2005年 01月 08日
本当の指導者
今朝の朝日新聞経済欄に出ていた連続記事「未来を語る(7)」に気持ちの良い発言がたくさん出ていました。「若者に希望はあるか」という問いかけに、世界最小の歯車を作ったことで有名な樹研工業の社長、松浦元男さんが答えて「心配無用、潜在力高い」というタイトルのついたインタビューが出ています。
その歯車はあまりに小さすぎて、まだ使ってくれる会社がないというようなことを聞いた記憶がありますが、売れるか売れないかとか、もとが取れるか取れないかとか、そんなこととは無縁に仕事や開発をやらせてくれる楽しくやりがいのある会社のようです。
「今の若者は能力が高い。僕らが5年かけて覚えたことを1年で覚えてしまう。ただ彼らの身の回りには情報があふれ、どうしたらいいか決められないだけだ。僕ら年寄りの役割は、彼らが潜在能力を発揮するためのチャンスと動機を与えること。」
この会社の採用は、先着順で無試験なのだそうです。年寄りが自分たちの基準で、面接や試験をやったって何もわからないどころか、かえって大切な人材を落としてしまうことを心配しているとのこと。10分や20分の面接なんかやっても何もわからない。人の真価を理解するには1年から2年かかると、なんとも心の広い人です。
社員には会社のクレジットカードと携帯電話を持たせて、好きなだけ使わせているのだそうです。そこまで信頼されると、確かに悪いことはできないでしょう。何から何まで、今の「常識」と反対のことをやって成功しているようです。
「人の仕事をチェックしようとすれば、チェックする人をチェックする人が必要になる。自己責任でやる方が効率的だ」と、大学を含め今や日本中で行われている業績評価の欠点についても見事に突いています。競争や業績評価をする際に、もっとも問題となる「評価する人間のチェック」のことまで考えての上での判断ですから、単なる能天気親父ではないようです。
評価する人間や組織をきちんと評価するという、とても大切なことを日本の多くの組織ではまったく行っていません。前にとある学会で開かれたお役人と語る会で、私が文科省の人に科研費の審査員を審査してはどうかと質問した時、その人は即座に「そのようなことをするつもりはありません!」と、きっぱり言い放ったことを今でもはっきりと覚えています。文科省周辺で行われている競争や評価というものがかなり危ないものであることは、どうやら官僚側でもわかっているらしく、この発言は「つつくと危険」ということを言っているのだと確信しました。
リストラに対しては「会社を辞めさせられた社員、取引を打ち切られた企業の社員はそんな仕打ちをした会社の製品を二度と買わなくなる」と、冷静です。
定年に対しても「作る理由がない。毎日顔をつきあわせて働いてきた仲間は兄弟のようなものだ。還暦の日に失業なんてむごい」と、人間的です。
こういう会社が繁栄しているのは、とてもうれしいことです。
今ではとても珍しいと言われてしまうでしょうが、おそらく20年くらい前までは日本の会社のほとんどが、この社長さんと同じような経営方針を採っていたと思います。それが、不景気とグローバリゼーションのダブルパンチの中で次々とアメリカ的(?)経営方針(競争と評価と差別、リストラ)を採用して今日に至ったというわけなのでしょう。
この社長さんを見ていると、フリーターやニートと呼ばれる人たちを生んだのが、それをもっとも嫌悪している現代の主な会社経営者や政府そのものだと思えてきました。そうだとすると、彼らは単にしっぺ返しを受けているだけということなりますね。
その歯車はあまりに小さすぎて、まだ使ってくれる会社がないというようなことを聞いた記憶がありますが、売れるか売れないかとか、もとが取れるか取れないかとか、そんなこととは無縁に仕事や開発をやらせてくれる楽しくやりがいのある会社のようです。
「今の若者は能力が高い。僕らが5年かけて覚えたことを1年で覚えてしまう。ただ彼らの身の回りには情報があふれ、どうしたらいいか決められないだけだ。僕ら年寄りの役割は、彼らが潜在能力を発揮するためのチャンスと動機を与えること。」
この会社の採用は、先着順で無試験なのだそうです。年寄りが自分たちの基準で、面接や試験をやったって何もわからないどころか、かえって大切な人材を落としてしまうことを心配しているとのこと。10分や20分の面接なんかやっても何もわからない。人の真価を理解するには1年から2年かかると、なんとも心の広い人です。
社員には会社のクレジットカードと携帯電話を持たせて、好きなだけ使わせているのだそうです。そこまで信頼されると、確かに悪いことはできないでしょう。何から何まで、今の「常識」と反対のことをやって成功しているようです。
「人の仕事をチェックしようとすれば、チェックする人をチェックする人が必要になる。自己責任でやる方が効率的だ」と、大学を含め今や日本中で行われている業績評価の欠点についても見事に突いています。競争や業績評価をする際に、もっとも問題となる「評価する人間のチェック」のことまで考えての上での判断ですから、単なる能天気親父ではないようです。
評価する人間や組織をきちんと評価するという、とても大切なことを日本の多くの組織ではまったく行っていません。前にとある学会で開かれたお役人と語る会で、私が文科省の人に科研費の審査員を審査してはどうかと質問した時、その人は即座に「そのようなことをするつもりはありません!」と、きっぱり言い放ったことを今でもはっきりと覚えています。文科省周辺で行われている競争や評価というものがかなり危ないものであることは、どうやら官僚側でもわかっているらしく、この発言は「つつくと危険」ということを言っているのだと確信しました。
リストラに対しては「会社を辞めさせられた社員、取引を打ち切られた企業の社員はそんな仕打ちをした会社の製品を二度と買わなくなる」と、冷静です。
定年に対しても「作る理由がない。毎日顔をつきあわせて働いてきた仲間は兄弟のようなものだ。還暦の日に失業なんてむごい」と、人間的です。
こういう会社が繁栄しているのは、とてもうれしいことです。
今ではとても珍しいと言われてしまうでしょうが、おそらく20年くらい前までは日本の会社のほとんどが、この社長さんと同じような経営方針を採っていたと思います。それが、不景気とグローバリゼーションのダブルパンチの中で次々とアメリカ的(?)経営方針(競争と評価と差別、リストラ)を採用して今日に至ったというわけなのでしょう。
この社長さんを見ていると、フリーターやニートと呼ばれる人たちを生んだのが、それをもっとも嫌悪している現代の主な会社経営者や政府そのものだと思えてきました。そうだとすると、彼らは単にしっぺ返しを受けているだけということなりますね。
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by stochinai
| 2005-01-08 18:18
| 教育
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