5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

クリスマス

 郵便局では、今日までに来年の年賀状を出すことを推奨しています。

 つまり、今日までに投函すると元日の配達を保証してくれるということです。

 私は、例によってまだ全然書いておりません。と言っても、虚礼廃止派で年賀状という習慣に反対しようとしているわけでは、もちろんありません。数は多くありませんが、いちおう毎年出すことは出しております。1年に1回くらい近況報告はしておきたいという方に向けて出しているというところでしょうか。

 昔は、外国の人を中心にクリスマスカードも数通出していたこともありますが、さすがにそちらは最近途絶えてしまいました。メールでやりとりしていたこともありますが、文化の違いを乗り越えてクリスマスの慣習を継続するだけのパワーがなかったというところが正直なところです。

 今日は休日だったので、午前中から見るともなくBSでABCニュースを見ていると、変なニュースをやっていました。

 アメリカでキリスト教(原理主義者?)の熱心な信者が、今の時期にクリスマスという言葉を使わずに(クリスマス)セールをやっている店などを非難しているというのです。

 彼らの主張は、今の季節にお祭りセールをするならば、それはクリスマスに関係しているはずなので、キリストの名前を出さずに便乗商法をするいことは許せない。そういうことを続けるならば、不買運動をするというような話のようです。選択肢は、キリストの名前を出すか、セールをやめるか、だそうです。

 なんだか、キリストという名前の著作権や登録商標を主張する権利論争のようにも思えましたが、「キリストの名前なしに、クリスマスのお祝いをすることは許せない」という(自称)キリスト教徒の傲慢に、イラク戦争をリードしたキリスト教原理主義者達の、悪乗りした暴走がとうとうここまで来たようにも思えました。

 アメリカにはキリスト教徒以外の宗教を信じる人もたくさんいるので、クリスマスシーズンの休暇や商戦をあえてキリストの名前を出さずに「シーズン」という曖昧な言い方をすることが良くあります。いわゆるクリスマスカードにも「Season's greetings」とだけ書いたものが多くあるのはそういう意味だと思っていました。

 日本でいうならば、神社の許可を得ずにお正月や七五三を祝うのはやめろとか、戦争に反対する人間は靖国神社に近づくなとか、そういった類の主張に近いと思います。

 キリスト教徒にもいろいろな宗派があるので、こんなバカなことを言っているのは特定の宗派なのだと思いますが、「いつからキリストはあんたたちの所有物になったの?」という嫌みのひとつも言ってやりたくなるような話であると同時に、こんな主張がニュースで大々的に取り上げられるような大騒ぎになるということを見ても、アメリカという国でキリスト教がゆがんだ発展(あるいは反動)をしつつあることが感じられます。

 「自由の国アメリカ」は、すでに死んでしまっていることを思わせるエピソードだと思いました。
# by stochinai | 2004-12-23 00:00 | つぶやき | Comments(0)

昨日は冬至

 もう、冬至も過ぎてしまったのですね。今日からは、日が長くなり始めているということで、季節が春に向かい始めたと思うと、なんとなく希望が持てます。

 とは言うものの、今日の札幌の最高気温は-5.3℃だったそうで、現在の北大の外気温も、-8℃です。

 このまま、明日も一日プラスにはならないという天気予報です。二日続けての真冬日です。この時期としては、ちょっと気温が低すぎという感じもしますが1月末から2月はじめ頃になると、こうした気温は札幌では普通のことです。1週間や2週間くらいプラスにならないことも、そう珍しいことではありません。

 そう言えば、昨日までいた東北大学のキャンパスでは、寒さに負けずにサザンカが満開でした。札幌に帰ってきてみると、我が家のサザンカ(あまりにも寒くて、かわいそうなので、玄関に取り込んであります)も、つぼみが開きかけていました。今日帰ったら1輪2輪開いていることでしょう。この寒さの中でよくも花を咲かせるものだと思いますが、こんな時に花を咲かせても受粉を媒介してくれる昆虫はいません。どうするんでしょう。

 昔、熊本で見たサザンカにはメジロが蜜を吸いに来ていました。東北では、花粉を運んでくれる動物は見あたりませんでしたが、暖かな日にはアブやハエは飛んでくるのかもしれません。

 でも、北海道では絶対に無理ですね。サザンカを購入した時の注意書きに、-9℃までは耐えると書いてありましたので、北海道でもちょっとした寒さ対策をしてやれば屋外でもなんとか持つかもしれないとは思われるものの、受粉をしてくれる動物がいなければ、花は咲いても実を結ぶことはできません。メジロがいないところでは、人の手を借りずに分布を拡げることはできなさそうです。

 それにしても、どうしてこんな季節に花を着けるようになったのか不思議な気がします。北国のものではありませんが、ベンケイソウやカランコエといった「葉から芽植物」の多くも冬が花季です。花粉は何が運んでいるのでしょう。

 サボテンも冬に咲くものが多いようですが、メキシコのサボテンはコウモリによって授粉されるものもあるようです。メキシコではコウモリは冬眠するほど寒くはならないのでしょうか。

 動物の少ない冬に花を着ける植物の授粉様式を調べると、いろいろとおもしろいことが出てきそうです。勉強してみることにします。
# by stochinai | 2004-12-22 00:00 | 趣味 | Comments(0)

帰札

 昨日までは暖かかったのですが、今朝から急激に寒くなって来た仙台を後に、札幌に戻って参りました。

 帰ってきた札幌は気温的には仙台よりも寒かったと思うのですが、雪のない仙台で感じる寒さの方が、雪のある札幌で感じる寒さよりも「きつい」感じがしました。視覚と温度感覚のミスマッチによる、心理的体感温度というものでしょうか。

 昨夜は仙台で、イルミネーションで大々的に飾り立てた並木道を見ました。雪の札幌で見るイルミネーションとは、またちょっと趣の異なる不思議な風景でした。醜悪な配色の満艦電飾で、街の雰囲気を壊しているとしか言いようのない、某携帯電話会社の巨大なクリスマスツリーも悪夢のように記憶に残っています。

 月曜日の夜だというのに、その並木の下にはお祭りの時のようにたくさんの人がいて、不思議なカーニバルのような光景でした。

 札幌だと、大通公園は広いのでイルミネーションの下に少しくらいたくさんの人がいても、それほど混雑した感じは受けないのですが、仙台の並木の下では人々が押しくらまんじゅうをしているように思えました。

 そう言えばニュースで見ると、神戸や横浜(?)のルミナリオとかいう、電飾のアーケードの下にも、いつも立錐の余地もないくらいの人がいます。

 お祭りの夜店の前を歩く人並みと同じような感覚なのでしょうか。

 光の芸術は、人がたくさんいると余り美しく見えないものです。夜空の星もそうですが、夜の光は寂しさと仲が良い存在なのではないかと思われます。人がたくさんいると、その寂しさを味わうことができません。それで、なんかミスマッチだなあと感じるのだと思います。

 そういう意味で、仙台の住宅街で見た個人宅のこぢんまりとしたイルミネーションは、心に浸みる美しさでした。もちろん観客などは1人もいません。寂しい住宅街の小さな庭の小さな木にポツンと飾られたイルミネーションは、たくさんに人々に囲まれた巨大で豪華なイルミネーションよりもずっと味わい深いものでした。

 どんどん気温が下がってくれると良いと思います。街から人が逃げ去ったあとに残されたイルミネーションは、また違った感動を与えてくれると思います。

 きれいだなあ、と感動するのも人なので、矛盾したことを言っていることは自分でも良くわかるのですが、人間(私だけ?)って贅沢なことばっかり望むものですね。
# by stochinai | 2004-12-21 00:00 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai