとめて聴いてみると、まさに私は昭和に育てられたことを実感してしまいました。

 昭和も遠くなりにけり。
# by stochinai | 2005-05-15 23:59 | つぶやき | Comments(4)
 拳銃を奪った犯人はまだ逃走中とのことです。地元の人々は怖いでしょうね。人食い熊が街をうろついているようなものでしょうか。

 それにしても、今回の拳銃強奪は威嚇射撃をしようと拳銃を取り出したことが誘因のひとつだったような気がしてなりません。

 普段なら、拳銃は頑丈なケースに入っているので、はじめから拳銃を奪おうと考えて警察官を襲うなどしなければ、なかなか取れないと思います。

 拳銃を出したのなら、「威嚇射撃」などということではなくて、「致命傷にならない程度の打撃を与える射撃」をすべきではないのかと思います。

 現代は治安がとても悪くなってきていて、警察官の方々も怖いことだろうと思いますが、日本の警察は人に向けて拳銃を撃たないという評判もあってか、もはや威嚇射撃が意味を持つ時代は過ぎ去ったような気がします。

 撃たないなら出すな、出すなら撃て、撃ったら足か手に当てろ、というような姿勢がいいのではないかと思いますが、どうでしょうか。
# by stochinai | 2005-05-14 19:37 | つぶやき | Comments(3)
 北朝鮮に拉致されたまま行方不明になっている横田めぐみさんの「遺骨」をめぐって、日本と北朝鮮だけではなく、自然科学の世界では権威以上のものを持つ科学雑誌Natureと日本政府が交戦状態になっています。

 日本と北朝鮮は当事者同士ですが、言うなれば第3者としてその間に登場したNatureと日本政府の間に見解の相違が生じたとすると、日本にとってははなはだ立場が悪くなったと言わざるを得ません。

 そもそもの発端は、昨年遅くに北朝鮮から渡された横田めぐみさんの「遺骨」のDNA鑑定結果です。私も昨年の12月9日のエントリーで書いていますが、DNA鑑定をやったのは日本だけ、しかも科学警察研究所ではDNAを抽出できずに判定不能という結果を出しているんにもかかわらず、日本政府は帝京大学の判定結果を採用して、「遺骨は横田めぐみさんのものではない」という判断を公式見解としているようです。当然にも北朝鮮は反論し、結果はねつ造されたものであると1月26日に声明を発表しました。1200℃で焼かれた遺骨にDNAが残っているはずはないという主張です。

 そうした議論に対して、Natureの東京特派員であるDavid Cyranoskiが2月3日に記事を書きました(Nature 433, 445 (3 February 2005) )。帝京大学の吉井さんからのコメントもとっており、彼は普通の方法(ただのPCR)ではなく、nested PCRというより感度の高い方法を使ったことと、彼らの使った技術の優秀さを強調したとのことです。ただし、吉井さんが言ったことがちょっと気になります。

 "There is no standardization." 標準的手法なんてない。

 標準的方法がないうちは、本当の科学とは言えません。彼は彼が使った方法を提示して、誰でもが同じ結果を出せることを保証しなければ、彼の結果は「科学的に証明された」ことにはならないというのが、普通の考え方です。

 同じインタビューの中で、吉井さん自身が1200℃で焼いた骨にDNAが残っているのは、自分でもびっくりした、と書かれています。しかも、吉井さんは過去に火葬した骨からのDNA抽出の経験がなかったので、これが結論だとは言えず、いわば硬いスポンジとも言える状態の焼かれた遺骨を素手でさわった誰か他の人のDNAを調べてしまった可能性はあると告白しています。

 吉井さんはその時点でサンプルを使い果たしてしまっていて、再実験はできないとのことです。再実験ができない以上、彼の結果を肯定することも否定することもできず、これも科学としては非常にまずい状況だと言えます。

 そうこうしているうちに、とんでもないことが起こってしまいました。うかつにも私はこのニュースを見逃していました。とても悔やまれます。(マスコミのせいにしても仕方がないのですが、少なくとも大々的には報道されなかったのではないでしょうか。)

 なんと、渦中の吉井さんが「横田さんDNA鑑定で実績」ということで「帝京大の講師から、科学捜査研究所(科捜研)の法医科長」に採用されることになってしまいました。「警察が外部の人材を管理職として招聘(しょうへい)するのは極めて異例」だそうです。

 誰が考えても「えーっ」というこの人事は、3月30日国会でも取り上げられています。 第162回国会 外務委員会会議録 第4号(平成17年3月30日(水曜日))に詳しく載っています。

 民主党の首藤議員は、よく勉強して追求しているようですが、答えるほうが勉強不足でからまわりに見えます。

 首藤議員:警察は柏に巨大な科学警察研究所、科警研を持っていて、にもかかわらず一私学の一講師がやっている研究機関が日本の最高水準というんだったら、それなら科警研は廃止したらいいじゃないですか。

 首藤議員:その吉井講師が何と警視庁の科捜研の研究科長になっちゃった。これ、職員ですよ。科学警察の研究所へ出向されるとか、そういうことならともかく、一民間人のおよそ警察的な訓練を受けていない人が警視庁の科学捜査の、捜研の、それの職員になってしまう。それは、多くは今既に言われているように、証人隠しじゃないですか。

  首藤議員:こんなことをやっていては日本がやはり世界から認められるわけないですよ。こんなこと、分析結果、私は北朝鮮の今までやったことも言っていることもでたらめだと思いますよ。しかし、相手がでたらめだからといってこちらがでたらめをやっていいということは何もないんですよ。やはりきちっとやっていかなければいけないんだと思うんですよ。

 これを見てか、NatureのDavid Cyranoskiが、またまた記事を書きました。Job switch stymies Japan's abduction probe(Nature 434, 685 (7 April 2005))「転職によって拉致を証明することが難しくなった」という、日本政府を批判したニュース記事です。

 それによると、日本政府は、「吉井さんは『言ったことと違うことを書かれた』と言っている」と先のNature記事に反論しているとのことです。それならば、吉井さん本人にコメントを出させれば良いものを、今は警視庁の職員になってしまったので公式の見解を私的に出すことはできなくなったのだそうで、オーストラリアのドキュメンタリー番組の取材や、韓国の放送局の取材もいっさい断っていると書いてあります。

 首藤議員は、要するにこれは証人の口封じ人事だと言っているようですが、そう言われても仕方がない状況だと、私も思います。

 こんなことを続けていては、日本そのものの科学的信用を失ってしまうというのは本当だと思います。特に、国内だけではなく国際的に権威のある科学雑誌の主張を無視するような態度を国がとっていると、我々科学をやっている人間の国際的信用も下がってしまいます。

 今回、吉井さんがどういういきさつや個人的事情があって、転職なさったかはわかりませんが、少なくとも科学的論争がある中でその論争に大きな影響を及ぼすような政治的背景が疑われるような人事に巻き込まれてしまうということは、少なくとも科学者としては死刑宣告を受けたのと同じことになってしまいます。

 もちろん、吉井さん個人の人生ですから、それに関してとやかくいう権利は我々にはないのですが、少なくともこれで北朝鮮の主張を完全に封じ込めることができなくなってしまったことは間違いないように思われます。

 とても残念なことですが、また平和的解決が遠のいたことを感じました。
# by stochinai | 2005-05-14 18:57 | 科学一般 | Comments(7)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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