2005年 03月 15日
カメちゃん
最近、頻繁にニュースに顔を出すようになったニッポン放送の亀淵社長は、我々が受験生の時代にはオールナイトニッポンという深夜のラジオ放送で、若者を支えてくれるヒーローでした。ケネディが殺され(1963)、ビートルズが来日し(1966)、ベトナム戦争(1964-1975)が荒れ狂う1970年を迎える直前の頃だったと思います(1967)。そういえば、ビートルズが来日した年の2月4日、雪祭りから帰る客を乗せた全日空ボーイング727型機が羽田空港着陸直前に東京湾に墜落、乗員乗客全員が死亡という大事故も起こっています(1966)。激動の時代でした。
それが、今は出てくるたびに我々を失望させる発言を繰り返す存在になっており、余丁町さんによれば「ニッポン放送亀渕社長は平成の溥儀なのか?」ということになります。
溥儀と言えば、大日本帝国によって操り人形とされたラストエンペラーその人です。溥儀もカメちゃんも自分の受験生時代を思い出させてくれるキーワードとして、言葉を聞くだけでなんとなく甘酸っぱい思い出が脳の奥から顔を出してきます。
余丁町さんによれば、亀淵社長は「なんら自分の信念からの発言とはとても信じられないような空虚な発言を、さも自信なさげに続けているのだ」と平成の溥儀としてのカメちゃんの悲劇をリアルタイムに書いておられます。
もともとカメちゃんが1999年にニッポン放送の社長になった時点で、我々オールナイトニッポン世代は時代の終わりを感じていた訳ですが、静かに去ってくれていれば良かったのに、このような惨めな姿をさらさざるを得なくなった彼に、同情というか哀れみというか、言い表すことの難しい感情がわいてきます。
初期のオールナイトニッポンでは、糸井五郎さんを始めとして、斉藤安弘、今仁哲夫、高崎一郎、梶幹雄、高島秀武、天井邦夫らに並んで亀淵昭信らの名前が記憶にあります。それぞれのパーソナリティが、独特の味を出しながら深夜に勉強する受験生のベスト・パートナーとしての絶大な支持を得て、ラジオの深夜放送は真夜中の解放区などというふうに言われていたようにも記憶しています。
カメちゃんは歌うのも好きで、斉藤安弘とのデュエットのカメ・アンド・アンコーとして「水虫の歌」や、カメカメ合唱団としてもレコードを出していたと思います。カメちゃんの歌は素人っぽい声だったのですが「平成の溥儀」の記者会見の声は、あの時の歌声そのままであり、それもまた悲しい気持ちにさせられます。
余談ですが、カメちゃんの実の妹である巨大な亀淵友香さんはプロの歌手で、リッキーと960ポンドというグループで歌を歌っていたこともありますが、比較的最近に亀渕"BIG MAMA"友香としてゴスペル合唱団を率いて大ブレークしたことは記憶に新しいことです。
そんなこんなで、私達の青春と切っても切り離せない思い出を引きずりながら、平成の溥儀になってしまったカメちゃんは今、オールナイトニッポンを支えた昭和という時代に引導を渡すための最後の舞台を務めているところなのかもしれません。
だけどね、カメちゃん。無理せずに、もう引退してもいいんだよ。
それが、今は出てくるたびに我々を失望させる発言を繰り返す存在になっており、余丁町さんによれば「ニッポン放送亀渕社長は平成の溥儀なのか?」ということになります。
溥儀と言えば、大日本帝国によって操り人形とされたラストエンペラーその人です。溥儀もカメちゃんも自分の受験生時代を思い出させてくれるキーワードとして、言葉を聞くだけでなんとなく甘酸っぱい思い出が脳の奥から顔を出してきます。
余丁町さんによれば、亀淵社長は「なんら自分の信念からの発言とはとても信じられないような空虚な発言を、さも自信なさげに続けているのだ」と平成の溥儀としてのカメちゃんの悲劇をリアルタイムに書いておられます。
もともとカメちゃんが1999年にニッポン放送の社長になった時点で、我々オールナイトニッポン世代は時代の終わりを感じていた訳ですが、静かに去ってくれていれば良かったのに、このような惨めな姿をさらさざるを得なくなった彼に、同情というか哀れみというか、言い表すことの難しい感情がわいてきます。
初期のオールナイトニッポンでは、糸井五郎さんを始めとして、斉藤安弘、今仁哲夫、高崎一郎、梶幹雄、高島秀武、天井邦夫らに並んで亀淵昭信らの名前が記憶にあります。それぞれのパーソナリティが、独特の味を出しながら深夜に勉強する受験生のベスト・パートナーとしての絶大な支持を得て、ラジオの深夜放送は真夜中の解放区などというふうに言われていたようにも記憶しています。
カメちゃんは歌うのも好きで、斉藤安弘とのデュエットのカメ・アンド・アンコーとして「水虫の歌」や、カメカメ合唱団としてもレコードを出していたと思います。カメちゃんの歌は素人っぽい声だったのですが「平成の溥儀」の記者会見の声は、あの時の歌声そのままであり、それもまた悲しい気持ちにさせられます。
余談ですが、カメちゃんの実の妹である巨大な亀淵友香さんはプロの歌手で、リッキーと960ポンドというグループで歌を歌っていたこともありますが、比較的最近に亀渕"BIG MAMA"友香としてゴスペル合唱団を率いて大ブレークしたことは記憶に新しいことです。
そんなこんなで、私達の青春と切っても切り離せない思い出を引きずりながら、平成の溥儀になってしまったカメちゃんは今、オールナイトニッポンを支えた昭和という時代に引導を渡すための最後の舞台を務めているところなのかもしれません。
だけどね、カメちゃん。無理せずに、もう引退してもいいんだよ。
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by stochinai
| 2005-03-15 23:49
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