5号館を出て

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カメちゃん

 最近、頻繁にニュースに顔を出すようになったニッポン放送の亀淵社長は、我々が受験生の時代にはオールナイトニッポンという深夜のラジオ放送で、若者を支えてくれるヒーローでした。ケネディが殺され(1963)、ビートルズが来日し(1966)、ベトナム戦争(1964-1975)が荒れ狂う1970年を迎える直前の頃だったと思います(1967)。そういえば、ビートルズが来日した年の2月4日、雪祭りから帰る客を乗せた全日空ボーイング727型機が羽田空港着陸直前に東京湾に墜落、乗員乗客全員が死亡という大事故も起こっています(1966)。激動の時代でした。

 それが、今は出てくるたびに我々を失望させる発言を繰り返す存在になっており、余丁町さんによれば「ニッポン放送亀渕社長は平成の溥儀なのか?」ということになります。

 溥儀と言えば、大日本帝国によって操り人形とされたラストエンペラーその人です。溥儀もカメちゃんも自分の受験生時代を思い出させてくれるキーワードとして、言葉を聞くだけでなんとなく甘酸っぱい思い出が脳の奥から顔を出してきます。

 余丁町さんによれば、亀淵社長は「なんら自分の信念からの発言とはとても信じられないような空虚な発言を、さも自信なさげに続けているのだ」と平成の溥儀としてのカメちゃんの悲劇をリアルタイムに書いておられます。

 もともとカメちゃんが1999年にニッポン放送の社長になった時点で、我々オールナイトニッポン世代は時代の終わりを感じていた訳ですが、静かに去ってくれていれば良かったのに、このような惨めな姿をさらさざるを得なくなった彼に、同情というか哀れみというか、言い表すことの難しい感情がわいてきます。

 初期のオールナイトニッポンでは、糸井五郎さんを始めとして、斉藤安弘、今仁哲夫、高崎一郎、梶幹雄、高島秀武、天井邦夫らに並んで亀淵昭信らの名前が記憶にあります。それぞれのパーソナリティが、独特の味を出しながら深夜に勉強する受験生のベスト・パートナーとしての絶大な支持を得て、ラジオの深夜放送は真夜中の解放区などというふうに言われていたようにも記憶しています。

 カメちゃんは歌うのも好きで、斉藤安弘とのデュエットのカメ・アンド・アンコーとして「水虫の歌」や、カメカメ合唱団としてもレコードを出していたと思います。カメちゃんの歌は素人っぽい声だったのですが「平成の溥儀」の記者会見の声は、あの時の歌声そのままであり、それもまた悲しい気持ちにさせられます。

 余談ですが、カメちゃんの実の妹である巨大な亀淵友香さんはプロの歌手で、リッキーと960ポンドというグループで歌を歌っていたこともありますが、比較的最近に亀渕"BIG MAMA"友香としてゴスペル合唱団を率いて大ブレークしたことは記憶に新しいことです。

 そんなこんなで、私達の青春と切っても切り離せない思い出を引きずりながら、平成の溥儀になってしまったカメちゃんは今、オールナイトニッポンを支えた昭和という時代に引導を渡すための最後の舞台を務めているところなのかもしれません。

 だけどね、カメちゃん。無理せずに、もう引退してもいいんだよ。
# by stochinai | 2005-03-15 23:49 | つぶやき | Comments(0)

事故が多発するJR北海道

 12日は国公立大学の2次試験後期日程の日でした。そして、JR北海道でまた事故がありました。新得駅で貨物列車が停止信号を無視して暴走したのです。

 奇しくも、大学入試の前期日程の2月25日にも、北広島市のJR北広島-上野幌駅間で貨物列車の機関車が立ち往生して、千歳線が朝から一時不通になり、当日行われた北大や札幌医大の入試の開始が1時間半から2時間遅れるという大事件が起きています。

 ここのところ不気味にJRの事故が多くなっている気がします。今のところ幸い、ケガ人が出るような事故は起こっておりませんが、いつ人身事故が起こっても不思議がない状況であることはJRでも認識しているようです。

 先日、高知県で運転士が死亡する特急列車の暴走事故がありました。JR北海道では、今年になってからもはや12件の事故が起きており、昨年1年で起こった事故件数の10件を越えているとのことです。

 私には、これらの事故の根底に何かしらの共通する原因があるのではないかと思われてなりません。

 さまざまな安全装置が付けられているので、場合によっては人が居眠りしても安全に走行できるようになっているとさえ言われている航空機でさえ、2-3名の乗員がコックピットに入っています。

 一方、ATSやATCという装置がついているとは言え、無人での走行ができるほどには自動化していないJRや民間の鉄道はどうなのでしょう。運転席にいるのは運転士が1人なのではないでしょうか。

 JR北海道貨物の支社長は「現場の社員一人ひとりにまだまだ安全意識が浸透していないからではないか」と話しているそうですが、逆ではないでしょうか。安全意識が徹底して守られていた時代から、それを守ることができないくらい社員が酷使されたり、志気が低下してきているということの方がありそうな話だと思いました。

 今後も事故が続きそうだと思われるのは、これらの異常に多発している事故に対する対策が「支社幹部が社員と安全について直接対話」することや、「関連会社へ指導を徹底」するなどという1円のお金もかからない精神主義だというところからです。

 事故が起こっているのに、具体的にものを動かす対応をとらずに「がんばりましょう」とかけ声をかけるだけで何とかなると思っている人は、自分が猛烈に睡魔に襲われた時に精神力だけでどのくらい抵抗できるか考えてみたら良いと思います。意識の力だけで睡魔と闘うことがいかに無力かということは、水で顔を洗うあるいは水を浴びるという実力行使をしてみたらすぐにわかることです。

 JRの事故に関しても、運転士1人1人に注意を喚起するということではなく、運転中に彼らの注意を喚起できる外部からの刺激(理想的には2名体制でしょうが)を与えることを考えるべきだと思います。

 経費を節減しているつもりでも、実際に事故が起こってしまうと、支払いきれない損害が生じることをそろそろ思い出しておきましょう。大事故が起こってからでは遅すぎます。

 歴史から学ぶということは、そういうことだと思います。

 追記:北海道のJRにはJR北海道とJR北海道貨物という二つの会社があるらしいです。でも、事故が多くなっているという点については、同じような傾向がありそうです。
# by stochinai | 2005-03-14 21:33 | つぶやき | Comments(11)
 参加型に対する疑問:悪意の情報の流布にトラックバックします。

  相変わらず、ライブドアとフジテレビのマネーゲームの話題でマスコミの多くの部分が占められている毎日ですが、一昨日の仮処分申請でライブドアに軍配が上がったところで、私としてはこの問題に関するすべての興味が失せ果てたというのが実感です。

 やはり、どう考えても堀江さんも日枝さんも興味の中心はメディアの未来というよりは、現時点でなにが儲かるのかという話にあるように思われますし、そういう点では私から見る限り、お二人には相違点よりは共通点の方が多く見えるのです。同じ穴のムジナです。

 彼らの語るメディアのイメージは、超旧態依然の日枝さんのものも、超放任主義の堀江さんのものも、ちっとも私の心をわくわくさせてくれません。

 それだけではなく両者は、たとえ戦っている相手に情報を渡すことはできないと言う戦争の論理が原因とは言え、嘘の言葉を平気で垂れ流し続けてきているところが、まったく気に入りません。

 ライブドア側は「相手を乗っ取って支配する」「新聞・ラジオ・テレビの旧メディアには死んでもらう」と言っていた当初から、「話し合いで共同経営にしたい」とか「テレビがなくなるはずはないじゃないですか。インターネットと共存する道を探りましょうよ」などと方向修正するし、フジテレビ側も「乗っ取りをしようとする人間と会ったり、話し合ったりできるわけがない」「インターネットなんかなくてもテレビはちゃんとやっているじゃないですか」などという言い方から、裁判所の仮処分決定が出てからは「私は話し合いをしないなどとは、一度も言ったことはない。実務者同士で話し合えばいいと、ずっと前から言っていた」とか「フジテレビだって、インターネットはずっと前から利用しているんです」などと、発言をコロコロと変えています。

 つまり、いつの間にか両者にはすりあわせができてきているように思えるのです。正義感を持った若者から見たら、それは薄汚い「大人のやり方」以外のなにものでもありません。

 ここに至って、失言を繰り返す政治家などと同じように、堀江さんも日枝さんも、そして我々にとっては受験生時代の英雄だった亀ちゃんこと亀渕社長も、本来言葉で生きることを期待されているはずの人々が、言葉というものをあまりにも軽く扱っていること(つまりみんな嘘つきだ)に改めて失望を覚えざるを得なくなっています。

 もう、この人たちとまじめにつきあう気持ちはなくなりました。勝手にやったらいいんじゃないでしょうか。

 ライブドアも、フジテレビも、ニッポン放送も、来るべきメディアの未来を担うだけのビジョンはないと思います。それに比べると、いろいろと紆余曲折を繰り返しながらもブログの世界は着実に成長を続けているように思えます。

 ニュース23で、筑紫さんが堀江さんにしつこく食い下がっていた、ネットに任せておいて本当に正義のジャーナリズムが生き延びることができるのかという点について、残念ながら堀江さんはきちんと答えられませんでした(というか、彼は正義とか政治とかジャーナリズムとか人権とかには、全然興味がないようです)。

 しかし、堀江さんが理解していようといまいと玉石が混交しているネットジャーナリズムと、それを受け取る群衆が、たとえ断片的であれ発言の機会を与えられている雑多な市民(の一部)が、見ようによっては無政府的にやりとりができるというブログの世界は間違いなく今までになかった新しいジャーナリズムのありようだと思われます。

 私には、次世代のメディアというものは、マネーゲームの中からではなく、こうした無力な人々が集まって作られるうねりの中から出てくるように思われるのです。

 逆に言うと、その流れを的確につかめるかどうかが、お金儲けをできるかできないかにもつながるかもしれません。そういう意味では、ライブドアもフジテレビも正しく未来をつかんではいないような気がします。

 ただし、競馬と同じようにたくさんのお金を持っていれば、可能性のあるいくつかの馬を買っておけば総合的には勝つ確率が上がってきます。ライブドアが今まで勝っていることの理由のひとつは、そんなつまらないことなのではないかと思います。
# by stochinai | 2005-03-13 23:59 | つぶやき | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai