5号館を出て

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JR西日本に捧げる

 新しいエントリーを書こうと思ったのですが、あまりの情けなさに脱力状態ですので、JR北海道のために3月14日に書いた私のエントリーを、そっくりそのままJR西日本さんに捧げさせてもらいます。

3月14日

事故が多発するJR北海道
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 12日は国公立大学の2次試験後期日程の日でした。そして、JR北海道でまた事故がありました。新得駅で貨物列車が停止信号を無視して暴走したのです。

 奇しくも、大学入試の前期日程の2月25日にも、北広島市のJR北広島-上野幌駅間で貨物列車の機関車が立ち往生して、千歳線が朝から一時不通になり、当日行われた北大や札幌医大の入試の開始が1時間半から2時間遅れるという大事件が起きています。

 ここのところ不気味にJRの事故が多くなっている気がします。今のところ幸い、ケガ人が出るような事故は起こっておりませんが、いつ人身事故が起こっても不思議がない状況であることはJRでも認識しているようです。

 先日、高知県で運転士が死亡する特急列車の暴走事故がありました。JR北海道では、今年になってからもはや12件の事故が起きており、昨年1年で起こった事故件数の10件を越えているとのことです。

 私には、これらの事故の根底に何かしらの共通する原因があるのではないかと思われてなりません。

 さまざまな安全装置が付けられているので、場合によっては人が居眠りしても安全に走行できるようになっているとさえ言われている航空機でさえ、2-3名の乗員がコックピットに入っています。

 一方、ATSやATCという装置がついているとは言え、無人での走行ができるほどには自動化していないJRや民間の鉄道はどうなのでしょう。運転席にいるのは運転士が1人なのではないでしょうか。

 JR北海道貨物の支社長は「現場の社員一人ひとりにまだまだ安全意識が浸透していないからではないか」と話しているそうですが、逆ではないでしょうか。安全意識が徹底して守られていた時代から、それを守ることができないくらい社員が酷使されたり、志気が低下してきているということの方がありそうな話だと思いました。

 今後も事故が続きそうだと思われるのは、これらの異常に多発している事故に対する対策が「支社幹部が社員と安全について直接対話」することや、「関連会社へ指導を徹底」するなどという1円のお金もかからない精神主義だというところからです。

 事故が起こっているのに、具体的にものを動かす対応をとらずに「がんばりましょう」とかけ声をかけるだけで何とかなると思っている人は、自分が猛烈に睡魔に襲われた時に精神力だけでどのくらい抵抗できるか考えてみたら良いと思います。意識の力だけで睡魔と闘うことがいかに無力かということは、水で顔を洗うあるいは水を浴びるという実力行使をしてみたらすぐにわかることです。

 JRの事故に関しても、運転士1人1人に注意を喚起するということではなく、運転中に彼らの注意を喚起できる外部からの刺激(理想的には2名体制でしょうが)を与えることを考えるべきだと思います。

 経費を節減しているつもりでも、実際に事故が起こってしまうと、支払いきれない損害が生じることをそろそろ思い出しておきましょう。大事故が起こってからでは遅すぎます。

 歴史から学ぶということは、そういうことだと思います。

 追記:北海道のJRにはJR北海道とJR北海道貨物という二つの会社があるらしいです。でも、事故が多くなっているという点については、同じような傾向がありそうです。
# by stochinai | 2005-04-27 12:27 | つぶやき | Comments(5)
 事故は、起こるか起こらないかという2者択一のデジタルな存在です。どんなに事故がおこりそうになってヒヤッとしたりハッとしたりしたとしても、事故にさえ至らなければ物理的には無傷です。

 一方、事故の原因になる可能性のあるものはそこいら中に転がっております。

 今回の列車事故でも、鉄道そのものがなければ事故は起こりえないという極論はさておき、スピードの出し過ぎ、過密ダイア、ダイア遵守に関する会社側のプレッシャー、前の駅でのオーバーランによる運行時間の遅延、運転士と車掌の緊張感の欠如あるいは緊張のしすぎ・体調不良、線路のカーブ、レールの上の小石、旧式のATS装置、ガードレールの不整備、レール整備(脱線防止ガード)の不備、満員の乗客、軽量化した車体の脆弱性、車輌の不調・整備不良、線路脇にある建物、などなど考えられる理由の中のいくつか、あるいはたった一つでも除かれていたならば大きな事故には至らなかったのかもしれません。あるいは、事故そのものが起こらなかった可能性もあります。

 数え切れない理由がどんどんと積み重なって、ある臨界を越えたときに事故が起こるのではないでしょうか。つまり、アナログに累積される理由から、デジタルな結果への飛躍が起こるように思えます。

 逆にいうと、事故というものはそのくらい起こりにくいものなのだと思います。なぜかという理由の一つは、動物でもあるヒトは死に至る可能性のある事故を恐れ嫌いますから、出来る限りそれを避けようとするからなのだと思います。

 道具を持たなければ、ただの動物に過ぎないヒトが、自分の筋肉などの生理的パワーだけでは制御しきれない文明の利器を持っている限り、大きな事故が起こりうるのは宿命とも言えます。

 非力な存在である人間(ヒト)が、巨大な道具を駆使するとき、自分たちの作った道具で殺されないようにしっかりと対策を立てるというのが、リスク管理の基本なのだと思います。

 便利なものを最大限に利用しつくそうということ自体が、間違っているのかもしれません。文明の利器から最大の効率を引き出すのではなく、余裕を持って6・7割くらいの効率で利用するようにしておくというのは、地球をボロボロにしてしまった我々が与えられた教訓の一つではなかったでしょうか。
# by stochinai | 2005-04-26 20:26 | つぶやき | Comments(2)
 事故車両に乗務していた車掌が、昨日の事故直前に伊丹駅でオーバーランしたのは、最初の報告の8メートルというのは虚偽で、実際には40メートルであったと告白したとのことです。

 この種の事故で、次々と嘘が発覚することは良くあるのですが、何となく悪い予感がします。

追記:今は午後2時過ぎですが、読売によると正午現在、死者は計73人、負傷者は441人だそうです。

 気になるのは「1両目の車内には、まだ人が残されているとみられる。高見隆二郎運転士(23)も閉じ込められているのが確認されたという」とのくだりです。最大の証人である運転士野方が無事でいられるかどうかが、とても心配です。

 この事故とはまったく関係のないことかもしれませんが、もしも運転手が運転中に列車を道連れに自殺を企てたとしたならば、それを防ぐ仕組みが今のJRの運行管理システムにあるのかということが気になりました。突然意識を失ったとしても最新のATSがあれば大丈夫だと、評論家の方がテレビで話していましたが、逆に意識があって操作も可能な場合はどうなのでしょう。

 公共交通機関などにはそうしたことを含め、ほとんど起こるはずのないリスクに対しても対応できるシステムが必要なのではないかと、昨日から考えています。(簡単には、複数運転士制もその一つでしょう。)
# by stochinai | 2005-04-26 12:10 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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