5号館を出て

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 いままで、ノートンのインターネットセキュリティを使っていたのですが、1年ごとの更新に何千円も取られてしまうのがバカバカしくなってきたので、フリーソフトを使ってみることにしました。

 アンチウィルスソフトはavast! 4 Home Editionというもので、ファイアウォールはZoneAlarm Firewall Protectionです。

 いずれも外国(avastはチェコスロバキアで、ZoneLabsはフランス?)の会社で、有料の製品版も売っていますが、機能を制限したフリーソフトも配布しています。ZoneLabsには日本語のサイトもありますので、英語が苦手な人でも大丈夫です(^^;)。

 avast!は長く使い続けたいのならば、簡単な個人情報の登録を求められますが、ZoneAlarmにはそれも必要ありません。

 インストールしてからしばらく使っていますけれども、大丈夫な雰囲気です。

 avast!の方は、頻繁にウイルスデータの定義ファイルを自動的にダウンロードしてくれていますし、ZoneAlarmの方は新しいプログラムがネット接続しようとすると必ず警告をしてくれます。一度、許可を出したものについては二度と尋ねてくるというようなこともありません。

 非常に快適に使えているばかりではなく、高いお金を出していたノートンというものにかなり問題があったこともいろいろと気が付きました。

 まず、ウィルスの定義ファイルを毎週のようにダウンロードさせられるのですが、ファイル全部を置き換えるシステムのようで、時間もかかるし電話接続などをしていたら何十分もかかってしまうというアホなシステムでした。avast!も頻繁に定義ファイルのダウンロードをするのですが、電話で接続していても数秒、LAN接続だと一瞬で終わってしまいます。追加分だけを配布しているということでしょう。こちらの方が、正しいやり方に決まっています。

 ノートンのチェックは万全だったのかもしれませんが、ウィルス・チェックやインターネット接続の許可に非常に時間がかかっていたこともわかりました。今となっては、とても我慢できることができないほどの時間を取られていたことがわかりました。

 どういうことなんでしょう。高いお金を取っているソフトが劣悪で、無料で配布しているソフトの方がはるかに軽快で使いやすいのです。

 コンピューターを使う人口が増えて、その分無知な人の割合が多くなってきて、そして一方ではウィルスやネットからの侵入が増加しているので、そのような人たちはついついお金で安全を買おうとしてしまうのはわかります。しかし、それにつけ込んだ商売をしている人たちってどういう根性なんでしょう。

 ウィルスを撒いているのは、アンチウィルスソフト会社だという冗談がささやかれていたこともありますが、今回フリーソフトを使ってみて、それって意外と冗談じゃないのかも、、、、と思わせられるものがありました。
# by stochinai | 2005-01-15 17:58 | コンピューター・ネット | Comments(0)

NHK問題とブログ

 札幌も久々に零下の気温を脱し最高気温がプラス1.3℃、春のような一日でした。そういえば、明日はもうセンター試験。春ももうすぐです。

 とは言っても、大学は今が卒業や入試のシーズンでもっとも忙しい時期で、春を待つ心の余裕も持てない毎日を過ごしております。また今年も、気が付いたら雪がめっきり減っていた、という春の迎え方をするものと思われます。

 そろそろ、生活を見直してこの悪循環を断ち切らねばならないと思いますので、それも、今年からの目標のひとつにすることにします。

 さて、ブログの世界では、昨日から急速にNHK問題が波紋を拡げています。

 あまりのエントリーの多さに辟易してしまい、とても全部を見て回ることなどできないのですが、逆にこれだけ多く出てくるというところを見ると、ブログというものは今回のような問題を扱うのに適したメディアであることが良くわかります。

 つまり、NHK問題を扱っているブログに書かれているのは、それぞれの著者の個人的意見なのです。

 それは、マスコミ(新聞や放送報道)と比べて見れば、一目瞭然です。マスコミのほうは、「事実」のみを探し回って「意見」というものは、通り一遍の建前が出てきているだけで、そんなことなら何十年か前の新聞にも書いてあるのです。NHKの体質もまさにこれですね。不偏不党・皆さまのNHKです。

 しかし、人々がジャーナリズムに求めているのは、ジャーナリストの血の通った意見であり、どこかの教科書に書いてあるような手あかの付いた「模範解答」ではないのではないかと思います。だから、だれもマスコミを相手にしなくなってきているのではないでしょうか。ネットが、新聞を殺そうとしています。

 ブログを見ていると、それこそ意見というものが発言している人の数だけあることがわかり、とてもおもしろいものです。それに対してマスコミでは、意見というものはひとつかふたつしかないかのごとく書かれることが多く、そんなものは読む必要がないと多くが人が感じている通りです。

 ただ、このブログの混雑をどのように扱ったら良いのか、という気持ちも一方ではあります。

 そういった中から、ブログのブログを作ろうという人が出てきているのだと思います。その考えや努力は評価しますが、読んでみるとそれとてブログのつまみ食いに過ぎないのではないかという気もしてきます。

 冷静に考えると、多くのブログはすでにブログのブログになっています。ブログというものが、もともとブログのブログとして機能するように作られているので、当然と言えば当然なのですが、このブログをどうやって使いこなして言ったらよいのか。今まさに、ブログ・リテラシーを確立しているくことこそが求められているのだと見えてきたような気がします。舌を噛みそうですが、まずは参加することでしょうか。
# by stochinai | 2005-01-15 00:34 | つぶやき | Comments(0)
 やはり、今日はこれを取り上げねばならないと思います。NHK番組改変問題 「会長了承していた」と告発者会見 です。

 4年も前のことが、なぜ今頃になって、と思うこともあるのですが、やはりNHKの内部腐敗に対する世間の風当たりが強くなってきている今という時期を選んだということなのでしょう。世の中が動きうるチャンスに働きかけがなされたということは、国民全員がこれに対してどういうスタンスをとるのかと問われていることでもあると思います。

 おそらく多くの人は、このニュースを聞いてやっぱりと思われたとお思いでしょうし、当の阿倍氏や中川氏が「事実と全く違う」と言っても、ほとんどの人はそれはあっただろうと思っていると思います。

 ただし、その後に大きく異なる意見があり得ると思います。それは、彼らがNHKへかけた圧力が正当であるあるいは正しいと思う人と、それはひどい間違っていると思う人です。

 前者のように思う人は、そのように主張すべきだと思います。それを、阿倍晋三さんのように「私がNHK側に圧力をかけたことは全くない」とか。中川昭一さんのように「当方から放送内容の変更や放送中止は一切言っていない」と言うのではなく、「圧力をかけて中止させたのは事実だが、それのどこが悪い」と言って欲しいのです。

 そして、反対の人(多くのマスコミは、内容が良い悪いの判断はしないままに、言論の弾圧は良くない、と形式的なことばかり言っている)は、本来放送されるべく作られていた内容と彼らの圧力のどちらが正しいのかということを議論して欲しいのです。

 どちらの立場の人も、民主主義と言論の自由を守ることに関しては異論がないというきれい事から出発し、だから言われているような事実があったとしたら悪いけれども、それがあったのかなかったのかというような議論になってしまうことが、もっとも不毛だと思います。

 そして、日本の政治論争やマスコミ報道はその不毛なことばかりをしているというのが現実だと思います。もう、いい加減にそんな優等生ぶった建前論争は止めませんか。意味ないです。

 ネットの上では、もう少し生産的な議論がされるようになってきています。現実の社会が非生産的で、ある意味でバーチャルなネット社会で本音の話がされているというのでは、あまりにも虚しいと思います。

 思想的に右でも左でも、自分たちと異なる意見がテレビに出たり、新聞に出たりするのは気分が悪いことは事実だと思います。だからもし、そういうことを阻止できる力を持っていたならば、その力を行使して番組を止めさせたり、記事を差し止めたりということはやる可能性はあるのだと思います。それは、右とか左とか関係なく人間の性のようなものではないでしょうか。

 もちろん、それはルール違反なのですが、今問題にすべきなのはそうしたルールの問題ではなく、なぜルール違反をしたのか、その根本にある考え方同士を闘わせるということなのだと思います。

 そろそろ、我々日本人も本当に意味のある議論を始めなければならないところまで来ていると思います。今回の問題を、日本が変わるきっかけにできるのかどうかという意味で、もっとも去就が問われているのが政府に継いで政治的権力を持っているいわゆる「野党」と呼ばれている人たちであるということを、本人達は自覚しているでしょうか。

 また、いつものように自分たちが正しいという主張だけをして、実際には政府のやりたい放題を許してしまうパフォーマンスを続けるのであるならば、国民はますます「政治」そのものを見放してしまうことでしょう。

 今回のような、きっちりと何かを変えることができるチャンスを生かせないようならば、私も日本における政治活動というものを見放すことになると思います。
# by stochinai | 2005-01-13 23:12 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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