5号館を出て

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木更津にて

 かずさアークというところで、国際 Xenopus meeting というアフリカツメガエルの研究者が一同に介した学会が開かれています。こんな私でも、いちおうは日本でアフリカツメガエルの研究者の集まりがあると声をかけられる存在ですので、来ています。というか、今回の会議では、広報委員という主催者側の一人として参加していることになっているのですが、準備段階ではオンラインでの協力以外はほとんど協力していませんので、こそこそと参加させていただきました。そうしたら、参加証にはでかでかと staff と赤バックで書かれていまして、恐縮の行ったり来たりです。しかし、最初のコーヒーブレークでは、そのネームカードを見てどこか外国の方がトイレはどこかと聞いてくださいましたので、いちおう主催者側の一人としての面目は保てました(ホントか?)。

 冗談はさておき、ここ木更津はすごいところです。木更津キャッツアイとかいうテレビドラマや映画がはやっていて地名は有名なところのようですが、ただの地方都市です。それが、さらに有名なウミホタルを通るアクアラインで、羽田からわずか30分ちょっとでついてしまうのですから、それもまたすごいことです。

 ぶれてますがアクアライン海底道です。
木更津にて_c0025115_05557100.jpg

 あっという間に、木更津です。
木更津にて_c0025115_0564795.jpg

 学会参加者はおおよそ日本人100名に外国人200名というところなのだそうで、千葉の信じられないような山奥に作られた未来都市である、かずさパークにはなかなかお似合いのシュールな集会になりました。

 私は、自分が特にアフリカツメガエルを使った研究に特化している存在であるというふうには思っておりませんですので、この学会にはそれほど強い帰属意識はないのですが、それでも何年かに一度お会いするノーベル賞をもらってもおかしくないと言われているトロント大学に長くおられる日本人のM先生とか、数年前に会ったきりで研究分野が少し離れてしまって疎遠になっていたロチェスター大学のJRさんとか、10年くらい前に研究分野が重なっていて交流のあったMFさんの研究室にいて、今回初めて会った日本人のYOさんとか、次々といろいろな人に出会ったり再会してしまうのが学会のおもしろさです。

 こうして学会で研究発表を聞いていると、ほんとうにまじめに研究の批判をやりあっていれば。「ねつ造」などということなど入り込む余地はないと強く感じられます。結局、ねつ造が起こるということ自体がその分野の学問が崩壊し始めていることを意味しているに違いないとしみじみと感じながら、エキサイティングな発表を聞いていました。

 研究というものが、この学会で感じられる興奮のレベルでとどまっていれば、不幸な事件など起こるはずはないと思えるものの、その後の懇親会の話題でも最後にはやはり世界のどこにでもあるアンフェアな状況の暴露合戦になってしまうことを顧みると、今日本で起こっている問題の根元には、グローバルな問題と日本独自の伝統的問題がからみあったかなり複雑な状況があることを再認識させられてしまいました。

 さて明日の朝は6時半のバスに乗らなくてはならないようです。田舎での学会も大変です。
# by stochinai | 2006-09-12 23:52 | 生物学 | Comments(3)

フヨウ

 今年の夏は暑かったせいか、花がきれいな夏の印象があります。

 今朝の主役はフヨウでした。青空に映えてドキドキするくらいピンクが美しいです。
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 フヨウはムクゲと同じ属ハイビスカスの仲間です。ハイビスカスは日本名だと、アオイ科フヨウ属となるのですが、フヨウ(芙蓉)と呼ぶと南国の花の代表のような名前のハイビスカスとは全然違った和風の花に見えてくるから不思議なものです。
フヨウ_c0025115_21145630.jpg

 それでも、5つに分かれた雌しべとビン洗いブラシのように花柱から生える雄しべを見ると、ハイビスカスの仲間であることを実感できます。
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 よく見ると、かなり派手な花ですね。
# by stochinai | 2006-09-11 21:20 | 趣味 | Comments(5)

盛岡桑田

 私の先祖は岩手の南部藩(後に盛岡藩)出身でであると聞かされています。盛岡に行くと、珍しいと言われる私と同じ姓をもった人がたくさんいますので、その辺にルートがあることを感じることはできますが、日常生活の中では、そういうことを実感として感じることはめったにありません。

 盛岡藩では明治維新で版籍奉還・廃藩置県によって武士が職を失った時に、最後の藩士達に桑田を買い与えたのですが、その時個々人に小さな土地を分割するのではなく、1732名が共同で登記するということをやったため、土地を処分するためには1732名の印鑑を揃えなければならないという制約が生じ、結果的に桑田を売買することができず、当時と同じ数の会員を維持したままの盛岡桑田の会が今日まで存続しています。

 桑田は現在は会社組織になっており、土地を賃貸したり、強制収容された土地の販売代金による収入があります。会社の主な仕事は、その収入を一子相伝方式で現在まで続いている1732名の「社員」に配当するという仕事なのです。もちろん、収入といっても大したものではなく、最近は年間ひとりあたり2-3万円の配当がある程度のようなのですが、「社員」によって構成される会そのものが最後の南部藩士一族を束ねて現在に至った希有な組織となっています。

 その旧盛岡藩士桑田の会北海道支部の「定期総会」という名の懇親会が年に一度開かれていますが、今日がその日でした。
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 我が家は父が権利を相続しており、正式のメンバーとしては父だけなのですが、桑田の会では権利の相続が断絶することを恐れて、積極的に次世代の「跡継ぎ」を同伴することを勧めており、私もゲストとして数年前から参加させてもらっています。

 明治維新に際して作られた、この桑田の会の「条約書」の第1条に桑田が全会員共有の所有物であること、第2条にはそこから出た利益は全員に平等に配分するというような、きわめて民主的なことが書かれていると聞きました。また、現在の会社の理事・社長の皆さんが、誠実のそれを守って活動されていることにも感銘を受けます。

 ひとつにまとめてしまうと、資産が数億円また毎年の収入が数千万円の会社ですから、邪悪な心を持った人間が出て乗っ取りを企てたこともあったようですが、今では連絡が取れない数百人の会員がいて、全員の印鑑を集めることなどは絶対に不可能になっていることが、そうした野望を打ち砕く強力な防波堤になっているとのことです。

 一年に一回、数時間だけですが、先祖とのつながりを感じることができるこの機会は、私にとて不思議な時間旅行になっています。

 理事長さんのお話

 桑田の発祥から現在までを描いたマンガ「盛岡桑田物語」
# by stochinai | 2006-09-10 23:42 | つぶやき | Comments(4)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai