5号館を出て

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 昨日のエントリー「事件の収束を監視するブログ」に関して、それは勝手な希望的観測ってやつだろう、と思われた方も多かったと思います。

 もちろん、きちんとした調査をした上での論考ではありませんので、証拠を出せと言われるとそんなものはないことは認めます。希望的観測論に対して、もちろん強く反論できるわけではありません。

 しかしながら、しばらく前から夜のワイド・ニュースを見ていて気になっていたことがあります。

 最近、夜のワイドニュースの中で述べられるニュースに対するコメントが、その直前に書かれたブログのエントリーに酷似していることがあるように感じられることに、しばしば遭遇します。デジャ・ブを感じるのです。

 ブログのエントリーには、ニュースのアンカーパーソンがつぶやくコメントに良く似たものが多いことは事実です。私のつぶやきなどは、良くある「良心的」な「識者」のコメントに類似の平均的なものにすぎません。

 ですから、たくさんあるブログの中にあった「きらりと光る」コメントと同じ内容が、たまたまニュースのコメントの中にも出てきたからと言って、偶然かあるいは「誰だって同じようなことを考えるものである」ということの反映にすぎないのかもしれません。

 しかし、もしも私が誠実な番組作成のスタッフの一人であって、ニュースショーを作るときに出演者に言ってもらいたいコメントの内容についての原案を作るという作業をするとしたら、今の時代にネットのブログを参照しないということはあり得ないと思うのです。

 同じように、新聞や週刊誌を作るジャーナリストも、今やブログを無視して情報集めをするなどということは考えられないのではないでしょうか。

 いくらネットの情報のS/Nが悪いと粋がってみても、雑音以外のSである素晴らしいエントリーがある限り、きちんと仕事をしたいジャーナリストであるならば、それを無視することはできないはずです。しかも、ブログが毎日更新されているという現実を前に、それを無視していては、ジャーナリストとしての仕事はできないと思います。つまり、マスコミがブログ(ネット)の存在を無視できなくなってきたということは動かしがたい現実だと思います。

 「ネットが新聞を殺す」という言説は、ネットが新聞に取って代わるというふうに理解されることが多いのかもしれませんが、私が今考えていることは「新聞がネットに依存する」ようになってきているということです。殺されたというより、ネットのおかげで新聞が生き続けることができるのかもしれないとすら言えるのかもしれません。

 優秀なマスコミ記者ならば、決してネットの情報を無視することはないと思います。その一方で、ネットなんて、、、と言っている記者達の多くが、ブログを盗み見てはそのエントリーをパクって自分たちの給料の種になる仕事をしているのだと考えるとかなり痛快です。

 ブログがどんどん力を付けてきている現在、そういう状況を背景にブログのエントリーは確実にマスコミの報道内容に影響を与え始めていると考えても良いのではないか、というのが、現時点における私の中間総括です。
# by stochinai | 2005-04-29 23:39 | つぶやき | Comments(2)
 事態を運転士の異常行動へと収束させようとする、JR西日本、マスコミ、警察そして国などが一体となった流れに対して、ブログが断固たる監視役として機能していることを感じます。

 R30さん:JR事故が経営者の責任じゃないならいったい誰の責任だというのかのところに、トラックバックが集中してくるものと思われますので、そこからたどるのが早いかもしれません。

 今回の事故に対するブログの対応が早かったことは当然とも言えますが、マスコミで報じられる流れに反応するように、記事をふやすところ追記をつけるところが続々と現れているところを見させていただいていると、ブログの機能がかなり有効に活用されている気がします。

 他にも、ガ島さんをはじめとする、現場周辺に生活する人の視点からの書き込みも目立ちます。てるてる日記さんのところにある乗客の証言や、路線運行に対する詳細なコメントは一見の価値があります。

 また、あざらしサラダさんからの「★マスコミの皆様へ【緊急要請】」も、時宜をとらえた冷静で大切な指摘だと思いました。

 事故自体の悲惨さは、改めて指摘するまでもありませんが、この件に関して活躍しているブログを見ていると、日本のネット状況も変わりつつあることが実感されるのは、私一人ではないと思います。
# by stochinai | 2005-04-28 14:33 | つぶやき | Comments(2)
 列車脱線事件ですっかり忘れ去られてしまったような感がありますが、4月21日に東大阪市の公園で幼稚園児の頭をハンマーで殴った少年の供述が24日のニュースになっています。

 テレビや新聞、ネットのマスコミ報道のすべてがほとんど同じ内容で、警察発表の受け売りそのままなのですが中身が笑わせます、というか笑えないほどいい加減だと思えます。きちんと自分の足で取材して書いた記事だとは、とても考えられません。

 殺人計画についての供述として「きっかけはネットで子どもの焼死体の画像を見て興奮し、人間の死体や殺人に興味を抱いたことだった」と報道されています。供述ですから、警察発表ですよね。

 ここでのキーワードは、ネットです。これが、小説や映画や週刊誌や漫画やテレビではないのは、それらがもはや時代の病理の象徴にはならないからだと思われます。たとえ少年があやしげな本をいろいろ読んでいたとしても、やはりネットがきっかけにならなければならないのでしょう。

 時代によって、犯罪のきっかけとなるのは、その内容ではなく単なるメディアとしての、小説であり、映画であり、週刊誌であり、漫画であり、テレビであるとされてきました。今は、ネットが悪を運ぶ道具でなければならないというのが警察の立場のようです。そして、その思いこみが真実であるかのごとく無条件にばらまく役割を与えられているのがマスコミです。

 情けない記事だと思います。紙よりも薄い、空虚な記事を書くのは何のためなのかと思います。

 さらに、少年を悪人に育てたのもネットだということです。「少年の中3時の同級生は『(少年は)インターネットにある殺人に関するサイトをよくみていた』と話した」のだそうです。やはりここでも、キーワードはインターネットです。

 犯罪を誘発するキーワードは時代によって、任意に取り換えられます。ちょっと前なら携帯だったかもしれません。出会い系サイトが、すべての犯罪のきっかけであるかのごとくに報道されていた時代もあったような記憶もあります。

 逆に、少年は10冊もの大学ノートに文章を書きためていたようです。この少年が、犯罪者ではなく小説で賞を取りでもしたら、こちらが注目されたことでしょう。「中学生の頃から大学ノートに文章を書きためる文学少年だった」という記事が書かれたのかもしれません。いずれにしても、意味のない定型句を並べただけです。

 誰が書いても同じきじになるような警察発表を、そのまま右から左へと流しているだけの金太郎飴マスコミが、「なにかおもしろいことないか」とキョロキョロしている現代人から相手にされなくなっているのは、この記事を見るだけでもよくわかります。

 マスコミ再生の鍵も、ここいらにあるはずだと思うのですが、、、、。

#なお、今のところ第2回を書く予定はありません(^^;)。
# by stochinai | 2005-04-27 22:19 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai