5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

ゆく年くる年

 大晦日です。明日からは、2005年が始まります。人間が勝手に決めたカレンダーの区切りが改まるだけなのですが、今日で1年が終わり、明日から新しい1年が始まると言われると、なんとなく今年1年はどんな年だったのだろうと振り返る気分になるのが不思議です。

 しかし、振り返って思い出せることは1ヶ月か2ヶ月くらい前までのことで、それより前のことは今年のことなのか、去年のことなのか、それよりもずっと前のことなのかがはっきりしないようです。

 これは、単に私の記憶力に問題があるということなのかもしれませんが、人間の頭が別にカレンダーと連動して動いているわけではない以上、こんなもので良いのではないかと思っています。つまり私にとって、3ヶ月以上前の過去は、今年であろうがそれ以前であろうが、単なる過去としてまとめてしまわれているということです。

 そんなトリアタマ(来年の干支の酉は三歩歩くとモノを忘れると言います)の私ではありますが、振り返ってみるとこの「つぶやき 新シリーズ」が始まったのが、今年の2月21日でした。いつまで続くか、と自分でも思っていたのですが気が付いてみると、ほぼ毎日書き続けて今日までたどり着いております。

 新しもの好きではありますが、飽きっぽい私としては良くもこんなに続いたものだと、自分でも感心しております。どうせ続いたのですから、1周年記念日までは書き続けてみたいと思っております。書き続けて記録が残るということは、恥ずかしいことでもあるのですが、自分の発言に責任を持つという意味ではなかなか優れたやり方だとは思っています。

 もちろん、間違ったことを書いてもそれがずっと残ってしまいますが、逆に「それは違うよ」という指摘を受けることで、訂正することもできます。タイミング良く、アメリカにいる友人から「誤用納め」というタイトルのメールを頂きました。

 「ところで、11/23の『つぶやき』に "確信犯"という言葉が出て来て、連絡しようとしてそのまま忘れてしまったんですが、再度、12/25にも出て来たので、思い出して連絡している次第です」とのこと。それは誤用だというのです。ありゃりゃ。

 goo辞書によると、確信犯とは「道徳的・宗教的・政治的な信念に基づき、自らの行為を正しいと信じてなされる犯罪。思想犯・政治犯・国事犯など」を指すということです。

 私が引用した「確信犯」は、雑酒をビール並みに課税しようとした学者のI氏と、論文データをねつ造した研究者達でした。

 確かに、彼らの行動は崇高な理念に基づいて行動している政治犯に比較するとあまりにもみみっちく、それを確信犯などというと、命をかけて人々のために闘っているミャンマーの星・アウンサンスーチーさんなどに申し訳なくなります。

 犯罪を行う人間の多くは、自分が犯罪を犯していることを自覚しているものだと思います。もちろん、私が使っていた「確信犯」という言葉には、悪いことをやるのだと思いながらも犯罪を犯す人間までは含んでいませんでした。私が使ったケースでは、行為としては犯罪的なものかも知れないが、自分には理があり行うことは罪悪ではなくむしろ正義であるという立場で行う「犯罪(法律に反する行為)」を指していたつもりです。

 そういう意味では、「認識犯」とか「意識犯」、「信念犯」(どれも美しくない言葉ですが)のような言葉を使うべきだったと反省しております。

 日頃から、美しい日本語を守らなくちゃと言っていながら、自分から誤用を連発していてはいけませんね。今後とも、いろいろとご指摘をいただけるとありがたいところです。

 というわけで、今年は「誤用納め」で年を締めくくることができましたので、良い大晦日になったと思います。また、明日から心機一転、ぶちぶちとつぶやきを続けていきたいと思います。

 どなたさまも、良いお年をお迎え下さい。
# by stochinai | 2004-12-31 23:49 | つぶやき | Comments(0)

犯人逮捕

 ついに、奈良の小学生誘拐殺人事件の容疑者が逮捕されたようです。少なくとも警察発表によれば、殺された少女の携帯電話やランドセルが容疑者の自室から出てきたということですので、間違いはなさそうに思われます。

 事件から約1ヶ月半の逮捕ですから、最近の逮捕率の低さを考えると快挙と言えるのかもしれません。

 しかしながら、記者会見した奈良県警の刑事部長さんがうれしそうにニヤニヤしながら発表していたのは、ちょっといただけなかったと思います。本音として、嬉しい気持ちがあってもそれはそれで無理はないと思うのですが、昨今のように警察への風当たりが強い状況の下では、もう少しきちんとポーカーフェイスを作ることの出来る人をスポークスマンに立てておかないと、そのうちバッシングに遭いそうな気がします。

 それにしても、今回の事件は警察にとっては練習問題のように簡単なケースだったのではないでしょうか。

 特に、2回目の連絡「次は妹だ」というメールが、同じ少女の携帯を使って発せられ、しかもおおよその場所まで特定されていました。そのニュースを聞いた時に、私は犯人が逮捕されたがっていると思ったほどです。

 場所を移動しない犯人が、敢えて証拠を残すような形で、何度も連絡してくる。警察としては、当然連絡の可能性を考えて待ちかまえていたはずですし、場合によってはリアルタイムで犯人の追跡をしていたかもしれないと思っています。

 さらには、犯人は同様の幼女をいたずらした事件で逮捕歴が2回もある人間でした。当然のことながら警察は、前科者しかも特殊な犯罪歴を持っていて、この地域に住む人間のチェックもしていたはずです。

 初犯の場合は難しいと思いますが、今回は本当に絵に描いたような再犯で、しかも異様なほどに警察に対する警戒がありませんでした。警察をバカにしての行動でなければ、やはり逮捕されたくて取ったとしか思われない行動を繰り返していたように思われます。

 他の犯罪の場合と違い、幼女に対する犯罪は精神異常が背景にあることが考えられ、再犯の可能性もきわめて高いことが予想されます。

 そうだとするならば、犯行が起こってから犯人を逮捕したのでは、(もちろん逮捕できないよりはマシでしょうが)ちょっと遅すぎると言えないでしょうか。

 少なくとも変態的犯罪の前科を持っている人間は、定期的に監視するくらいのことをやっても良いと思われます。

 もちろん人権的な問題がありますので、その人の社会復帰を妨げるほど過剰になってはいけないと思いますが、再度の犯罪を防止することは犯人のためにもなることですし、もちろん犠牲者を作らないという意味では検討に価するのではないかと思います。

 警察もいろいろと忙しいのはわかりますが、道警の裏金事件に代表されるように警察の信頼も地に落ちて来ていますので、今度は警察の側から市民の信頼を得るような、素晴らしいアクションが起こされることが期待されています。

 犯人を捕まえるより、犯罪を防止する警察になって欲しいものです。
# by stochinai | 2004-12-30 00:00 | つぶやき | Comments(0)
 いよいよ歳も押し迫ってきました。

 遅れに遅れたのですが、年明けまで持ち越すこともできないので、書評を書きました。インターネット新聞JANJANに載る前に、こちらで発表します。

-----------------------

『食べものと農業はおカネだけでは測れない』書評

 農業の危機を我々のいのちの危機と認識しよう

-----------------------

 力作である。日本における食糧政策の歴史と、我々が置かれている食べ物を巡る状況が良く整理されている。読み終わってみると、自ずと我々のとるべき道が見えてくる。ただし、政府や巨大資本も同じ意見を持つかどうかは保証の限りではない。

 タイトルを見るだけで、おおよその内容が推測できる本ではあるが、9ページという比較的長めのプロローグがとても良く書かれていて、ある意味でこの本のすべてがその中に凝縮されている。そのため、プロローグを読むことで、敢えてこの本を買って読まなくても良いと思う人と、本を手に入れてより詳しくその解析と提案を読んでみたいと思う人に分かれるのではないかと思った。

 私は後者であった。

 本というものは、普通は書店へ出かけて手に取り、装丁を鑑賞し、前書きと後書きを中心にパラパラと拾い読みした後に、購入するかどうかを決める。しかし、今はネット時代。わざわざ書店に赴かなくても気に入った本を見つけることができれば、購入したいという人も多いと思う。

 そこでちょっと思ったのだが、こういうプロローグは全文をネットで公開してみてはどうだろう。それを読むだけで満足して買わないと言う人もいるだろうが、そういう人は書店でこの本を手にしても買わないだろう。逆に、ネット上でそのプロローグに出会い、購入してくれる人も多いのではないだろうか。すでに詳しい目次は公開されているのだが、目次では著者の文体などは伝わってこないので、購入の決め手にはなりにくいだろう。商売を離れても、著者の主張が世界に公開される意義も大きい。

 農業研究者である著者は「人間は他の生き物(のいのちの産物)を食べることによって、自らのいのちを継続してきた」という生物学的視点を見失わない。ヒトの命の危険に直結する高病原性トリインフルエンザ、BSE(狂牛病)、O-157、抗生物質耐性菌問題などが次々と起こっている現状を、科学技術による食べものの人工改造によって、食べもの自体が危険なものになるという人類未曾有の「食の危機・第三ステージ」に入ったと、著者は警告する。

 そうした状況を引き起こしたのが、農産物の商品化、グローバリゼーション、大規模農業などであり、それをを推進してきた日本のそして世界の農業政策の歴史を振り返り、絶望する前にその状態から脱するために我々にもできることがまだあることも教えてくれる。

 その解決策として、現代市民社会を農村市民社会へと再構築するという提案を、我々は受け入れることができるだろうか。さらには、それを受け入れる政府を、そして世界を作ることができるのだろうか。問いかけの意味は重い。
# by stochinai | 2004-12-29 00:00 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai