2006年 03月 05日
間違いを認めたくない国民性なのか(追記あり)
1971年まで沖縄が日本ではなかったことを記憶している人はどのくらいいるでしょうか。私が大学に入った頃、沖縄に行くにはアメリカに渡航するためのパスポート(とビザも?)が必要でした。第二次世界大戦に敗れてから沖縄はアメリカに占領されていたのです。
沖縄が返還されることになり、沖縄返還協定が日米間で締結される時に、協定の中にアメリカ軍が支払うと書いてある軍用地復元費400万ドルを日本が肩代わりするという密約があったということを、毎日新聞の西山記者がスクープしたことは当時非常に大きなニュースになりました。
しかし、政府はその密約に関してはいっさい否認を続けたばかりではなく、そのスクープの情報として機密電文のコピーを内部告発として記者に提供した外務省職員とともに西山記者を、機密漏洩という国家公務員法違反の容疑で逮捕するという挙に出ました。
今でも覚えていますが、裁判所ともあろうものが何とも下品な「情を通じ」という表現を使って西山記者が外務省職員を男女関係を利用してだまして機密情報を不正に入手したということで有罪にしました。(注:実は、判決でそのように表現されていたかどうかまでは、はっきり憶えていません。検察側がその表現を使っていたことは間違いなく、当時の担当検事が自らあの言葉で有罪にできたと威張っているのを、割と最近になってテレビで見ました。マスコミが喜んでその言葉を反芻していたことも間違いないと思います。)
それを受けて、毎日新聞は西山さんを休職処分にしたことで、事件は一件落着ということになってしまった感があります。
密約があったかなかったかという方が、日本の国益という大きな観点からみて重要な問題のはずなのに、密約を暴露する情報が漏洩したことの方が大きな問題であるかのように騒がれ、暴露のされ方が違法に行われたということの方が問題にされ、密約そのものがなかったことにしてしまう政府のやり方、およびそんなことで腰砕けになってしまうマスコミに大きな失望を覚えた記憶が今でもありありと思い出されます。
しかも、マスコミは腰砕けになっただけではなく、その後の報道は西山記者バッシングへとなだれ込んだように思われます。マスコミが最近ダメになったと言われることが多いのですが、実はあまり変わっていないのかもしれません。
当時でも日本人の多くは密約があったと信じていたと思いますが、違法に入手されたものには証拠能力がないので、密約そのものがなかったかのごとくに装う日本政府の姿勢は現在まで続いています。それで通ってしまうのが日本の政治状況なのでしょうか。
しかし、つい最近、日米交渉の実務責任者だった当時の外務省アメリカ局長の吉野文六さんが、密約の存在を認めたというニュースが報道されました。吉野さんは今87歳で、死ぬ前に本当のことを話しておきたいという気持ちになったのかもしれません。
実は昨年、すでにアメリカで公式文書が公開されて密約の存在は明らかになっています。その時点でも日本の関係者は無視あるいは否定を続けていたのですが、ついに内部の重要関係者が告白したことの意味は大きいと思います。西山さんは昨年の時点で、自分の名誉回復も含めて国家賠償訴訟を起こしています。今回の吉野さんの告白は、その裁判には追い風にはなると思います。
しかし、そのニュースを聞いても阿倍安倍晋三官房長官は記者会見で「そうした密約はなかったと報告を受けています」と発言しているようです。まあ政府自民党が公式見解として過去に国会をだましたということを簡単に認めたくないのはわかりますので、これはこれとして無視しても良いかと思いますが、野党やマスコミの追求までもがほとんどないことに強い失望を覚えています。
まずは毎日新聞が、自社で行った休職処分からの名誉回復をすべきではないでしょうか。
マスコミも政府と同じように、自分たちの犯した間違いを認めることにこんなにも抵抗するのはどうしてなのでしょうか。名誉を重んじる国民性があるので、それを認めることは自分の死を意味するとでもいうのでしょうか。
先日の民主党おそまつメール事件の時にもちょっとした間違いを認めたくないこと原因となって、間違いに間違いを重ねる原因になり想像を絶する泥沼になったような気がします。
間違ったら早めに訂正して謝る。たとえ遅くなったとしても気が付いたらすぐに訂正して謝る。取り返しがつかないくらい遅くなっても、訂正して謝る。そんなに難しいことでもないと思うのですが、日本の最高の知性が集まっていると期待される政府やマスコミの方々にそれができないのはどうしてなのか、不思議でなりません。
【追記】
この事件は機密があったかどうかではなく、機密漏洩事件(「西山事件」)としてウィキペディアに載っております。非常に良くまとまっていますので、そちらをご覧下さい。私の記憶がかなりいい加減なことも良くわかります(^^;)。
沖縄が返還されることになり、沖縄返還協定が日米間で締結される時に、協定の中にアメリカ軍が支払うと書いてある軍用地復元費400万ドルを日本が肩代わりするという密約があったということを、毎日新聞の西山記者がスクープしたことは当時非常に大きなニュースになりました。
しかし、政府はその密約に関してはいっさい否認を続けたばかりではなく、そのスクープの情報として機密電文のコピーを内部告発として記者に提供した外務省職員とともに西山記者を、機密漏洩という国家公務員法違反の容疑で逮捕するという挙に出ました。
今でも覚えていますが、裁判所ともあろうものが何とも下品な「情を通じ」という表現を使って西山記者が外務省職員を男女関係を利用してだまして機密情報を不正に入手したということで有罪にしました。(注:実は、判決でそのように表現されていたかどうかまでは、はっきり憶えていません。検察側がその表現を使っていたことは間違いなく、当時の担当検事が自らあの言葉で有罪にできたと威張っているのを、割と最近になってテレビで見ました。マスコミが喜んでその言葉を反芻していたことも間違いないと思います。)
それを受けて、毎日新聞は西山さんを休職処分にしたことで、事件は一件落着ということになってしまった感があります。
密約があったかなかったかという方が、日本の国益という大きな観点からみて重要な問題のはずなのに、密約を暴露する情報が漏洩したことの方が大きな問題であるかのように騒がれ、暴露のされ方が違法に行われたということの方が問題にされ、密約そのものがなかったことにしてしまう政府のやり方、およびそんなことで腰砕けになってしまうマスコミに大きな失望を覚えた記憶が今でもありありと思い出されます。
しかも、マスコミは腰砕けになっただけではなく、その後の報道は西山記者バッシングへとなだれ込んだように思われます。マスコミが最近ダメになったと言われることが多いのですが、実はあまり変わっていないのかもしれません。
当時でも日本人の多くは密約があったと信じていたと思いますが、違法に入手されたものには証拠能力がないので、密約そのものがなかったかのごとくに装う日本政府の姿勢は現在まで続いています。それで通ってしまうのが日本の政治状況なのでしょうか。
しかし、つい最近、日米交渉の実務責任者だった当時の外務省アメリカ局長の吉野文六さんが、密約の存在を認めたというニュースが報道されました。吉野さんは今87歳で、死ぬ前に本当のことを話しておきたいという気持ちになったのかもしれません。
実は昨年、すでにアメリカで公式文書が公開されて密約の存在は明らかになっています。その時点でも日本の関係者は無視あるいは否定を続けていたのですが、ついに内部の重要関係者が告白したことの意味は大きいと思います。西山さんは昨年の時点で、自分の名誉回復も含めて国家賠償訴訟を起こしています。今回の吉野さんの告白は、その裁判には追い風にはなると思います。
しかし、そのニュースを聞いても
まずは毎日新聞が、自社で行った休職処分からの名誉回復をすべきではないでしょうか。
マスコミも政府と同じように、自分たちの犯した間違いを認めることにこんなにも抵抗するのはどうしてなのでしょうか。名誉を重んじる国民性があるので、それを認めることは自分の死を意味するとでもいうのでしょうか。
先日の民主党おそまつメール事件の時にもちょっとした間違いを認めたくないこと原因となって、間違いに間違いを重ねる原因になり想像を絶する泥沼になったような気がします。
間違ったら早めに訂正して謝る。たとえ遅くなったとしても気が付いたらすぐに訂正して謝る。取り返しがつかないくらい遅くなっても、訂正して謝る。そんなに難しいことでもないと思うのですが、日本の最高の知性が集まっていると期待される政府やマスコミの方々にそれができないのはどうしてなのか、不思議でなりません。
【追記】
この事件は機密があったかどうかではなく、機密漏洩事件(「西山事件」)としてウィキペディアに載っております。非常に良くまとまっていますので、そちらをご覧下さい。私の記憶がかなりいい加減なことも良くわかります(^^;)。
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by stochinai
| 2006-03-05 23:42
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