5号館を出て

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北海道に新幹線

 新幹線が函館まで延長されることが、政府・与党の整備新幹線検討委員会のワーキンググループの会合で決まったというニュースが10日に出ました。今の日本の政治状況では、政府・与党である自民党と公明党が決めたことは、基本的にすべて実行されることになっていますので、これは決定ということと同じです。

 北海道にも新幹線を整備するということは、1970年に全国新幹線鉄道整備法ができた頃から想定されており、1972年には旭川までが計画されていましたが、翌1973年に終点が札幌ということに変更されています。いずれにしても、計画は実行に至らず30年以上が経過しました。

 その間に、JRの民営化やバブル経済の崩壊、さらには航空料金の変動料金設定などが展開され、北海道から本州へ渡る主要な手段は陸上に頼らなくなってきている現実があります。

 個人的には、札幌から東京の寝台列車である北斗星や大阪へつながるトワイライト・エクスプレスなどが好きだったのですが、時間がかかる上に料金が高く、最近では出張の手段として利用することすら許可されなくなっています。

 そういう現実がありますから、30年以上も前に計画された新幹線を北海道まで引っ張ってくることの意味も変わってきているはずなのに、北海道では選挙がある度に自民党候補者の公約には必ずといって良いほど「新幹線の早期着工」が載せられて来ているという特殊な事情もあります。

 今の高橋知事に限らず知事になった人は常に「道民の悲願」としての新幹線工事着工という言葉を使い続けてきました。

 新幹線の延長により、冷え込んでいる北海道の経済が、完成までの大きな公共工事の投資効果と、完成後の交通の発達による経済効果があると考えてのことでしょうが、30年前とは明らかに状況が異なる現在では、その内容についての詳細な再検討を要求されているはずです。

 30年間もの間、求め続けてきたことだから、実現することになったというニュースに興奮する人がいても不思議はありませんが、この30年の間に生まれた道民の約3分の1の人たちにとっては、新幹線の開通は悲願でも何でもないのではないでしょうか。

 さらに現実的な問題を考えてみましょう。北海道分(新青森から新函館まで)の工事予算は5000億円なのだそうですが、そのうち660億円を北海道(民)が負担しなければならないようです。10年後開業するとして、開業後30年で返還しなければならないので、40年間で返せば良いということなのですが、試算(私はまったく理解していません)によると、ピーク時には年間で30億円を支払わなくてはないこともあるのだそうです。

 道民の数は500万人と良くいわれますので、1万人あたり1億円くらいの負担ということになるのでしょうか。概算して1人1万円くらいとすると、平均的4人家族1件あたり4万円の増税(あるいは税不足・あるいは税使用の転換)が必要になります。それを支払ってまで、あまりたくさんの人が使うことを予測することができない函館までの新幹線を引く意味はあるでしょうか。

 もちろん象徴的な意味で、ようやく北海道が日本の一部になる(北海道では、今でも本州のことを「内地」と呼ぶお年寄りは多いのです)ということに投資するという理由は成り立ちうると思います。しかし、たとえそれを採用するとしても、もう一度道民全体に問い直して負担を覚悟しての新幹線誘致をするのかしないのを問い直すべきではないでしょうか。

 新聞によれば、北海道では野党でも新幹線に反対する意識は弱いということですが、道民全体がどう考えるかについては未知数だと思いますので、ここでもう一度「道民30年の悲願」がほんとうかどうかの再確認をしてみるのが、本当の民主主義というものでしょう。
# by stochinai | 2004-12-12 00:00 | つぶやき | Comments(0)

カメラで取り締まり

 やっと出たか、というニュースです。朝日コムでは、路線バスから違法駐車ナンバー撮影、警告書という記事が出ています。朝日新聞の夕刊でもかなり大きく扱われています。

 記事によると「路線バスに設置したカメラで、バス専用路に違法駐車を繰り返す車のナンバーを撮影し、所有者に警告書を送付する制度を、国土交通省が来年度から全国で始める」とのことです。

 記事の中には警察は登場してこないのですが、写真にはGPS情報も取り込んでおくということなので、場合によっては警察に告発もできるということが「警告」をすることの正当性を保証しているということだと読みとれました。

 前からあればいいなと思っていたことのひとつが、デジタル写真による交通違反などの告発です。

 今やたくさんの人が、四六時中カメラ付き携帯やデジカメを携行している時代です。多くの人が、毎日のように目撃しているであろう違法行為が、簡単に証拠として記録されるチャンスがとてつもなく大きくなっている状況ができあがったのだと考えられます。

 私も自転車で道を走っていると、毎日のようにたくさんの交通違反を犯す自動車を見ます。時には、自分にも影響の及びそうな違反にひやっとさせられることもあります。しかし、ほんとうの事故にならない限り、そうした違反を告発することはできませんし、たとえ訴えることができるケースとして、頭から泥水を浴びせられたとしても、それをいちいち警察に訴えるほどの暇もありません。

 そういう微罪をつぶしていくことが、ひいては大きな事故を防止することになるとはわかっていても、警察も忙しいですし警察官の人数もそんなに多くはありませんので、警察の目に触れないところでは交通違反はやり放題、というのが現実だと思います。

 まあ、特に人に迷惑をかける訳ではない違反ならば、いちいち訴える必要があるとは思いませんが、事故にならなかったことが不思議というような違反もかなり多いと思います。

 そのようなすれすれの「犯罪」を写真で撮して、デジタル・チクリ・サイトに写真で投稿することで、せめて警察経由で警告くらいしてもらえないかというアイディアを持っています。

 ただし、このサイトの経営には2つの難しさがあると思います。個人で経営していると、告発された人間からの反撃が予想されることと、虚偽の「告発」が出てくる可能性です。

 そうしたことを防止するためには、やはりサイトの経営にしっかりとした法権力と武力を持った警察組織が必要だと思います。

 今回の試みがうまくいったら、違法行為画像掲示板も出てこないでしょうかね。それともプライバシー保護の方が優先されて、禁止されてしまうのでしょうか。せっかくの新しい技術ですから、交通弱者の保護に利用できたらいいなあと思うのですが、まだ詰めが甘いかもしれません。ご意見をお聞かせ願えるとありがたいです。
# by stochinai | 2004-12-11 00:00 | つぶやき | Comments(0)
 どちらかというと、わいせつ先生、過去最多155人というニュースがおもしろおかしく報道されているようですが、同時にもっと深刻な発表があったことはあまり報道されていないのが残念です。精神疾患で休職の教員、最多の3千人超も同じ文科省の調査です。

 ただ読売はわいせつ先生が155人と報道していますが、他のほとんどの社は196人となっているのは、何の差なのでしょう。また、例によって多くの社は共同通信などによる売記事で、読売などの大手は自前で書いていることによる差なのでしょうか。

 それはともあれ、精神性疾患のため昨年度に病気休職した全国の公立学校教員が3194人という数字は深刻です。去年よりも507人増えて、10年前の1188人から見ると、2.7倍というとんでもない数字になっています。教員約290人に1人の割合なのだそうです。

 まあ、不登校の児童生徒の数の10数万人に比べると少なく思えなくもないですが、児童生徒の場合は100人に1人くらい、先生は300人に1人くらいというふうに考えると、生徒に負けず劣らず悩み苦しんでいる先生の姿が見えてくるような気がします。

 まあ、明らかに犯罪ですから情状の余地はないのですが、セクハラや体罰も同じように苦しんで追いつめられた先生の、ゆがんだ反応の仕方と見えなくもないと思います。

 これだけ大規模に精神的な病人を出しているということは、その職場の管理者である文科省に責任がないということはできないでしょう。もちろん、民間会社でも同じように、あるいはそれ以上に精神性の疾患を出しているところもあるかもしれませんが、警視庁発表の自殺者の統計を見ると、この10年で急増してはいるものの増加率は1.7倍くらいですから、2.7倍という数字は、教育現場の荒み方のスピードが一般社会よりもはるかに速いことを示していると言って良いのかもしれません。

 教育の現場を陰鬱なものにしてしまっている理由はたくさんあるでしょうが、最大の被害者は間違いなく子ども達です。

 つい数日前に出たOECDの学力調査の結果を見て、先生を締め上げようという意見もあちこちから出ていたように思います。優秀でやる気のある先生が増えさえすれば子ども達の学力が上がると考えて、大学院を出ることを教員免許取得の条件にしたり、数年ごとに免許更新の試験をしたり、というようなアイディアも聞いたことがあります。

 しかし、それが本当に正しい処方箋なのでしょうか。

 私は、先生達が働く職場として学校が明るく楽しく魅力あるものにすることこそが、最初にしなければならないことにように思えてなりません。もちろん、その前提として子ども達にも明るく楽しく魅力あるものにならなければならないのですが、その二つは両立することだと思います。

 今、政府や文科省が考えていることは、優秀な先生を確保して、その人達にすべてを任せてしまって、後は頼むよ、というようなことだと思います。

 しかし、教育などという時間がかかり、効率の悪い作業を誰か優秀な人間に丸投げしようなどという発想そのものがすでに間違っていると思います。

 先生1人にまかせず、教員がお互いに助け合い、学校も教員をサポートし、さらに父兄をはじめとする地域の住民がみんなで学校での教育に参加し、協力できる体制が必要なのだと思います。

 スーパー・ティーチャーとか、大学院を出た小学校教師とかいう頭でっかちの個人に解決を委ねるのではなく、多くの人が協力して作り上げる楽しい学校を再建しない限り、病める教員も減らないでしょうし、子ども達の学力も回復することはないと思います。
# by stochinai | 2004-12-10 00:00 | 教育 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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