5号館を出て

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 やはり、今日はこれを取り上げねばならないと思います。NHK番組改変問題 「会長了承していた」と告発者会見 です。

 4年も前のことが、なぜ今頃になって、と思うこともあるのですが、やはりNHKの内部腐敗に対する世間の風当たりが強くなってきている今という時期を選んだということなのでしょう。世の中が動きうるチャンスに働きかけがなされたということは、国民全員がこれに対してどういうスタンスをとるのかと問われていることでもあると思います。

 おそらく多くの人は、このニュースを聞いてやっぱりと思われたとお思いでしょうし、当の阿倍氏や中川氏が「事実と全く違う」と言っても、ほとんどの人はそれはあっただろうと思っていると思います。

 ただし、その後に大きく異なる意見があり得ると思います。それは、彼らがNHKへかけた圧力が正当であるあるいは正しいと思う人と、それはひどい間違っていると思う人です。

 前者のように思う人は、そのように主張すべきだと思います。それを、阿倍晋三さんのように「私がNHK側に圧力をかけたことは全くない」とか。中川昭一さんのように「当方から放送内容の変更や放送中止は一切言っていない」と言うのではなく、「圧力をかけて中止させたのは事実だが、それのどこが悪い」と言って欲しいのです。

 そして、反対の人(多くのマスコミは、内容が良い悪いの判断はしないままに、言論の弾圧は良くない、と形式的なことばかり言っている)は、本来放送されるべく作られていた内容と彼らの圧力のどちらが正しいのかということを議論して欲しいのです。

 どちらの立場の人も、民主主義と言論の自由を守ることに関しては異論がないというきれい事から出発し、だから言われているような事実があったとしたら悪いけれども、それがあったのかなかったのかというような議論になってしまうことが、もっとも不毛だと思います。

 そして、日本の政治論争やマスコミ報道はその不毛なことばかりをしているというのが現実だと思います。もう、いい加減にそんな優等生ぶった建前論争は止めませんか。意味ないです。

 ネットの上では、もう少し生産的な議論がされるようになってきています。現実の社会が非生産的で、ある意味でバーチャルなネット社会で本音の話がされているというのでは、あまりにも虚しいと思います。

 思想的に右でも左でも、自分たちと異なる意見がテレビに出たり、新聞に出たりするのは気分が悪いことは事実だと思います。だからもし、そういうことを阻止できる力を持っていたならば、その力を行使して番組を止めさせたり、記事を差し止めたりということはやる可能性はあるのだと思います。それは、右とか左とか関係なく人間の性のようなものではないでしょうか。

 もちろん、それはルール違反なのですが、今問題にすべきなのはそうしたルールの問題ではなく、なぜルール違反をしたのか、その根本にある考え方同士を闘わせるということなのだと思います。

 そろそろ、我々日本人も本当に意味のある議論を始めなければならないところまで来ていると思います。今回の問題を、日本が変わるきっかけにできるのかどうかという意味で、もっとも去就が問われているのが政府に継いで政治的権力を持っているいわゆる「野党」と呼ばれている人たちであるということを、本人達は自覚しているでしょうか。

 また、いつものように自分たちが正しいという主張だけをして、実際には政府のやりたい放題を許してしまうパフォーマンスを続けるのであるならば、国民はますます「政治」そのものを見放してしまうことでしょう。

 今回のような、きっちりと何かを変えることができるチャンスを生かせないようならば、私も日本における政治活動というものを見放すことになると思います。
# by stochinai | 2005-01-13 23:12 | つぶやき | Comments(0)

記者ブログ

 マスコミ関係、それも専門家である記者の方のブログが急増中のようです。どういうことなんでしょう。

 ネットは新聞を殺すのかblogという、そのものズバリのタイトルから現場の記者の気持ちが伝わってくるようなブログの今日のエントリーが、記者ブログを始める人、やめる人です。

 最後の大物というわけでもないのでしょうが、北海道新聞の記者で例の道警の裏金問題を追いつめた高田さんという方が、昨年の暮れに札幌から ニュースの現場で考えることというブログを始めたのは、記者仲間の方にも衝撃だったのかもしれません。

 その登場の日に、やはり記者ブログのひとつガ島通信に、注目の記者ブログとして、興奮気味に素早いレスポンスが書かれています。

 高田さんは、開設の辞このブログのことで「真面目な記者であればあるほど、既存メディアへの絶望感を深めていく。報道の現場は最近、そんな感じがますます強まっています」と、実に素直に記者としての現在の心境を語っておられます。

 我々から見ても新聞やマスコミの凋落ぶりは目に余るものがありますので、新聞記者のようなしっかりとしたものを見る目を持っているはずの人ならば、たとえ内部にいたとしてもその状況に甘んじているわけにはいかなくなってきているということだと思います。

 最終的には、私が書評『メディアが市民の敵になる』書評~さようなら読売新聞で書いた山口さんのように、新聞記者を辞めてしまうかもしれませんが、その直前の段階として会社とは独立に記者達がウェブ上で発言し始めたことを歓迎したいと思います。

 たとえ腐っているとはしても、新聞社という組織の中にいることでさまざまの一次情報に接する機会は圧倒的に多いはずです。そのような状況の中、たとえ新聞には書けなくてもブログで発表してくれることがあるなら、新聞には期待できない状況がきても新聞社に金を払い続けて(新聞を取り続けて)やっても良い気がしてきます。

 しかし逆にいうと、新聞に載せられないようなことを発表されるわけですから、新聞社としては困ったり弾圧したりすることもあるかもしれません。しかし、闇から闇に葬られるわけではなく、そうした内部における弾圧すらも発表するブログという窓が開いたとも言えるわけで、記者にとってもある意味での身を守る安全装置として機能する可能性も否定できません。(もちろん、逆のケースも大いに想像されます。)

 一方では年明け早々、ある報道記者のブログが閉鎖に追い込まれるという事件もあったようです。ただし、こちら(「大津波被災と自己責任論」関連リンク集をご覧下さい)は、会社からの圧力ではなくブログ上での論争(混乱)のあげくに、自ら止めてしまったということのようです。

 残念なことに、こちらの方も北海道の某放送局の記者だったようで、報道記者とはいえ、それまでのマスコミとはまったくルールやリテラシーの違うブログの世界で失敗し、撤退を余儀なくされてしまったということなのかもしれません。再起を待ちたいと思います。

 しかしたとえ何があっても、この先ネットは間違いなくジャーナリズムの大きな比率を占めて行くことは止まらないと思います。

 Show must go on 志ある者達の参加によって、今年もウェブの世界はものすごいスピードで回り続けそうです。
# by stochinai | 2005-01-12 21:50 | つぶやき | Comments(0)

ノロウイルス

 「ノロウイルス」とローマ字入力して最初に出たのが「呪う居留守」と出てしまいました。本当にノロウイルスは呪われた恐怖の疫病なのでしょうか。

 広島県の特別養護老人ホームでの老人集団死亡事件の調査の中で、発症した入所者と職員からノロウイルスが検出されて、どうやら集団死亡の原因がそれらしいということになるや、日本中でノロウイルスが検出され大騒ぎになっています。

 北海道では、去年くらいから冬になるとはやる「お腹に来る風邪」というのが、実はノロウイルスによるものであるということが知れ渡っておりまして、冬にはごく普通に見られる軽い症状の感染症であると言われてきました。

 つまり、それは普通の風邪と同じウイルスによる感染症で、下痢や吐き気を訴えて苦しいものではあるけれども、まさか死に至るものだという感覚はまったくと言って良いほどありませんでした。

 確かに老人や乳幼児は、普通の風邪やインフルエンザでも重篤な症状になることがあり、風邪と言ってもバカにしてはいけないと言われてはいましたが、昨日今日のニュースでは、老人がノロウイルスに感染されるとかなりの確率で死んでしまうと思わせるような報道がなされているように聞こえます。

 報道の皆さん、少し冷静になってください。

 もちろん、全国の高齢者施設でノロウイルスが原因と見られる感染性胃腸炎が蔓延しており、あちこちでお年寄りが亡くなっているのは事実かもしれません。

 しかし、まずはノロウイルス感染が今年になっていきなり増加したのかどうかの検討が必要です。上にも書いたように、昔から「お腹に来る風邪」というものがはやることは何度もあったはずで、その頃のものも単に特定されていなかっただけで、実はノロウイルスだったということはないのでしょうか。

 それと、もう一点。ちょっと不謹慎な発言になることを許していただきたいのですが、かなりご高齢のお年寄りは昔から冬になると単なる「風邪」が原因で亡くなられるケースがままあったと思います。

 そう考えると、そうした高齢の方がたくさん入っておられる高齢者施設で、冬になると亡くなられる方がある数増えるのは、大事件ではないかもしれません。

 特定の施設で7人も相次いで亡くなったということは事件かもしれませんが、その原因はノロウイルスであるというよりも、その施設におけるご老人の扱い方のほうにあったと考える方が自然ではないでしょうか。

 もちろん、今年のノロウイルスが昔のものよりも毒性が高くなっており危険であるという可能性は捨て切れませんが、私にはどうも必要以上のフレームアップに見えて仕方がありません。

 この冬は、昨年のようにSARSやトリインフルエンザで事件が起こらないので、その代わりに恐ろしげな名前を持つノロウイルスをターゲットにしてマスコミが騒ごうとしているように思えるのですが、考えすぎでしょうか。
# by stochinai | 2005-01-11 23:09 | 生物学 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai