5号館を出て

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静かな学長選挙

 北大の学長が総長と呼ばれるようになったのは、それほど昔の話ではありません。それまでは学長と呼ばれていたものが、当時のH学長が東大や京大では学長のことを総長と読んでいるので、(「自分もそう呼ばれたい」とまで言ったかどうかは定かではありませんが)同じ旧帝大の北海道大学でも学長のことを総長と呼ぶことにしたいと提案し、あっさり決まってしまいました。

 学長と総長とどこが違うのかは、いまだにわかりませんが北大が自分で総長と呼ぶことに決めたら、新聞などでもそのように呼んでくれるようになったようです。学長に比べ偉そうに響く総長ですが、ヤクザとか暴走族でも親分を総長と呼ぶことがあるようなので、私は個人的には好きではない呼び方です。だいたい、中味の変更なしに昨日まで学長と呼ばれていた人が、次の日から総長と呼ばれるようになったといういきさつも気に入りません。

 というわけで、私は今でも総長という名前に馴染んでいないのですが、公告が回ってきました。「第一次候補者にかかわる所見等の送付について」という文書です。(学長は総長と呼ぶのですが、副学長は副総長とは呼ばないのも、不思議です。)

 それによると「公示によりすでにご承知のことと思われますが、来る2月1日(火)に時期総長候補者の選考に係る学内意向聴取(投票)が実施されます」とのことです。

 今年の学長選挙はいつになく静かだと思っていたら、どうもいつの間にか選挙はなくなってしまっていたようです。「当該意向聴取は、総長選考会議委員による投票に先立ち、同委員が参考とするために行われる重要な手続きであります」とのこと。つまり、我々が2月1日に投票するのは、学長候補者の意向調査(人気投票)に過ぎないということでしょう。

 その投票の結果を、参考にするのかしないのかはさておき、その後に「選考会議による選考」というものがあるようで、そこでの投票が学長を決めることになると思われます。今日のニュースで、東北大学では学長選挙が廃止になると大々的に報じられていますが、我々が投票できる「学長選挙」も人気投票にすぎないのだとすると、北海道大学でも学長選挙が廃止になったと理解できます。

 で、そこで出てきている第一次候補者というのがまたまたふざけていて、現職の学長であるN先生と、副学長のF先生でした。(補足:F先生は今は副学長ではなく、博物館長・獣医学部長でした。【2006年11月にさらに訂正・補足】1997-1999、総長補佐;1999-2001,獣医学研究科長;2001-2003,副学長(なんで「副総長」じゃないんでしょう?^^);2003-現在、博物館長、でした。お詫びして、訂正します。)

 どちらも現執行部の方で、副学長の方が反執行部だということなのかもしれませんが、そのふたりのうちから次期学長としてふさわしい方を選べという択一問題は、入試ならば解答なしと言われてしまいそうなチョイスです。

 どおりで学内が静かなわけでした。

 現学長が選ばれた最後の学長選挙の時には、もう少し学内に活気があったことを記憶しています。その時には、現学長は国立大学法人化反対をはっきりと掲げて当選したことを記憶しています。今回、候補者になった副学長はその時にも推薦を受けたのですが候補になることを自ら辞退されていた方です。

 その後、学長は粛々と法人化を推進し、副学長も一緒に行動していたのだと思っていましたが、実は呉越同舟だったということなのでしょうか。

 それにしても、どちらが新しい学長になったとしても、北大の方針が劇的に変わるような気はしません。

 そもそも、こんな「選挙のようなもの」で新しい学長を決めるというセンスがどうも理解できません。法人化したのだから、下々のものが経営陣に口を出すなというのなら、「選挙のようなもの」もやめてしまったほうが良いのではないでしょうか。
# by stochinai | 2005-01-27 23:27 | 大学・高等教育 | Comments(0)

書斎を修理に出す

 愛用していた移動書斎の Toshiba Dynabook SS S8 をついに修理に出しました。

 去年の9月はじめにモデムが使えなくなってから、カード型モデムを入れたりしてだましだまし使ってきましたが、最近になってタッチパッドでスクロール(縁の金属を触りながら動かすと画面が上下や左右にスクロールする)機能がダメになったり、さらには液晶の上部にドット落ちや常時点灯ドットがたくさん現れるなど、いろいろ調子が悪くなってきていました。あちらこちらに障害が多発するというのは、人間で言えば老化現象というところなのかもしれませんが、一度ドック入りさせねばとずっと思っておりました。

 講義やセミナーなどの年度内スケジュールが一段落したこともあり、思い切って修理に出すことにしました。

 買ってから、まだ1年半くらいしか経っていないのですが、毎日リュックで背負って自宅と大学を往復するという過酷な使用方法に耐えられる機種ではなかったのかもしれませんが、ともかく正常状態に復帰してもらってから、その後の使い方を考えようと思っています。

 修理に出す前に、まずはプログラムやシステムを除き、ハードディスクの内部をすべて外部ハードディスクにコピーしました。基本的にはマイ・ドキュメントの中味です。しかし、メールソフトの鶴亀はCドライブに TuruKameData というディレクトリを勝手に作り、そこにすべてのデータが入っていたりしますので、それもコピーしておかなければ、過去のメールが失われる恐れがあります。

 修理に出すに当たって、それより何より心配だったのは、ハードディスクの中に個人に関する情報の入ったファイルがあることです。毎日のように起こっている個人情報流出による事件を考えると、修理に出す時にはそれらを削除しておかなければならないと、つくづく思いました。メールはもちろん個人情報の塊なので、ディレクトリごと消しておきました。

 その他に、アドレス帳やシリアルナンバー控え、さまざまな私的文書はあちこちのディレクトリに分散して入っています。できる限り消したつもりですが、チェックのし忘れがないとは断言できません。何10ギガバイトなどというデータの中に何があるかなどということを、人間ひとりの脳で管理しきれるものではありません。不安になります。(それに、消したつもりになっても普通にはアクセスができなくなったというだけで、実はデータのほとんどはそのまま残っているのです、、、。)

 これほど大容量・高性能になったノートパソコンを修理に出すということは、自宅の書斎の中の一切合切を入れたままに、大工さんを入れて家のリフォームをお願いするようなものだと思いました。

 大工さんなら、素性のわかった人がひとりかふたりでしょうし、横で家族が「見張って」いることもできるし、信頼関係がある業者が相手ならそれほどの心配はないかもしれません。

 しかし、パソコンの場合には修理に出してしまった後は監視することがまったく不可能ですので、かなり気持ちの悪いものだと(出してしまってから)つくづく思っています。修理の下請けがあるという噂も聞いたことがあります。

 磁気カードならば5秒で情報のスキミングができるということですから、修理業者がその気になれば、修理を依頼されたコンピューターのデータをどんどんと蓄積することも可能です。優秀な検索ソフトを使えば、修理に出されたあらゆるコンピューターの中から「金になる」データを探し出すことも簡単なのかも知れません。そういうことをやっている「修理業者」がいないとは断言できません。

 医者や公務員などは、業務上得た情報の内容に関する守秘義務があります。そういうところで使っているコンピューターを修理するケースもたくさんあるに違いありません。私はもはや公務員ではありませんが、学生に関する個人情報なども持っておりますので、外に出ないように気を付けているつもりです。しかし、コンピューターが立ち上がらなくなって修理に出す場合などは、バックアップやデータの消去もできないのですから、データ機器の修理業者などにもそうした法的規制をかけておく必要はありそうな気がします。

 こういう時には流出したことがわかるような「おとりのデータ」を忍び込ませておくと良いんでしょうか?ともかく、今回関係すると思われる生協と東芝さん、事故が起こらないように、よろしくお願いします。
# by stochinai | 2005-01-26 20:57 | コンピューター・ネット | Comments(0)
 我々はこの国では、内部告発をした人間は告発された側から、人事などについて報復をされることがあるだろうと思っています。それは、正しくないことだけど、あるに違いないと思っています。

 一方で、公益に資する内部情報の通報は正しいことなので、告発した人が不利益を被らないようにということで、公益通報者保護法が作られたのだと思います。しかし、この法律の施行は2006年4月ということですし、法律の内容自体も通報者はまず内部に通報、続いて行政機関者に通報、それがダメだとなってはじめて外部へ通報しても良いという、考えようによっては通報を阻止するように作られた法律のようにも思えます。そのあたりの事情については、私が書いた書評『内部告発の力 公益通報者保護法は何を守るのか』および、その本をお読みいただけるとわかります。

 そのような状況下で、先日NHKを内部告発したチーフ・ディレクターと、愛媛県警を内部告発をした現職の巡査部長さんのことを心配している方も多いと思います。

 一般的に言うと、会社や警察という組織を守るという立場からすれば、内部告発は組織の統一性を壊すものですから、組織という立場に立った人から嫌がられるのは理解できます。

 しかし、組織と正義(倫理)の論理が対立した時に、どちらを選ぶかは個々の人間に任されていることだと思います。

 組織を守り、組織のために一所懸命働く人が、組織の中でどんどん昇進していくのは、ある意味で当たり前のことなのかも知れません。しかし、組織が全体として悪あるいは犯罪を行っている時には、そのような組織を守ることのできる人とできない人が出てくると思います。

 そのようなことのできない人(つまり正義感や倫理観が、金銭感覚や上昇志向などに勝っている人)は、黙って組織を去るか、内部で論争するか、外部へ告発するかという選択を迫られることになります。

 正義感の強い人は、黙って去ることはできないでしょう。そして、間違いなく最初のうちは、組織内部においてさまざまなシチュエーションで闘ってきていると思います。

 その上で、もはや内部からの改革に望みがないという段階に達して、内部告発に踏み切ったのだと推察されます。もちろん、そのような行動を取るからには、組織内部での順調な昇進や昇級などに対するあきらめは、覚悟しているはずです。

 今回のような場合、彼らの内部告発によって守られるのは、我々が供出した視聴料という財産であり、警察を運用するために使われる税金です。そういう意味では、彼らの行動によって利益を得るのは、我々一般の国民です。

 だとするならば、彼らを守るべき責任は利益を受ける我々にあるのではないでしょうか。報復人事は当然あるだろうなどと、寝ぼけたことを言っていないで、そのようなことをさせないような圧力をかけることは、我々利益を守ってもらった人間の義務ですらあるのではないでしょうか。彼らを見殺しにしてはいけないと思います。しっかりと見張って、理不尽な報復が起こらないようにしたいと思います。

 「世界が見ている。恥ずかしいことはするな。やったら、北朝鮮を非難できなくなるぞ」だと思います。
# by stochinai | 2005-01-25 22:56 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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