2007年 01月 23日
平成の納豆あるある大事件と科学者の責任
今回の「事件」については、さらにあえて書く必要はないと思われるくらい、短時間に語り尽くされたという気もします。それでもなおあえて書いておきたいと思います。
今回の「事件」で感じたことは、強力なテレビの力とあまりにもひ弱な科学者の力の差です。そして、そのテレビの力をうち負かしたのが週刊朝日という中規模「マスコミ」の取材力でした。テレビに踊らされる大多数の人々は、たとえ正しいことだとしても一介の科学者が言うことなどに耳を貸してはくれません。
今回も科学論争が行われて納豆ダイエットが否定されたわけではありません。テレビ局がニセの翻訳やデータねつ造を行っていたことを週刊誌が暴いたことで、簡単に悪人が特定されたというのが騒ぎの概要です。
もしも、それほど露骨に不正を行っていなかった場合には、これほどまでにすっきりと納豆ダイエットが追放されることはなかったと思われます。そういう意味では、テレビ関係者は今回の事件はニセ科学問題ではなく、嘘をついたのが問題だと思っているに違いありません。つまり、嘘さえつかなければ似たような企画(ニセ科学番組)をやることをさほど悪いことだとは思っていないでしょう。
金を儲けること、すなわち視聴率を上げることが至上命令であるテレビの世界で、確実に視聴率が稼げる健康・美容ものがこれからも減るとはとても思えません。そもそも、その手の番組のあとでスーパーマーケットの特定商品の棚が空になるという現象自体が特に悪いことだとは思われていないようですが、結局それが何年も続いて定番の売れ筋商品となるものがほとんどないという現実は、長期的に見るとほとんどが詐欺的な番組だったと判断される証拠ではないでしょうか。
つまり、ほとんどの健康食品情報は「嘘」あるいは「ニセ科学」なのではないかと思われます。日本という国は、おおらかなのかゆるいのか、そういうことに関して政府はほとんど介入しません。あるいは、そんなものですら国を富ませる経済活動として奨励しようとしているのかと思えることすらあります。
我々科学者が社会の中で期待されている役割のひとつが、そうしたニセ科学の出現を阻止することなのではないでしょうか。そういうことをしないのなら、科学者などいらないと思われても仕方がないという面もあると思います。いやしくも科学を職業とするならばニセ科学を追放することは義務なのではないかと、近頃真剣にそう思い始めています。たとえ力は弱くても、科学者にはそうしたニセ科学を監視して、警笛を鳴らし続ける義務を負っているのではないでしょうか。
たとえテレビの力には遠くおよばないとしても、まちがった使われ方をしている「科学」に対してNoを言い続けることをやらなくても良い理由にはなりません。それができないのなら、少なくとも公的機関から科学者として給料をもらってはいけないように思います。
今回の「事件」で感じたことは、強力なテレビの力とあまりにもひ弱な科学者の力の差です。そして、そのテレビの力をうち負かしたのが週刊朝日という中規模「マスコミ」の取材力でした。テレビに踊らされる大多数の人々は、たとえ正しいことだとしても一介の科学者が言うことなどに耳を貸してはくれません。
今回も科学論争が行われて納豆ダイエットが否定されたわけではありません。テレビ局がニセの翻訳やデータねつ造を行っていたことを週刊誌が暴いたことで、簡単に悪人が特定されたというのが騒ぎの概要です。
もしも、それほど露骨に不正を行っていなかった場合には、これほどまでにすっきりと納豆ダイエットが追放されることはなかったと思われます。そういう意味では、テレビ関係者は今回の事件はニセ科学問題ではなく、嘘をついたのが問題だと思っているに違いありません。つまり、嘘さえつかなければ似たような企画(ニセ科学番組)をやることをさほど悪いことだとは思っていないでしょう。
金を儲けること、すなわち視聴率を上げることが至上命令であるテレビの世界で、確実に視聴率が稼げる健康・美容ものがこれからも減るとはとても思えません。そもそも、その手の番組のあとでスーパーマーケットの特定商品の棚が空になるという現象自体が特に悪いことだとは思われていないようですが、結局それが何年も続いて定番の売れ筋商品となるものがほとんどないという現実は、長期的に見るとほとんどが詐欺的な番組だったと判断される証拠ではないでしょうか。
つまり、ほとんどの健康食品情報は「嘘」あるいは「ニセ科学」なのではないかと思われます。日本という国は、おおらかなのかゆるいのか、そういうことに関して政府はほとんど介入しません。あるいは、そんなものですら国を富ませる経済活動として奨励しようとしているのかと思えることすらあります。
我々科学者が社会の中で期待されている役割のひとつが、そうしたニセ科学の出現を阻止することなのではないでしょうか。そういうことをしないのなら、科学者などいらないと思われても仕方がないという面もあると思います。いやしくも科学を職業とするならばニセ科学を追放することは義務なのではないかと、近頃真剣にそう思い始めています。たとえ力は弱くても、科学者にはそうしたニセ科学を監視して、警笛を鳴らし続ける義務を負っているのではないでしょうか。
たとえテレビの力には遠くおよばないとしても、まちがった使われ方をしている「科学」に対してNoを言い続けることをやらなくても良い理由にはなりません。それができないのなら、少なくとも公的機関から科学者として給料をもらってはいけないように思います。
#
by stochinai
| 2007-01-23 23:42
| 科学一般
|
Comments(10)





