2005年 10月 27日
インテリジェント・デザイン
CoSTEPの若手研究員である岡橋タッキーさんのブログが、だんだんと調子を上げてきているようです。
昨夜のエントリーは「インテリジェント・デザインは学校で教えられるべきか」というものですが、このインテリジェント・デザイン(ID)なるもの、日本人にはあまりなじみのない言葉および考え方です。冒頭に簡単な説明があります。
インテリジェント・デザインは、生命の起源をなんらかの知性(インテリジェント)をもったものが創ったと主張する考え方らしい。一般に進化論は通説のように考えられているが、アメリカではインテリジェント・デザインを学校で教えてもいいのか、ということで大激論になっている。
日本では想像もできないことですが、これをめぐって連邦裁判まで行われているそうです。
IDと言えば、私はいつも幻影随想さんの疑似科学・似非科学・トンデモカテゴリーで勉強させてもらっていたので知ってはいたのですが、生物学を専攻しているものとしては神の存在を前提とする生命論とは、まともに議論をする気分にはなれませんでした。
でまあ、そういうのもあるんだなあという程度でいつも横目で見ていたのですが、岡橋さんのブログで紹介されているフラーという人(岡橋さんの先生?)の考え方を見て、ちょっと目からウロコが落ちたので、ここに書き留めておきます。
「フラーの主張は、インテリジェント・デザインもひとつの科学的学説と認められるので、学校でも教えられるべきだ」と書いてありますが、岡橋さんによると彼の真意は「科学の営みのなかでもマイノリティ(この場合、インテリジェント・デザイン)を迫害してはならない、ということ」とのこと。これは、まったくその通りだと兜を脱がされた気分です。
たとえどんなにおかしいことを言っていても、少数派でも、相手が科学の枠組みで話をしようとしているのなら、科学者としては受けて立たなければならないということに聞こえます。岡橋さんの解説は素晴らしいです。
つまり、ここでフラーはインテリジェント・デザインが正しいから、それを擁護しているのではなく、むしろ、進化論もインテリジェント・デザインも「誤りうる」可能性がある科学的学説のひとつとして考えるべきだといっているのだと思う。その方が、議論が生まれ、新しい考え方や学説が生まれる可能性があるのではないかというワケだ(と思う)。
私は個人的には、進化論が正しくIDはアホな考えだとは思いますが、たとえそうでも論争が成立しているうちは、紳士的に議論をしなさいと諭されているような気がして、なんだか心が穏やかになれたような気がします。
科学史や科学哲学を研究している人って、仙人みたいな超越感があって素敵ですね。私なんかまだまだ、すぐ熱くなるし、喧嘩するし、、、、、。
これと直接の関係はないのですが、幻影随想さんのところに、ごくごく身近なところで起こっている私たちが考えるところのトンデモ科学関連の話題が載っていました。「水からの伝言札幌襲来」という話で、例の水に優しく話しかけるときれいな氷の結晶ができあがるという「説」を信じて広めようとしている人が札幌でイベントをやるということのようです。
まあ、低温科学研究所という雪の結晶では世界的な研究所がある北大の真ん前で、彼らの研究をまったく無視したような理論を広めるイベントがやられるのを黙って見逃していて良いのかという意見もあるようなのですが、上にあるフラーの考えを聞いてしまった後だと、「まあいいか」というような気分にもなる私でありました。
昨夜のエントリーは「インテリジェント・デザインは学校で教えられるべきか」というものですが、このインテリジェント・デザイン(ID)なるもの、日本人にはあまりなじみのない言葉および考え方です。冒頭に簡単な説明があります。
インテリジェント・デザインは、生命の起源をなんらかの知性(インテリジェント)をもったものが創ったと主張する考え方らしい。一般に進化論は通説のように考えられているが、アメリカではインテリジェント・デザインを学校で教えてもいいのか、ということで大激論になっている。
日本では想像もできないことですが、これをめぐって連邦裁判まで行われているそうです。
IDと言えば、私はいつも幻影随想さんの疑似科学・似非科学・トンデモカテゴリーで勉強させてもらっていたので知ってはいたのですが、生物学を専攻しているものとしては神の存在を前提とする生命論とは、まともに議論をする気分にはなれませんでした。
でまあ、そういうのもあるんだなあという程度でいつも横目で見ていたのですが、岡橋さんのブログで紹介されているフラーという人(岡橋さんの先生?)の考え方を見て、ちょっと目からウロコが落ちたので、ここに書き留めておきます。
「フラーの主張は、インテリジェント・デザインもひとつの科学的学説と認められるので、学校でも教えられるべきだ」と書いてありますが、岡橋さんによると彼の真意は「科学の営みのなかでもマイノリティ(この場合、インテリジェント・デザイン)を迫害してはならない、ということ」とのこと。これは、まったくその通りだと兜を脱がされた気分です。
たとえどんなにおかしいことを言っていても、少数派でも、相手が科学の枠組みで話をしようとしているのなら、科学者としては受けて立たなければならないということに聞こえます。岡橋さんの解説は素晴らしいです。
つまり、ここでフラーはインテリジェント・デザインが正しいから、それを擁護しているのではなく、むしろ、進化論もインテリジェント・デザインも「誤りうる」可能性がある科学的学説のひとつとして考えるべきだといっているのだと思う。その方が、議論が生まれ、新しい考え方や学説が生まれる可能性があるのではないかというワケだ(と思う)。
私は個人的には、進化論が正しくIDはアホな考えだとは思いますが、たとえそうでも論争が成立しているうちは、紳士的に議論をしなさいと諭されているような気がして、なんだか心が穏やかになれたような気がします。
科学史や科学哲学を研究している人って、仙人みたいな超越感があって素敵ですね。私なんかまだまだ、すぐ熱くなるし、喧嘩するし、、、、、。
これと直接の関係はないのですが、幻影随想さんのところに、ごくごく身近なところで起こっている私たちが考えるところのトンデモ科学関連の話題が載っていました。「水からの伝言札幌襲来」という話で、例の水に優しく話しかけるときれいな氷の結晶ができあがるという「説」を信じて広めようとしている人が札幌でイベントをやるということのようです。
まあ、低温科学研究所という雪の結晶では世界的な研究所がある北大の真ん前で、彼らの研究をまったく無視したような理論を広めるイベントがやられるのを黙って見逃していて良いのかという意見もあるようなのですが、上にあるフラーの考えを聞いてしまった後だと、「まあいいか」というような気分にもなる私でありました。
#
by stochinai
| 2005-10-27 16:55
| 教育
|
Comments(23)



