5号館を出て

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 CoSTEPの若手研究員である岡橋タッキーさんのブログが、だんだんと調子を上げてきているようです。

 昨夜のエントリーは「インテリジェント・デザインは学校で教えられるべきか」というものですが、このインテリジェント・デザイン(ID)なるもの、日本人にはあまりなじみのない言葉および考え方です。冒頭に簡単な説明があります。

インテリジェント・デザインは、生命の起源をなんらかの知性(インテリジェント)をもったものが創ったと主張する考え方らしい。一般に進化論は通説のように考えられているが、アメリカではインテリジェント・デザインを学校で教えてもいいのか、ということで大激論になっている。

 日本では想像もできないことですが、これをめぐって連邦裁判まで行われているそうです。

 IDと言えば、私はいつも幻影随想さん疑似科学・似非科学・トンデモカテゴリーで勉強させてもらっていたので知ってはいたのですが、生物学を専攻しているものとしては神の存在を前提とする生命論とは、まともに議論をする気分にはなれませんでした。

 でまあ、そういうのもあるんだなあという程度でいつも横目で見ていたのですが、岡橋さんのブログで紹介されているフラーという人(岡橋さんの先生?)の考え方を見て、ちょっと目からウロコが落ちたので、ここに書き留めておきます。

 「フラーの主張は、インテリジェント・デザインもひとつの科学的学説と認められるので、学校でも教えられるべきだ」と書いてありますが、岡橋さんによると彼の真意は「科学の営みのなかでもマイノリティ(この場合、インテリジェント・デザイン)を迫害してはならない、ということ」とのこと。これは、まったくその通りだと兜を脱がされた気分です。

 たとえどんなにおかしいことを言っていても、少数派でも、相手が科学の枠組みで話をしようとしているのなら、科学者としては受けて立たなければならないということに聞こえます。岡橋さんの解説は素晴らしいです。

つまり、ここでフラーはインテリジェント・デザインが正しいから、それを擁護しているのではなく、むしろ、進化論もインテリジェント・デザインも「誤りうる」可能性がある科学的学説のひとつとして考えるべきだといっているのだと思う。その方が、議論が生まれ、新しい考え方や学説が生まれる可能性があるのではないかというワケだ(と思う)。

 私は個人的には、進化論が正しくIDはアホな考えだとは思いますが、たとえそうでも論争が成立しているうちは、紳士的に議論をしなさいと諭されているような気がして、なんだか心が穏やかになれたような気がします。

 科学史や科学哲学を研究している人って、仙人みたいな超越感があって素敵ですね。私なんかまだまだ、すぐ熱くなるし、喧嘩するし、、、、、。

 これと直接の関係はないのですが、幻影随想さんのところに、ごくごく身近なところで起こっている私たちが考えるところのトンデモ科学関連の話題が載っていました。「水からの伝言札幌襲来」という話で、例の水に優しく話しかけるときれいな氷の結晶ができあがるという「説」を信じて広めようとしている人が札幌でイベントをやるということのようです。

 まあ、低温科学研究所という雪の結晶では世界的な研究所がある北大の真ん前で、彼らの研究をまったく無視したような理論を広めるイベントがやられるのを黙って見逃していて良いのかという意見もあるようなのですが、上にあるフラーの考えを聞いてしまった後だと、「まあいいか」というような気分にもなる私でありました。
# by stochinai | 2005-10-27 16:55 | 教育 | Comments(23)

サイエンスネットカフェ

 セキュリティ&コンサドーレ札幌さんのところで、「サイエンスネットカフェなんてどうかな?」というエントリーが立てられました。

 響きは良いですね。インターネットカフェとサイエンスカフェのハイブリッドのようにも聞こえますが、セキュリティ&コンサドーレ札幌さん(長いですね、sapporokoyaさんでいいのかな?)は、日本にはカフェの文化がないのでサイエンスカフェは定着しないのではないかという意見に対して、「じゃあ日本でそのような場がないかと考えてみると……あるじゃないですか、ネットの匿名掲示板が」とおっしゃいます。

 実は私も同じようなことを考えていて、ブログはサイエンスカフェになるんじゃないかと思っていたところなのですが、sapporokoyaさんのお考えはどうやらリアルタイムのカフェをネット中継しながら双方向で盛り上がろうというアイディアのようです。

 たとえば、発表する人はリアルタイムにキーボードを打ちながら画面や声で(TVとかラジオとかストリーミングとか)登場します。で、たとえば2chの実況板のようなノリの掲示板に、発表者自らが降臨。 発表の合間に、もし可能なら発表しながら、文字通り聴衆との双方向の対話が成立するかもしれません。

 これだと、確かに距離の壁は乗り越えられますが、時間の壁が立ちはだかります。私はせっかくネットでやるのだったら時間の壁も乗り越えるカフェをやりたいと思うのですが、どうでしょう。

 基調報告として、ブログエントリーやポッドキャスティングでテーマを発信して、それに対してコメントやトラックバックでちょっと息の長いカフェを開催できたらと思っています。

 ホンモノのサイエンスカフェやsapporokoyaさんのネットサイエンスカフェだと、時間や距離の制約で参加できないという人も、サイエンスブログカフェなら気軽に参加できるのではないでしょうか。

 魅力的な(コメントやトラックバックをたくさん誘発できる)サイエンスネタのエントリーが書けさえすれば、今すぐにでも始められますよね、サイエンスブログカフェ。

 ・・・・・

 ブログの性質上、仕方がないのかもしれませんが、最近ブログに欲しい機能として、読者の方からの問題提起に対する受け皿のことを考えています。

 ここを読みにいらしてくださっている皆さんの中には、私に対してあるいはここのブログという環境に対して、何かを投げ込んで反応を見てみたいと思われるテーマをお持ちの方がたくさんいらっしゃるのではないかと推測しています。だとするならば、そういう方から「お題」を頂いて私が宿題のようにエントリーを書き、それをもとにコメントやトラックバックでカフェしてみてもおもしろいかなあ、などと思っているのでした。

 どうでしょうか。
# by stochinai | 2005-10-26 21:02 | CoSTEP | Comments(3)

ブログ・エシックス

 「ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス」という本があります。レベッカ ブラッド (著), Rebecca Blood (原著), yomoyomo (翻訳)という翻訳本の原著はこちら

 とても真面目な本で、逆に言うとちょっと退屈な本なのですが、いちおう「ウェブログのバイブル」とまで呼ばれている本のようなので、ウェブログについて語る機会を持つことになった私は、お勉強のために買いました。しかし、なかなか読み進めないでおります。

 そんなおり、昨日たまたま読み進んだところに「ウェブログの倫理」(第6章 ウェブログのコミュニティとエチケット)というパートがあり、著者が考えるウェブログ倫理規定の最低ラインが6項目上げられているので、これは書き留めておきたいと思いました。

 そしてなぜか、このパートの原文がネットで公開されていますので、つたない訳とともに引用しておきたいと思います。

 1. Publish as fact only that which you believe to be true.

 自分で真実だと信じられることだけを「事実である」と書くこと。

 2. If material exists online, link to it when you reference it.

 ソースがウェブでアクセスできるところにあるのなら、引用する時にはかならずリンクを張っておくこと。

 3. Publicly correct any misinformation.

 もしも間違いを書いてしまったのなら、オープンな場で訂正すること。

 4. Write each entry as if it could not be changed; add to, but do not rewrite or delete, any entry.

 どんなエントリーも変更できないかのような形にしておくこと(実際は書き換えが可能なので、あたかも変えることができないので、こういうふうに訂正を加えましたという「形」にしておきなさいということ)。つまり一度書いたエントリーを、訂正したり、削除したりすることなく、「加筆」という形でバージョンアップすること。

 5. Disclose any conflict of interest.

 自分自身が利害関係をもっていることに関することを書く時には、かならずその件(株をもっているとか、原稿料をもらっているとか、雇われているとか、、、)を明らかにした上でエントリーを書くこと。

 6. Note questionable and biased sources.

 情報源に関して、問題がありそうだったり、特別な思想・指向を持っていることがわかっているのならば、その件についても必ず言及した上で、情報を転載すること。たとえ自分としては情報の内容は大丈夫だと思っても、一般的に知られていない情報源からの引用の際には、情報源に関するコメントも付けておかないと、後で情報の「隠蔽」を非難されることになるかもしれません。

 4,5,6については、ついつい破ったり、忘れたりしていることがありました。今後は気を付けたいと思います。

 訂正も消して直すのではなく、取り消し線を使っているブログがあるのはそういうことだったのかと、いまさらになって納得したりしています。

 まだまだ修行が足りません。
# by stochinai | 2005-10-26 17:40 | コンピューター・ネット | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai