5号館を出て

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帰札

 昨日までは暖かかったのですが、今朝から急激に寒くなって来た仙台を後に、札幌に戻って参りました。

 帰ってきた札幌は気温的には仙台よりも寒かったと思うのですが、雪のない仙台で感じる寒さの方が、雪のある札幌で感じる寒さよりも「きつい」感じがしました。視覚と温度感覚のミスマッチによる、心理的体感温度というものでしょうか。

 昨夜は仙台で、イルミネーションで大々的に飾り立てた並木道を見ました。雪の札幌で見るイルミネーションとは、またちょっと趣の異なる不思議な風景でした。醜悪な配色の満艦電飾で、街の雰囲気を壊しているとしか言いようのない、某携帯電話会社の巨大なクリスマスツリーも悪夢のように記憶に残っています。

 月曜日の夜だというのに、その並木の下にはお祭りの時のようにたくさんの人がいて、不思議なカーニバルのような光景でした。

 札幌だと、大通公園は広いのでイルミネーションの下に少しくらいたくさんの人がいても、それほど混雑した感じは受けないのですが、仙台の並木の下では人々が押しくらまんじゅうをしているように思えました。

 そう言えばニュースで見ると、神戸や横浜(?)のルミナリオとかいう、電飾のアーケードの下にも、いつも立錐の余地もないくらいの人がいます。

 お祭りの夜店の前を歩く人並みと同じような感覚なのでしょうか。

 光の芸術は、人がたくさんいると余り美しく見えないものです。夜空の星もそうですが、夜の光は寂しさと仲が良い存在なのではないかと思われます。人がたくさんいると、その寂しさを味わうことができません。それで、なんかミスマッチだなあと感じるのだと思います。

 そういう意味で、仙台の住宅街で見た個人宅のこぢんまりとしたイルミネーションは、心に浸みる美しさでした。もちろん観客などは1人もいません。寂しい住宅街の小さな庭の小さな木にポツンと飾られたイルミネーションは、たくさんに人々に囲まれた巨大で豪華なイルミネーションよりもずっと味わい深いものでした。

 どんどん気温が下がってくれると良いと思います。街から人が逃げ去ったあとに残されたイルミネーションは、また違った感動を与えてくれると思います。

 きれいだなあ、と感動するのも人なので、矛盾したことを言っていることは自分でも良くわかるのですが、人間(私だけ?)って贅沢なことばっかり望むものですね。
# by stochinai | 2004-12-21 00:00 | つぶやき | Comments(0)

仙台にて

 今日は、午前に1回、午後に1回ほぼ2時間ずつの特別講義。東北大学の学生さんたちも、がんばって聞いてくれています。

 私は去年から、すべての講義をパワーポイントでやっておりますので、今回ももちろんパワーポイントファイル持参で、液晶プロジェクターを使ってやりました。

 私個人としては、パワーポイントと高性能のノートパソコンのおかげで、ずっと昔からやりたかった、ビジュアルを中心にした講義ができるようになったのは、夢のような気分です。

 なによりも、講義の5分前まで講義内容に手を入れることができるメリットは大きいと思っています(単に、準備が悪いだけという声もあるのですが、準備が間に合わないよりは最後の最後まで改訂を続けた方がベターだと、勝手に納得しています)。

 最近は学生の発表でも、パワーポイントを使うことが珍しくなってきています。

 しかし、パワーポイントの技におぼれて、内容よりも見栄えだけに凝るようになってしまうと失敗に終わります。特に、聴衆がパワーポイントに慣れてきた昨今では、もはやその手は使えなくなっていると考えて良いでしょう。内容で勝負ということは、時代が変わっても変わらない真理です。

 昔は、ビジュアル講義をしようと思ったらスライドやビデオを準備しなければなりませんでした。スライドはカラー写真が使えるという利点がありましたが、部屋を暗くしなければならないという決定的な欠点(かなりの学生が睡魔に襲われてしまいます)があったため、私は講義ではほとんど使ったことがありませんでした。

 学会でいくら評判になったスライドを使っても、教室の学生の注目を集めることができないことを何度か経験して、使えないと思っていました。

 最近の液晶プロジェクターは明るいものが多くなってきたので、部屋をそれほど暗くすることなく利用できます。動画も使えます。1人で操作できて小回りが利きますので、学生が眠くなってきたら、電気をつけて短時間黒板を使ったりというように臨機応変に対応できるということもメリットの一つです。

 ビデオ教材もいろいろと試してみましたが、わかったことの一つは長い番組は講義としては使えないということです。NHKスペシャルのような45分、1時間の番組をすべて流して講義時間をほとんど使っても、実際にやってみると講義の1時間で伝えられる内容としてはあまりにも少ないことが実感されます。

 逆に、情報量の多い本当の学術的な映画だと、難しすぎてほとんどの学生は睡魔に負けてしまうようです。

 動画は数十秒から、数分のものを細切れに使うのが効果的だと昔から思っていましたが、実際にやるのはとても難しかったのですが、今はコンピューター技術の進歩でビデオクリップを使うことがとても簡単になりました。これは、学生の眠気覚ましにもなりますし、効果的な情報伝達手段にもなります。

 まだまだ使いこなしているとは言えませんが、旅先のホテルで明日の講義のためのパワーポイントスライドをどんどん作り直せるのは、やはりありがたいものです。しかも、ホテルにネット環境が完備されているここT横インのようなところだと、あたらしい画像を追加することも比較的簡単に出来てしまいます。今日の講義を反省しながら、あの学生さんたちのためなら、こんな画像が欲しいなあと思って明日のスライドを作るのは楽しくもあります。

 そんなこんなで、仙台の第2夜も更けていくのでありました。
# by stochinai | 2004-12-20 00:00 | 教育 | Comments(0)

仙台入り

 雪に埋もれた札幌を後に、仙台に入りました。明日から、東北大学理学部生物学科で特別講義です。

 今の時期は、あちこちの大学で特別講義のオンパレードになっており、通常の講義はつぶれ、たくさんの教員が不在で、逆によそからたくさんの教員が出張してくるということになっています。

 しかし、この制度も例によって法人化の影響を受けており、北大では特別講義をお願いした非常勤講師の方の謝礼が年々安くなって来ているだけではなく、今年からは大学から旅費は出ないということになっています。もちろん、旅費を自前で特別講義してくれるなどという奇特で金持ちな先生などいませんので、旅費は大学ではなく講義を依頼した学科が負担するということになっています。

 こちらではどうなっているのかわかりませんが、東北大学でも懐事情はそれほど変わらないでしょうから、特別講義でございと能天気なことをやっていると顰蹙を買ってしまいそうです。

 そもそも特別講義というのは、自前の教員だけではすべての学問領域をカバーしきれないので相互に助け合おうということで始まったはずなのに、予算がないからやめようなどという発想がどこから出てくるのかわかりません。

 同じように、北大では通常の講義の非常勤もゼロにすることを目指しているようで、できれば2006年までにはなくして欲しいというのが当局の本音のようです。

 しかし、どうやらそれはできなさそうと見ているのか、そんなことは無理なのでやはり非常勤は雇い続けるということなのか、非常勤講師の給料をひねり出すために常勤教員を恒常的に定員以下に抑えておくという作戦に出たようです。

 法人化してからは、国からは定員分だけ人件費が来るのだそうで、教員を定員以下に抑えておくと予算が浮くので非常勤を雇う財源になるということらしいです。

 その手が使えるのなら、いっそのこと教員の半分くらいを非常勤にしてしまうのも良いかもしれないですね。さらに言うなら、全員を非常勤にしてしまってはどうでしょう。

 ・・・・・・そうか、文科省の言っている時限付き採用というのはこれだったのですね。

 なるほど、財源をコントロールすると言うことは、おもしろいほど意のままに大学を動かすことができるということのようです。すごい。やはり、日本の官僚はただものではないことが良くわかりました。

 しかも、この方法だと「非常勤を切れ」とか「全員を非常勤にしろ」とかについては文科省が直接命令・指導しているわけではありませんから、なにか問題が起こった時にも責任は各大学にあることになりますので、文科省はいっさい責任を問われないという構造になっているのですね。

 確かにすごいと思いますが、そのすごさが日本の教育を良くするために使われていると言うよりは、日本の教育機構を支配するためだけに使われているというところが残念ですね。せっかく才能を持っているのですから、何で正しいことに使わないのでしょう。もったいない。
# by stochinai | 2004-12-19 00:00 | 教育 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai