5号館を出て

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 変なニュースを発見しました。「生ゴミ:コンポスト化のシステム作り目指す 札幌市」です。生ゴミをコンポスト(堆肥)にするのはリサイクルでいいことじゃないか、と私も最初は思ったのですが、記事を読んでがっかりしてしまいました。

 「札幌市は6月から、家庭からの生ゴミをコンポスト(たい肥)化するシステム作りを目指し、モデル事業をスタートする」

 まあ、これは悪くないと思います。

 「(東区の苗穂、中沼地区の)地区内の一戸建て住宅に住む30世帯を選抜。6~8月に週1回、生ゴミを集め、北区篠路にある資源化工場に設置したたい肥化処理機で肥料にする」

 私の住んでいるところも東区の苗穂のとなり、伏古や丘珠と呼ばれるあたりです。いずれにせよ、苗場・中沼というと札幌でもかなりの田舎地域と言えます。そんなところにある一軒家には、ほぼ必ず庭があります。庭がなくてもベランダなどを使えば可能な生ゴミのコンポスト化を、都会の真ん中ではないところの一軒家のゴミを集めて、わざわざ工場まで運び機械を使って堆肥にするなどというのは、20年前の提案かと思われるほど時代遅れだと思います。

 「札幌市で排出された家庭系生ゴミは03年度の推計値で15万8000トン」ということですので、確かに集めると大変な量になりますが、個々の家庭で処理することにすれば、この量は限りなくゼロに近づけることができると思います。

 ゴミの減量を真剣に考えるならば、生ゴミに関してはこうした集中型の処理ではなく、各家庭で少量ずつ出た生ゴミを自分たちで処理する方法を教育・指導あるいは家庭用の小型の処理機(というよりは、土と生物を中心にした処理装置)の普及をこそ目指して欲しいものです。

 私のうちは、もう数年前から(あまり考えずに書いてしまいましたが、よく考えるともう10数年前からでした)生ゴミは廃棄物処理には出しておりません。庭の植物たちの大切な栄養になっています(一部は動物たちにも恩恵を与えているようですが、、、^^;)。

 札幌市の関係者の方、あるいは関係者に関係した方がもしもこの文章を目にすることがありましたら、どうぞ考え直すようにお伝え下さい。

 これからの廃棄物処理は、機械やエネルギーをできるだけ使わない方向で行かないと、我々の子孫はほんとうに地球に住めなくなってしまいます。
# by stochinai | 2005-04-09 17:23 | つぶやき | Comments(6)

札幌書店戦争

 昨日、札幌書店戦争の真打ちと言われる、紀伊國屋書店札幌駅前本店が開店しました。

 さっき、店の前を通りすがってきましたが、すべての書棚の前にほぼまんべんなく人が入っているようでした。適切に混んでいるという感じです。開店のイベントも用意されているようです。

 図書館で借りたり激安リサイクル書店で買ったり、あるいはまったく本を読まない人が増えていると言われる中、札幌に次々と大型書店が誕生しているということは、ちょっと考えると矛盾した行動のように見えます。

 しかし、インターネットは意外と文字が主流の媒体であるということと、ネットを通じて本を知りあるいは簡単に本を注文できるようになったことから、インターネットこそが「本離れ」からの回帰現象を引き起こす可能性があるのかも知れません。

 私も久々に本屋さんに足を運んだのですが、へそ曲がりの私は札幌駅の地下にある老舗の本屋さんへ行ってしまいました。

 でもいざ入ってみると、やはり本屋さんというのは楽しい場所ですね。

 ネットは新聞を殺すかも知れないとは思いますが、本については殺すことはできないどころか、ネットの隆盛によって活字文化が復興するのかも知れないという予感もしました。一瞬の幻想でしょうか。
# by stochinai | 2005-04-09 16:19 | つぶやき | Comments(0)

自白

自白の信用性って?名張毒ぶどう酒事件の再審決定にトラックバックします。

 cafesuzieさんが、「自白の信用性って?」というエントリーの中で、選挙違反事件にまきこまれて事情聴取されたお友達のかたの経験談を書いておられます。

 実は、私も警察に検挙されて取り調べを受けたことがあります。1969年大学1年生18歳の秋のことでしたと書けば、だいたいの事情はわかる人にはわかっていただけるかもしれません。

 その時に、取り調べをした警察の方はそんなに悪い人ではなかったのですが、いろいろ聞かれても「黙秘します」としか答えなかった私の言うことはまったく聞かずに、どんどんと話を作り上げ調書を書いていきました。「**年*月**日、私は**で友人数十人と違法なデモ行進を行い、***や***という行動をして警察官の公務執行の妨害をしました」とかなんとか、ほんとうにおどろくばかりのお話がどんどんと作られているのを見て、ある種の感動を覚えた記憶があります。再度書きますが、私は住所氏名以外は黙秘をしていたにもかかわらず、です。

 それで、調書ができあがると係官は、「よし、じゃあこれに署名して、拇印を押して」というのです。私はあきれて拒否をしましたけれども、その時に「もし裁判になっても、その時にこれは違うと言えば大丈夫なんだから、まずはこの場を丸く収めるために署名してくれよ」と頼むのです。私たちは、デモに出る前には逮捕されたらどうすかといったことについて、簡単な教育を受けていましたから適切に対応できましたけれども、これが殺人罪などでたった1人だけ逮捕されていたというような状況だったら抵抗できるかどうかわからないと思ったものです。

 新聞などで書かれるいわゆる「自白」というものは、結局そんなふうに創作された係官作の台本に過ぎないというのが私のイメージなのですが、それが「証拠」となって一人歩きし始めるのが冤罪の典型的な姿に違いない、といつも思い出します。

 普通に暮らしている多くの人は、まさか逮捕されるなんて思っていませんから、逮捕された後にどんなことが起こるかなどについての知識を持っていることなど、ほとんどないでしょう。そんな状況で、いきなり逮捕され、拘束下で弁護士も付けられずに孤立無援になったら、ほとんどの人は「これさえ書けば楽になれる。必ずしも証拠になるわけではない」という言葉に、でっち上げの調書に署名・押印をしてしまう方が普通なのかもしれません。

 そのあげくに死刑判決を受けたりしてしまったら、もうどうでもいいという気持ちになってしまうかもしれません。死刑が確定したいた事件が再審されることになった、などというニュースに接する度に、そんな風に「解決」された事件が、まだまだ他にもたくさんあるに違いないと背筋が寒くなるのです。

追記:その後、私は未成年だったので家庭裁判所に送られたのですが、警察官の職権濫用による誤認検挙ということで「不審判」という処分(?)になりました。「不起訴処分」のニュースを聞く度に腹が立つのは、この時の記憶があるからかもしれません。
# by stochinai | 2005-04-08 22:14 | つぶやき | Comments(1)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai