2006年 04月 27日
臓器移植というパンドラの箱 (4/29, 5/2追記あり)
海外で臓器移植手術を受ける日本人が増加しているというニュースを受けて、23日に「移植臓器の売買はどうしていけないのか」というエントリーを書きました。たくさんのコメントといつくかのトラックバックをいただき、この件(移植医療)についてはまだ決着がついていないという感を強くしました。
日本国内で脳死者からの移植は完全に合法的ですし、すべてが国の管理下にありますので、臓器売買とか、不当な高額医療費の請求とか、移植を受ける患者の不当な選別や貧富の差だけによる移植拒否などは基本的にはないだろうと信じています。しかし、法律が施行されてから10年近くも経つのに臓器を提供した脳死者の数が41件にとどまっているのは、この法律が国民に支持されていないことを示しているのではないかと感じたことが、あのエントリーを書くきっかけでした。
もともと私は生物学を研究していて、その中でも発生学や免疫学(といっても、扱ってきた動物は主にカエルでした)を中心に研究してきました。そして、到達した結論のひとつがヒトを含む動物は生物学的に臓器移植を拒否するようにできているということです。植物では種を越えて接ぎ木をしたりすることも可能ですので、ちょっと事情がちがうかもしれませんが、動物はそのからだのなかに他の種はもとより、他個体の細胞が入ることを拒否するしくみを持っています。
今日は、そのことについて書いてみたいと思います。
地球上に我々の先祖となる生命体が生まれてから、30数億年たつと言われています。その間にたくさんの生物が絶滅していますが、地球上のすべての生命が滅び去ってまた新しい生命が誕生したとは考えられていません。つまり、現在地球上にいる我々ヒトを含めたすべての生物は、生殖し進化してできた最初の生命体(細胞)の子孫ということになります。我々の先祖をたどっていくと、30数億年間一度たりとも死んだことがないからこそ、我々が今ここにいるのです。
つまり、生命は生きた状態を続ける生命としてしか連続できないのです。
基本的に有性生殖するあらゆる動物は卵から発生します。卵はメスが作りますが、オスの作る精子によって受精することで発生を開始します。受精卵はメス由来の遺伝子(ゲノム)とオス由来の遺伝子を1セットずつ持った、たったひとつの生きた細胞です。もちろん、その前の卵も精子も生きた細胞です。受精卵はその後、細胞分裂を繰り返して、胚とよばれる時期をへて、だんだんと大人の形になっていきます。これが発生です。我々を含めてほとんどすべての動物は「個体」という単位で生きていますが、個体を作っているすべての細胞はたって1つの受精卵が分裂してできた子孫の細胞です。別の言い方をすると、我々のからだを作っている細胞はすべてが受精卵に由来するクローン細胞だということです。
生物は子孫を作らなければ死に絶えてしまいます。子孫を作る細胞は卵や精子という生殖細胞です。我々が卵や精子を作って次世代の子どもを作ることだけが、生命が存続する手段というわけです。しかし、たとえ卵や精子が受精卵となり、次世代の子どもとして生き延びたとしても我々のからだは一代限りで死んでしまいます。運良く子どもとなって生き延びた、1個ないし数個の細胞以外の細胞は死に絶えてしまうのです。
我々のからだを作っているすべての細胞が死に絶えた(つまり我々が死んだ)としても、その細胞と同じ遺伝子を持ったクローンの生殖細胞から卵または精子が作られますので、我々が死んだとしてもその遺伝子は次の世代へと受け渡されるのです。
このように、生物学的あるいは進化学的に考えると、我々のからだは生殖細胞を通じて次世代へ遺伝子を受け渡していくための乗り物にすぎないと考えることもできます。その乗り物は自分が死んでも、自分の遺伝子を次世代に伝えてくれるクローンの生殖細胞を大切に保護し、子孫を作ることで自分の持っている遺伝子を残すことができるのです。
ミツバチの働きバチが子どもを生まずに女王の生んだ卵を育てる場合も、女王蜂の生んだ卵には働きバチの持っているものと同じ遺伝子が受け継がれるのと同じような状況だと考えることができます。
いずれの場合も、一代限りで死んでしまうからだを作る細胞や子どもを生まない働きバチが自分を犠牲にしているように見えても、実は自分の遺伝子を次世代に残すという生物(生命)の連続性を保証するという目的は達成できているのです。
ところが、もしもからだを作る細胞と生殖細胞がクローン同士でなかったらどうなるでしょう。犠牲的に働いたからだの細胞の遺伝子は次世代に受け継がれず、そこで生命の連鎖が絶たれてしまうことになります。
そうしたことを防ぐために、動物はそのからだを構成する細胞のすべてを受精卵に由来するクローン細胞だけで作り、そこによそものの細胞が入ってくるのを防ぐしくみを持っています。そうした働きを担っているもののひとつが「免疫」だと考えることができると、私は思っています。
移植医療を行う時にみられる免疫による拒絶反応は、もともとはこうしたからだを構成するすべての細胞のクローン性(正統性?)を保証するための正常な反応です。つまり、生殖細胞とことなる遺伝子(ゲノム)を持つ細胞を移植されることを動物は拒否するのです。
しかし科学の発展によって、ゲノムの型を合わせたることで免疫反応をだましたり、薬剤によって免疫のしくみを抑制し拒絶反応を抑えることができるようになってきました。生物学的・進化学的にみてどうあれ、臓器移植によって個々人を延命することができる技術を医学が開発してしまったのです。実際に延命を望む人あるいはその家族にとって、そうした技術にすがりたくなるのは当たり前のことだと思います。
私は生物学者としては、移植手術の生物学的無意味さや反自然性を説くことはできますが、実際に移植以外では救えない患者さんを前にして何が言えるのだろうと思います。
医療技術が開いてしまったパンドラの箱としての移植医療と、それに付随して起こっている様々なケースについて考えるたびに、手にしてしまった技術の罪深さを感じずにはいられません。
#前のエントリーにトラックバックをくれた皆さんに、トラックバックを送らせていただきます。
移植臓器の売買は人身売買
海外で臓器移植、法施行後522人(厚労省)臓器売買も?
医者はなぜ諦めないのか
【追記】
コメント欄にありますが、47thさんのブログサイトにノーベル賞を受賞した経済学者による移植臓器売買論についての紹介記事があります。
Beckerが語る臓器移植論 (1) [ 2006年04月29日 ]
本気で臓器売買を肯定するというよりは、思考実験することにより議論を整理したいという趣旨だと思います。今回の私の問題提起も同じような気持ちから出発しています。
続編もあるようなので楽しみにしたいと思います。
続編が出ております。
Beckerが語る臓器移植論 (2) [ 2006年04月29日 ]
Beckerが語る臓器移植論 (3・完) [ 2006年05月01日 ]
さなえさんが臓器移植に対して、続々とエントリーを重ねておられます。ある意味では「頑固」と思えるまでに「こころ」の問題にこだわるさなえさんの立場は、こういう論争においてとても貴重だと思いますし、合理的ではないという理由で切り捨てることこそ間違っていると思います。私とは意見が違う部分もあるのですが、さなえさんに敬意を表してここにエントリーをまとめてリンクさせていただきます。
2006年04月25日 医者はなぜ諦めないのか
2006年04月29日 臓器移植について
2006年05月01日 通りすがりさんへのコメント-臓器移植について
2006年05月02日 さらに臓器移植について
ついでと言ってはなんですが、三余亭さんのところにも重要なエントリーがたくさんありますので、ここでまとめてリンクさせていただきます。
移植臓器の売買は人身売買
移植臓器の売買は人身売買 その2
「息子の腎臓を2000万円で売った」といううわさが立った
「再開された臓器売買をめぐる論争」という論文。
日本国内で脳死者からの移植は完全に合法的ですし、すべてが国の管理下にありますので、臓器売買とか、不当な高額医療費の請求とか、移植を受ける患者の不当な選別や貧富の差だけによる移植拒否などは基本的にはないだろうと信じています。しかし、法律が施行されてから10年近くも経つのに臓器を提供した脳死者の数が41件にとどまっているのは、この法律が国民に支持されていないことを示しているのではないかと感じたことが、あのエントリーを書くきっかけでした。
もともと私は生物学を研究していて、その中でも発生学や免疫学(といっても、扱ってきた動物は主にカエルでした)を中心に研究してきました。そして、到達した結論のひとつがヒトを含む動物は生物学的に臓器移植を拒否するようにできているということです。植物では種を越えて接ぎ木をしたりすることも可能ですので、ちょっと事情がちがうかもしれませんが、動物はそのからだのなかに他の種はもとより、他個体の細胞が入ることを拒否するしくみを持っています。
今日は、そのことについて書いてみたいと思います。
地球上に我々の先祖となる生命体が生まれてから、30数億年たつと言われています。その間にたくさんの生物が絶滅していますが、地球上のすべての生命が滅び去ってまた新しい生命が誕生したとは考えられていません。つまり、現在地球上にいる我々ヒトを含めたすべての生物は、生殖し進化してできた最初の生命体(細胞)の子孫ということになります。我々の先祖をたどっていくと、30数億年間一度たりとも死んだことがないからこそ、我々が今ここにいるのです。
つまり、生命は生きた状態を続ける生命としてしか連続できないのです。
基本的に有性生殖するあらゆる動物は卵から発生します。卵はメスが作りますが、オスの作る精子によって受精することで発生を開始します。受精卵はメス由来の遺伝子(ゲノム)とオス由来の遺伝子を1セットずつ持った、たったひとつの生きた細胞です。もちろん、その前の卵も精子も生きた細胞です。受精卵はその後、細胞分裂を繰り返して、胚とよばれる時期をへて、だんだんと大人の形になっていきます。これが発生です。我々を含めてほとんどすべての動物は「個体」という単位で生きていますが、個体を作っているすべての細胞はたって1つの受精卵が分裂してできた子孫の細胞です。別の言い方をすると、我々のからだを作っている細胞はすべてが受精卵に由来するクローン細胞だということです。
生物は子孫を作らなければ死に絶えてしまいます。子孫を作る細胞は卵や精子という生殖細胞です。我々が卵や精子を作って次世代の子どもを作ることだけが、生命が存続する手段というわけです。しかし、たとえ卵や精子が受精卵となり、次世代の子どもとして生き延びたとしても我々のからだは一代限りで死んでしまいます。運良く子どもとなって生き延びた、1個ないし数個の細胞以外の細胞は死に絶えてしまうのです。
我々のからだを作っているすべての細胞が死に絶えた(つまり我々が死んだ)としても、その細胞と同じ遺伝子を持ったクローンの生殖細胞から卵または精子が作られますので、我々が死んだとしてもその遺伝子は次の世代へと受け渡されるのです。
このように、生物学的あるいは進化学的に考えると、我々のからだは生殖細胞を通じて次世代へ遺伝子を受け渡していくための乗り物にすぎないと考えることもできます。その乗り物は自分が死んでも、自分の遺伝子を次世代に伝えてくれるクローンの生殖細胞を大切に保護し、子孫を作ることで自分の持っている遺伝子を残すことができるのです。
ミツバチの働きバチが子どもを生まずに女王の生んだ卵を育てる場合も、女王蜂の生んだ卵には働きバチの持っているものと同じ遺伝子が受け継がれるのと同じような状況だと考えることができます。
いずれの場合も、一代限りで死んでしまうからだを作る細胞や子どもを生まない働きバチが自分を犠牲にしているように見えても、実は自分の遺伝子を次世代に残すという生物(生命)の連続性を保証するという目的は達成できているのです。
ところが、もしもからだを作る細胞と生殖細胞がクローン同士でなかったらどうなるでしょう。犠牲的に働いたからだの細胞の遺伝子は次世代に受け継がれず、そこで生命の連鎖が絶たれてしまうことになります。
そうしたことを防ぐために、動物はそのからだを構成する細胞のすべてを受精卵に由来するクローン細胞だけで作り、そこによそものの細胞が入ってくるのを防ぐしくみを持っています。そうした働きを担っているもののひとつが「免疫」だと考えることができると、私は思っています。
移植医療を行う時にみられる免疫による拒絶反応は、もともとはこうしたからだを構成するすべての細胞のクローン性(正統性?)を保証するための正常な反応です。つまり、生殖細胞とことなる遺伝子(ゲノム)を持つ細胞を移植されることを動物は拒否するのです。
しかし科学の発展によって、ゲノムの型を合わせたることで免疫反応をだましたり、薬剤によって免疫のしくみを抑制し拒絶反応を抑えることができるようになってきました。生物学的・進化学的にみてどうあれ、臓器移植によって個々人を延命することができる技術を医学が開発してしまったのです。実際に延命を望む人あるいはその家族にとって、そうした技術にすがりたくなるのは当たり前のことだと思います。
私は生物学者としては、移植手術の生物学的無意味さや反自然性を説くことはできますが、実際に移植以外では救えない患者さんを前にして何が言えるのだろうと思います。
医療技術が開いてしまったパンドラの箱としての移植医療と、それに付随して起こっている様々なケースについて考えるたびに、手にしてしまった技術の罪深さを感じずにはいられません。
#前のエントリーにトラックバックをくれた皆さんに、トラックバックを送らせていただきます。
移植臓器の売買は人身売買
海外で臓器移植、法施行後522人(厚労省)臓器売買も?
医者はなぜ諦めないのか
【追記】
コメント欄にありますが、47thさんのブログサイトにノーベル賞を受賞した経済学者による移植臓器売買論についての紹介記事があります。
Beckerが語る臓器移植論 (1) [ 2006年04月29日 ]
本気で臓器売買を肯定するというよりは、思考実験することにより議論を整理したいという趣旨だと思います。今回の私の問題提起も同じような気持ちから出発しています。
続編もあるようなので楽しみにしたいと思います。
続編が出ております。
Beckerが語る臓器移植論 (2) [ 2006年04月29日 ]
Beckerが語る臓器移植論 (3・完) [ 2006年05月01日 ]
さなえさんが臓器移植に対して、続々とエントリーを重ねておられます。ある意味では「頑固」と思えるまでに「こころ」の問題にこだわるさなえさんの立場は、こういう論争においてとても貴重だと思いますし、合理的ではないという理由で切り捨てることこそ間違っていると思います。私とは意見が違う部分もあるのですが、さなえさんに敬意を表してここにエントリーをまとめてリンクさせていただきます。
2006年04月25日 医者はなぜ諦めないのか
2006年04月29日 臓器移植について
2006年05月01日 通りすがりさんへのコメント-臓器移植について
2006年05月02日 さらに臓器移植について
ついでと言ってはなんですが、三余亭さんのところにも重要なエントリーがたくさんありますので、ここでまとめてリンクさせていただきます。
移植臓器の売買は人身売買
移植臓器の売買は人身売買 その2
「息子の腎臓を2000万円で売った」といううわさが立った
「再開された臓器売買をめぐる論争」という論文。
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by stochinai
| 2006-04-27 21:33
| 生物学
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